春 オットーの旅立ち
午後の授業は上の空だった。オットーは口頭試験を受けに行って教室にはいない。
どうしよう。
オットーについてラナスへ行くのは今のハナにとって最善の解決策ではある。
仕事があって、家や学院からも、この国からも距離を置ける。
一人で新しい環境に飛び込むのと違って、オットーがいてくれるなら心強い。
働かなくても良いと言っていたから、別荘にお邪魔した時と同じように、お客様的な扱いになるのだろうか。
願ってもない申し出なのだけれど、すぐに飛び込む気になれないのは何故だろう。
ゲームには隣国ラナスは出てこなかった。オットールートでもだ。
ゲームの舞台から離れるのが怖い。本当に帰れなくなりそうだから。
ゲームではオットーは父の後を継いで大商人になるのだけれど、住まいは王都のままだった。
早期に卒業もなく、隣国へ赴任もなかった。
教室を移動するため歩いていると誰かがぶつかってきて、同時に足を引っ掛けられた。
考えに沈んでいたハナは気づいたら派手な音を立てて、廊下にひっくり返されていた。
テグナ子爵令嬢フレデリカとその取り巻き3人だった。
「あ〜ら、ごめんなさいませ。そんなところでボッとしてらっしゃるからだわ。傷心のあまりかしら。お可哀想に」
「今日はオットヴァルド様がいるからって、調子に乗っているのではありませんか?」
「あなたなど、ウイレム殿下にふさわしくありませんわ。媚を売って取り入っても、王太子妃には到底慣れませんでしたわね」
「安心しましたわ。王家にも多少の分別があって」
オットーのおかげて穏やかだった1日が、真っ黒に塗り替えられてゆく。
心の底から湧き上がる怒り。
床に無様に倒されて、理不尽な罵倒を受けている。
あんたたちなんか。何も知らないくせに。
自分たちだって、身分がなければ何もできないくせに。
何様?私より偉いつもり?
悔しい。悔しい。
「またですの?」
その時上から毅然とした声が降ってきた。アメリアだ。
「あなたがた、いい加減になさいまし。喪が明けたとはいえ、まだご葬儀から一月も経っていませんのに、こんな騒ぎを起こして。故人を痛む気持ちがないのですか」
「アメリア様。私たちはただ、廊下で待ち合わせをしていましたら、ハイレーナ嬢がぶつかって来たのです」
「それで勝手に転ばれましたの」
「私たちはただ、国の一大事に、ふさわしい方が王太子妃に決まって、一安心だと話していただけですわ」
「あなた方、品位の話をするならば、困っているものを助けるのが貴族の役目ですよ。身分を振りかざすことが貴族ではありません」
ピシリと言うとハナを助け起こした。
「怪我はなさそうですね。あなたも、気を張って前を見て歩きなさい。だらしない。そういうところで侮られるのですよ。隙を与えないくらいの覚悟をなさいませ」
膝が痛い。擦りむいてはいないけれど打撲だ。
そして、大きなお世話だ。
隙があろうとなかろうと、こう言う連中はイジメをやめはしない。
ああ、悔しい。
あたしの立場になってみろってんだ。
お前ら全員あちらへ送り込みたい。
「ありがとうございます」
アメリアに礼を言う。しかし、怒りに染まった顔を上げることはできなかった。
荷物を拾って、そこにいる全員を無視して歩き出す。膝がジンジン痛い。
悔しい、悔しい。泣くもんか。
教室へ入って席につく。そして、俯いたままだった顔をようやく上げた。
このまま学院を去るのは嫌だ。
嘲られたまま、見下されたまま消えたら、まるで負けを認めたようなものじゃないか。
それだけは嫌だ。私は悪くない。悪いことなんて何もしていない。
逃げない。このまま終わらせない。
教室を見渡して、クラスメートの顔を睨みつけてそう思った。
放課後、いつもの場所でオットーを待つ。
思ったより時間がかかっているようで、少し心配になる。
卒業できなかったんだろうか。
様子を見に行こうと立ち上がりかけたところで、オットーの姿が見えた。
なんだかスッキリした顔をしている。
「どうだった?受かった?」
と声をかけると、満面の笑みが返ってきた。
「もちろん!ほら!」
と卒業証明を見せてくれた。
「やったー!すごいよオットー。おめでとう!」
思わず両手を取ってぴょんぴょん跳ねてしまう。
ちょっと困った顔のオットーが可愛らしい。
ハナは咳払いをして手を離す。
「オットヴァルド・ポロダン様。王立学院卒業、おめでとうございます」
と淑女の例をとる。
「ハイレーナ・デ・ヴァロネス男爵令嬢。ありがとうございます」
と礼を返してくれた。
ふふふと笑い合った後ベンチに座る。
「あれ?ハナ足どうかした?」
普通に動くよう気をつけていたのに、めざといオットーに指摘されてしまう。
「さっきちょっと転んだの。膝を打っただけ。大丈夫」
あまり詳しく話したくないせいか、早口になった。
オットーは何か察したように眉根を寄せて、ため息をついた。
「やっぱり、僕と一緒にラナスへ行こう。ハナがこんな扱いを受けていいはずがない」
「……そのことだけど」
意を決して正直な気持ちを話すことに決めた。
「オットーがそう言ってくれたこと、すごく嬉しい。外国に住むなんて考えたこともなかったし、そんな可能性もあるんだって。オットーと一緒だったら、楽しいだろうなって思った」
「だけど?」
やはりオットーはよく気がつく。
断ろうとしていることがわかったみたいだ。
「だけど。ここで逃げたらダメなんじゃないかって思うの。なんだか負けたみたいで。周りに言われてることが当たっているから、逃げたと思われるんじゃないかって」
「時には撤退することも大切だよ。環境を変えて出直せばいつかハナの評価を上げることだってできる。今の状況はハナにとって不利すぎる」
「そうかもしれない。だけど、学院を卒業するまであと2ヶ月。我慢できないほどじゃない。今学院から消えたら、あの人たち、『ざまあみろ、やっぱりな』て思うでしょ。それで私がいなくなって清々するに決まってる。悔しいの。負けたくない。卒業して、それからラナスに行っても遅くない」
「でも!ハナがイジメられているのを――見ていられないよ。」
「ありがとう。オットーが味方でいてくれるだけで心強い。それにね。お父様のことも一度ちゃんと向き合ってみようと思うの。このまま逃げたら一生話し合うチャンスなんてない気がする。卒業したら、その後のことお父様と話し合わなきゃいけなくなるでしょう?それに、ポロダン商会で働くにしても、学院の卒業証明があると有利じゃない?」
「それはそうだけど」
オットーはため息をついた。
「……もうハナは決めたんだね」
「うん。ごめんねオットー。せっかく誘ってくれたのに」
しばらくハナのことをじっと見つめたオットーは瞬きをしていった。
「わかった。残念だけど諦める。もし、卒業して気が変わったらいつでもラナスへ来て。ハナのための場所は用意しておくから。覚えておいて。それから、絶対無理はしないこと。本当に辛くなったら、助けを求めること。ウイレム殿下は無理でも、アドリアン、ヴァレンス、僕。手紙をくれたら絶対なんとかする」
「ありがとう。忘れないでいる。オットーも、手紙ちょうだい。それで、次に会うときはラナスの支店で大活躍して、名実ともにポロダン商会の実力者になって!」
「頑張るよ」
ハナとオットーは握手を交わした。
オットーの乗る馬車を見送って、寮へ戻る。
これで、攻略対象全員それぞれの道を歩み出した。
ハナも、オットーと話してはっきり自覚した、自分の『やるべきこと』へ決意を新たにした。
ご拝読ありがとうございました。
次回、決断したハイレーナに新展開が待っています。
また明日17時更新頑張ります。




