9 自覚した想い
魔力量が安定したのか、ブレイドと会話をした翌日にアイリスの熱はようやく平熱になった。
「熱が下がってよかったわ」
フロリスは、アイリスの部屋に朝食を持ってきて具沢山の温かいスープを手渡しながら言った。
アイリスがお礼を言ってそれを口に運ぶと、柔らかくて甘い野菜に自然と顔が綻んだ。
「美味しい」
「ふふっ、良かったわ」
アイリスが少しずつスープを掬って口へと運んでいく様子に、フロリスは安心したように微笑んだ。
「(なんだか、すごく体が軽く感じる・・・。)」
アイリスの体は、解熱したばかりだというのに風邪特有の気怠さなどが全くなく、むしろ熱を出す前よりもすっきりとしていた。
もしかしたら、魔力がある状態が本来のアイリスのあるべき姿だったのではないかと感じるくらいだった。
アイリスはお礼を言って空になった器をフロリスに手渡した。
「(この調子なら明日にでもブレイドのところに行って・・・)」
「アイリス」
フロリスがそっとアイリスを呼んだ。
「まさか、明日から治癒の練習をしよう、なんて思ってないわよね?」
「え?」
アイリスが"なんで私の考えていることが分かったの?"というように小首を傾げてフロリスを見ると、フロリスはニコッと笑った。
「思って、ないわよね?」
再度確認するように言われる。フロリスは笑っているはずなのに彼女の背中からは黒いオーラが出ていた。
アイリスは慌てて首を横に振った。
「い、いいえ!思ってません!」
「そうよねー?思ってないわよねー?」
フロリスはニコニコと微笑みながら、冷や汗を流しているアイリスの頭をそっと撫でた。
「今週はベッドの中で過ごして、来月から。・・・ね?」
「・・・はい」
アイリスは顔を引きつらせながら頷いた。
二週間が経ち、屋敷缶詰め生活から今日ようやく解放され、アイリスは約一ヶ月ぶりに屋敷の外に出た。
広い草原の真ん中まで歩いていき、芝生の上で横になる。
久しぶりの草原。
鳥の鳴き声や風が草木を揺らす音に耳を傾けながら、アイリスはそっと目を閉じた。
屋敷缶詰め生活の間、ルイスや使用人たちがアイリスのお見舞いにきてくれて、アイリスの元気な様子を見てはみんな安堵して帰っていった。
ブレイドとはアイリスがリビングでの生活を許可されて一階へ降りた時に一度会ったきり、こちらには来ていない。
それでもルイスがこちらの屋敷へ来るときに、いつもアイリスが読めるくらいの本を選んで持たせてくれていたから、きっとアイリスを休ませるために敢えて行かないようにしてくれているのだとわかった。
みんなに相当な心配をかけてしまったことを申し訳なく感じたと同時に嬉しく思った。
熱を出したあの日から、アイリスは体の中をずっと何かが巡っているような感覚が続いていた。きっとこれが魔力というものなのだろう。
太陽の暖かさと冷たい地面の心地よさに身を委ねていると、草の上を歩く音が聞こえてきた。それはアイリスの顔に影を落として止まる。
「そこで寝ると、今度は風邪引くぞ」
聞き慣れた声に目を開けると、ブレイドがアイリスの顔を覗き込むようにして立っていた。
久しぶりに見るブレイドの顔。たった数日見ていないだけで少し懐かしく感じた。
「すごく暇なの」
アイリスは小さく溜息をつきながら言った。
屋敷の外に出る許可を貰えてもまだ治癒の練習開始の許可はフロリスから降りておらず、アイリスは暇を持て余していた。
「仕方ねぇよ、今のうちに暇を満喫しとけ」
ブレイドはそう言いながらアイリスの隣に座ると、彼女と同じようにゴロンと横になった。
風や鳥の鳴き声に、互いの呼吸をする音も加わった。
どれくらいそうしていただろう。
ブレイドはそっと顔を横に向けてアイリスを見た。
アイリスは静かに、空に浮かぶ雲を見つめている。
数日ぶりに見るアイリスの横顔。
その横顔を見て、胸が苦しくなった。
――・・・もう、後戻りはできない。
アイリスの魔力が充分にあることが、手を繋がずとも分かった。
「・・・・・・」
今、アイリスは何を考えているのだろう。
アイリスは以前から歳不相応の表情をする時があった。
草原を歩いている時、
景色を眺めている時、
時節見せるアイリスの表情は、とても十歳前後の少女だとは思えないくらい大人びて見える時があった。
純粋に綺麗だと思う反面、どうしようもなく不安になった。
まるで、知らない誰かを見ているような、そんな気がしたから・・・。
ブレイドは横向きに体勢を変えてアイリスの方を向くと、彼女の頬にそっと触れた。
その肌触りのいい頬を指先で撫でると、空に向けられていた金色の瞳が瞬きをしながらゆっくりこちらへと向けられた。
「ブレイド?」
綺麗な紅い唇が動いて澄んだ声がブレイドの鼓膜を甘く揺らした。
ブレイドは、アイリスが高熱を出して眠り続けている間、彼女の命の燈が消えてしまうのではないか、ずっと怖かった。
何度も彼女の部屋に行き、何度も彼女が呼吸をしているのを確認した。
そして、閉じられたままの瞼が上がり、早くその瞳に自身の姿を映してくれないかと何度も願った。
その時に、己の想いに気づいた。
いつからだろう。
アイリスの瞳に自分の姿が映っていることに幸福を抱くようになったのは。
いつからだろう。
自分以外の人がアイリスに触れたり話しかけたりされるのが嫌になったのは。
・・・いつからだろう。
自分の名前を呼ぶ鮮やかな唇に触れたいと思うようになったのは――。
何も言わずに頬に触れていた手を滑らせてそっとアイリスの綺麗な唇を撫でた。
アイリスはこちらを真っ直ぐ見つめるブレイドから目を逸らすことができなかった。
ブレイドの指がアイリスの唇の感触を味わうように撫でて、そっと離れていった。
「・・・アイリス」
いつも見ているブレイドのはずなのに、
いつもより魅惑的に見える彼の表情に胸が大きく音を立てた。
「どうしたの、ブレイド・・・?」
気づかない間にアイリスの肩に当たるくらいの距離にブレイドの体があった。
頬杖をついて、少し上からこちらを見下ろしているブレイド。
「いや・・・」
ブレイドは風でアイリスの頬にかかった黒紫色の髪を優しく払いながら言った。
「キスしたいな、と思っただけだ」
「・・・は・・・?」
ブレイドの言葉にアイリスは目を見開いた。
今ブレイドはなんと言った?・・・キス?
キスってあれか?口と口でするあれなのか?
途端に顔に熱が集まった。一体ブレイドは何を言いだしたのかと頭の中がパニックになる。
しかし、そんなアイリスの様子を気にすることなくブレイドはアイリスの顔の横に両肘をついて覆い被さると、そっとアイリスの顔に手を添えた。
近づいてくるブレイドの顔にアイリスは咄嗟に目を閉じると、
額に柔らかいものが触れた。
それはチュッ、という音を立てて離れていく。
目を開けると、近距離にあるブレイドの顔が小さく笑った。
「どこにされると思ったんだよ?」
少し揶揄いを含んだ声。
「〜〜〜〜っ」
ブレイドの言葉にアイリスは彼にキスされたことと自分の考えていたことへの羞恥に顔を真っ赤にさせた。
「随分と仲がよろしいようですね。」
凛とした声が草原に響いた。
アイリスが声の聞こえた方へ顔を向けると、そこには一人の女性が立っていた。
焦茶色の長い髪。銀縁の眼鏡。エメラルドグリーンと白のドレス。背筋を伸ばして綺麗に立ち、草原に座るアイリスとブレイドを真っ直ぐ見据えている。
「エマ・・・」
ブレイドがアイリスの手を引いて上体を起こしながら女性の名前を呼んだ。
エマと呼ばれた女性は、ブレイドの横に座るアイリスの前に立った。
「お初にお目にかかります、アイリス様。
本日よりアイリス様の教育係を賜りました、エマ・ウェインライトと申します。よろしくお願いいたします。」
エマは優雅にスカートの裾を持ち上げて頭を下げた。
十代半ばくらいだろうか。まだ大人の女性というには少し幼さが残っている。
しかし、一つ一つの仕草が非の打ち所がないほど優雅で気品があった。
エマの言葉に、ブレイドは目を見開いた。
「お前がアイリスの教育係・・・?」
「そうです。」
エマは顔を上げると、ブレイドを見て言った。
「お久しぶりです、ブレイド様。・・・珍しいですね、こんな大勢が近くに来ても気づかないなんて。少し気が緩みすぎではないですか?」
そう言って彼女が手で示した先を見ると、そこには近衛騎士団が立っていた。
近衛騎士団は白地に金や青の装飾の付いた団服を身に纏ってエマの後方に整列している。彼らはエマをここまで送ってきてくれたのだろう。
しかし、先程までのアイリスとブレイドの様子を見ていたからか近衛騎士団員達は少し気まずそうにしている。
アイリスは自身の顔にまた熱が集まるのが分かった。
しかしそんなアイリスに反して、ブレイドは小さく鼻で笑った。
「俺が気づかないわけないだろ?」
ブレイドはアイリスの肩を抱き寄せて挑発的な笑みをエマと騎士団に向けた。
エマの表情が少し動いた気がしたが、変わらず無表情のままブレイドとアイリスを見下ろしていた。
ブレイドは立ち上がると、アイリスの手を優しく引いて彼女も立ち上がらせた。
目線の高さがエマよりも上になったブレイド。
「俺はお前の母親が来ると思ってたんだが。だいたいお前、俺と同じ未成年だろ?」
「先日成人いたしましたので、問題ありません。」
「・・・年上だったのか」
「今更ですか。」
エマは呆れたように少し目を細めてため息をついた。
この世界での成人は十六歳。
前世の"私"の世界では高校生の年齢でありながらも凛と佇む彼女の姿は隙がなく美しい。
アイリスはブレイドとエマの親しげな様子に戸惑いながら二人を見た。
「えと、エマさんとブレイドってどういう関係なの?」
アイリスの質問に、ブレイドはエマと顔を見合わせるとアイリスへと視線を戻して言った。
「あー・・・こいつは俺の幼馴染みたいなもんだ」
「幼馴染?」
エマは頷いてアイリスと向き合った。
「私の母がブレイド様の教育係をしていましたので、その流れで共にいることが多かったのです。」
「よくお前と一緒に"マナーがなってない"と怒られたな」
ブレイドがその当時を思い出し、ため息をつきながら言った。
それに同意するようにエマが何度も頷く。
アイリスは、ブレイドが同年代くらいの人と話している姿を見るのが初めてで、なんだか不思議な気持ちになった。
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今回も私の拙い小説をお読みいただきありがとうございました。




