お茶会の招待状
あれからハロルドは朝早く出掛けては、夕食の時間までに帰ってくる。
研究がひと段落ついたのもあるけれど、ハイレーナを気遣ってのことだと分かっていた。
夕食の時間は娘との時間。食後の紅茶を飲み終えるまでハイレーナと話す。
「お父様は、お母様のご実家にいらしたのですか?」
「うん、僕は使用人の子だったんだけど、少しばかり計算ができてね。伯爵様に拾ってもらったんだ。実父は傷が化膿して片足を失ってね。働けなくなったから。五歳から屋敷で部屋をもらって、家庭教師がついた」
「傷が仕事中の事故だったらしいから」
貴族が優秀な子供の後ろ盾になるのは珍しくない。
アドリアンも宰相家のお抱えだもの。娘と婚約してるし。
――それにしても、お父様、優秀だったんだ――。
「トニスおじさまとは学院で知り合ったのですか?」
「僕より1つ年下でイレーネと同学年だった。面白い子でね。『発明クラブ』を作ったと思ったらイレーネと一緒に引っ張り込まれていたよ」
ハロルドがハイレーナの学院生活について、何か聞いてくることはなかった。
噂を知っているにしても、そっとしておいてくれるのはありがたかった。
自分から話したのはポロダン商会の息子、オットーが同級生で仲が良かったこと、今はラナスに行っていること。秘書課にいるアドリアンに大変お世話になったことくらい。
ウイレムの話はしなかった。
ディミトリ事件のことも「シェルビニ閣下から話は聞いたよ」とだけ。
お茶の後は、ゆっくり書斎へ引き上げてゆく。夜遅くまで仕事をしている。
お母様の部屋の隅々まで見た。
部屋を引き継ぐと良いと言われたけれど、まだしばらくはこのまま取っておきたいと返事をした。
毎朝、新しい花を摘んで花瓶に生けて、母の部屋に飾るのがハイレーナの日課になった。
お母様の日記も、子供の頃の絵も、何度も読み返した。
懐かしい、前世の便利な道具たち。
お父様が作った泡立て器のようにウォードを使って――。
もし、あれやこれや、作れるとしたら。
そんなことを考える時間が増えた。
父のいる生活に慣れ始めた頃、ハイレーナはアメリアに手紙を書く決意をした。
あの襲われた日、アドリアンやシェルビニ公爵より先に、単身駆けつけてくれたのはアメリアだった。
思えば何度も助けてもらっている。
そして今になって、彼女に言われた言葉の一つひとつが、心にストンと落ちてゆく。
意地になっていた当時は受け入れられなかった言葉。
もう一度会って、話したい。
いや、会ってもらえなくてもちゃんとお礼が言いたい。
そう思って手紙をしたためた。
言えなかった感謝の言葉。不快な思いをさせたお詫び。卒業してから父とたくさん話し合い、これからの進路について悩んでいること、前向きになれたのはアメリア様に叱っていただいたおかげだと。
何度も書き直し、読み返してはもう一度書き直す。
封をした時は大きなため息が出た。
マーサに届けてもらう。
マーサは手ぶらで帰ってきたから、受け取ってはもらえたのだろう。
そして数日後、アメリアからお茶会の招待状が届いた。
「マーサ、どうしよう!」
受け取った瞬間大きな声が出た。
「アメリア様からお茶会の招待状!侯爵家だよ!」
招待状を両手で掴んでぴょんぴょん跳ねてしまった。
「何を着ていけばいいの?乗合馬車で行ったらダメよね?どうしよう」
「落ち着いてくださいまし」
マーサは招待状を取り上げると入念にチェックした。
「そうですねえ。ドレスは去年の卒業パーティのものか、でなければ、奥様のワードロープを探してみましょうか。古いけれど、少し手直しすれば」
「卒業パーティのはダメ。みんな見てるし、派手すぎる」
「お母様のドレス着れるかしら。でも、もし合うのがあったら嬉しい」
「見てみましょう。イレーネ様の方が上背がおありでしたが、着られるはずですわ」
マーサがハイレーナを上から下まで見回して、頷いた。
「馬車は借りましょう。旦那様が公式行事で王宮に行かれる時、何度か借りたことがありますから」
二人でお母様のクローゼットを探る。
いろいろ試して、ちょうど良い清楚なドレスを見つけた。
少し裾を詰めて、お直しすればハイレーナでも着られる。
エステヴァンに習った作法を思い返し、学院で使ったマナーの教科書を読み込んで当日に備えた。
何しろ正式なお茶会の招待を受けるのはこれが初めてなのだ。
礼儀作法など以前は気にしなかったのに、どうしても今回は失礼のないように振る舞いたかった。だいたい、謝りに行くのに不快を上塗りなんてできない。期限付きの付き合いではなく、自分の事になったのかもしれない。
借りた馬車に乗って王城近くの侯爵邸に向かう。
瀟洒な鉄の柵を延々と回り込んでようやく門扉が見えてくる。開かれた門から車寄せまで素晴らしい庭が広がっていた。お屋敷は歴史を感じさせる佇まい。エントランスの柱には女神像が彫り込まれていた。
ため息が出た。
「すごい……」
今まで訪れたどのお屋敷よりも洗練されて風情がある。
緊張しながら馬車を降りると、執事らしき初老の男性が迎えてくれた。
「ハイレーナ・デ・ヴァロネス様、お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
名乗る前に名前を呼ばれて戸惑う。
ええと、こんな時はどうするんだっけ。
なんとか軽い会釈をする。
丁重な礼を返され、すっと屋敷の中へ誘われる。
執事の所作が美しい。ピンと伸びた背筋。足音を立てない静かな歩み。
案内された先は庭に面した1階の広いバルコニーだった。
瀟洒なテーブルセットが用意されていて、そこここに花が飾られている。
待っていたのはアメリアともう一人、意外な人物。
「シェルビニ公爵様!」
本当は格下のハイレーナから話しかけるのはマナー違反。知っていたのに思わず声が出てしまった。
公爵はハイレーナを迎えるためサッと立ち上がった。ハイレーナの無礼も気にせず笑顔だ。
アメリアの片眉がスッと持ち上がったのは気にしないことにした。
「ハイレーナ嬢。久しぶりだね」
隙のない立ち姿。気品が漂う。傍に座るアメリア様と肖像画のよう。
「シェルビニ公爵閣下、アメリア様、ご無沙汰しております。ご招待いただき、ありがとうございます」
改めてスカートの端を持ち上げ淑女の礼をとる。
エステヴァンに教えてもらっておいてよかった。
口元を扇子で隠して、もう一度アメリア様の眉が上がった。
「どうぞ、お座りになって」
第一部、学院編も終わりに近づいてきました。
ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございます。
最後の答え合わせ、どうなるのでしょうか。アメリア様との関係は?
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