10 純粋な彼女の思考
――その日の夜。
アイリスは、いつものように薄手のワンピースに身を包んでベッドに腰掛けていた。
頭に過ぎるのは、"黒竜様の尊さを布教し隊"隊長フローラ子爵令嬢の話。
『ブレイド殿下をお救いになっているのは、間違いなくアイリス様ですわ。
・・・ですが、だからこそ一部の者たちから不安の声も上がっているのです。
アイリス様がブレイド殿下の魔力暴走の"引き金"になるのでは、と。』
そして、ゼイン陛下の言葉。
『お前はブレイドにとって必要不可欠な存在だ。だから絶対に、アイツよりも先に死ぬようなことはあってはならん。
お前の命は、お前ひとりだけのものではないということをよく理解しておけ。』
アイリスは、顔を俯かせた。
ゼイン陛下は、アイリスがブレイドの魔力暴走の"引き金"になることが分かっていたから、アイリスにその言葉をかけたのかもしれない。
五年前に起きた魔力暴走。それにも、"引き金"があったのだ。
その"引き金"に、私がなる・・・?
「・・・・・・っ」
アイリスは、両手を握りしめた。
一体、過去の魔力暴走で何があったのか。
しかし、この魔力暴走の件は、ブレイドの中でも一番繊細な部分。不用意に触れていいものではない。
ただでさえ日々の政務で精神的にも疲れているだろうに、さらに負荷をかけるわけにはいかない。
それでも、過去を知らなければ、"引き金"である自分が何に気をつけなければならないのかが分からない。
どうしたらいいんだろう・・・。
アイリスは、深く溜息をついた。
コンコンッ・・・
「!」
部屋をノックする音が聞こえ、アイリスは顔を上げた。
どうぞ、とノックをした主に返事をすると、すぐに部屋のドアが開かれた。
「アイリス」
入ってきたのはブレイドだった。
ブレイドはドアの隙間から顔を覗かせると、ベッドに座るアイリスを見て中に入ってきた。
「悪い、寝るところだったか?」
「ううん、大丈夫」
アイリスはベッドから立ち上がると、近くに置いていたストールを肩に羽織った。
ブレイドは部屋に入ると、アイリスの手を握って部屋に置かれているソファーに座った。
そして、自身の膝の上にアイリスを横向きに座らせる。
「・・・っ」
「いい匂い。」
ブレイドはアイリスの上体を抱き寄せて首元に顔を擦り寄せた。
これが最近の、ブレイドの甘え方。
「もっと我儘言っていいんだよ」と伝えたあの日から、少しずつスキンシップが増えていって、今ではこの距離。
宮廷で別行動をすることが増えてきて、以前はブレイドの執務室横にある仮眠室で触れ合えていたが、今では医療棟の端の休憩スペースで紅茶を飲みながら談笑するだけになっているため、人目があって触れ合えなくなった分を補うように、夜のスキンシップが少しずつ長く濃厚になっていった。
ブレイドの息と髪の毛が首筋と鎖骨に当たり、そのくすぐったい感覚にアイリスが身動ぐと、それを押さえるようにブレイドの抱き締める力が強くなった。
「逃げんなって。」
ブレイドの色気を帯びた囁き声と共に首筋に触れている唇が動いて、アイリスの体が勝手に反応した。
「っ、だって・・・」
羞恥で段々と顔に熱が集まっていく。
ただ甘えてるだけ。
異種族特有のスキンシップをしているだけ。
そう分かっているのに、首筋に触れる唇の柔らかさ、男らしい筋肉質な腕や胸板を感じて、ブレイドの存在を異性として意識せざるを得ない。
ブレイドがアイリスの体温と香りを堪能するように、また顔を擦りつけて、今度は鎖骨に唇が触れる。
その感触に小さく反応してしまう体。
それを必死で抑えようとブレイドの肩に置いていた手に力を入れると、ブレイドが クスッと小さく笑った。
「(かわいい・・・)」
ブレイドは、必死に平静を装うアイリスの早い心音と少しだけ荒れている呼吸を感じて、心の中でほくそ笑んでいた。
ブレイドにとって、この夜のスキンシップが特別な時間だった。
今日一日頑張った自分へのご褒美、という感覚。
アイリスと恋仲になって、自身の独占欲の強さに気付いてから、患者に対して微笑みかける彼女を見るだけで嫉妬に駆られてしまう。
このスキンシップの間だけは、俺だけを見てくれている。
俺の行為に感じてくれている。
それが独占欲を満たし、今日一日アイリスに話しかけた奴らに対し優越感に浸れる。
きっと、アイリスはそんなことをブレイドが考えているとは全く気付いていないだろう。
一生懸命ブレイドのストレスを緩和させようと健気に頑張っている純粋なアイリス。
正直、二ヶ月も経てば政務官や官僚の態度など・・・まぁ、許しはしないしムカつくことには変わりないが、最初の頃に比べたらどうでも良くなってるし、政務や会議で溜まったストレスは騎士たちとの鍛錬で発散できている。
しかし、そのことをアイリスには言わない。
彼女の優しさに漬け込んで、今日も自分の欲を満たす。
ブレイドは、ゆっくりと深呼吸をした。
アイリスの体がまた小さく反応する。
本当はもっとアイリスを味わっていたいが、今日この部屋を訪ねた目的はそれじゃない。
ブレイドは、アイリスの体をそっと放した。
「あれ?今日は早く終わった・・・?」、と思っているようなアイリスの表情。
顔を赤く染めて瞳を潤ませて小首を傾げているアイリスに、一瞬理性を放り出してしまいそうになるが必死に我慢する。
ブレイドは深呼吸をして欲を無理やり押し込めると、アイリスの顔を見つめた。
「何があったんだ?」
ブレイドの問いかけに、アイリスが きょとん、とした。
ブレイドは、アイリスの赤く染まっている頬を指先で撫でながら言った。
「あの令嬢たちから何か言われたんだろ?」
「!」
ブレイドの言葉に、アイリスの顔が強張った。
ブレイドは、アイリスが令嬢たちと会ってから何かを考え込んでいることに気づいていた。
その雰囲気が今までにないくらい深刻そうなのに、なんでもない風を装い続けていたから、きっと重要なことなのだろう。
ブレイドは、アイリスを見つめながら言った。
「今日お前と一緒にいた三人で、真ん中にいた奴はコールマン子爵の孫だ。先皇帝の時代から政務官をやってる、あの髭面の説教臭い爺さんがコールマン子爵だ。」
約二ヶ月前、ブレイドの就任式典に関する会議をしている最中に、ゼイン陛下へ向かって「金眼の天使に皇太子を選ばせてはどうか」、と進言した高齢の政務官。
皇太子になって、その政務官――コールマン子爵との接点が増えてきて分かったことだが、彼はいい意味でも悪い意味でも中立。
様々な意見を耳に入れて、その考えが自分の考えと一致するとなった時に、一致した側に付く。
そのため、会議の最中に"あんな発言"をしていながらも、黒竜に対する偏見は持っていなかった。
その理由を尋ねたところ、返ってきた答えはこうだった。
『私は、女神信教徒ではないですからな。そんな言い伝えなど信じるに値しないと判断したまで。・・・まぁ、女神が地上に降りてきて直接言うなら信じてもよいですがな。
その点でいうと、女神の遣いだと信じられる境遇にある金眼の天使様のお言葉を信じる方が堅実かと。だからといってブレイド殿下を崇めるまでは致しませんがな。』
そう言って笑っていた。
ゼイン陛下が高齢な彼に政務官を続けさせている理由がなんとなく分かった。
そんなコールマン子爵の孫。
「コールマン子爵は階級こそ低いが、政界の中では重要人物だ。その孫娘が何を言っていたのか、聞いておきたい。」
ブレイドはそう言ってアイリスを見つめた。
この理由は本当だが、半分は違う。
こういえばアイリスが話すだろう、そう思ったからだ。
しかし、アイリスは口を開かず、戸惑ったように視線を彷徨わせた。言うべきか言わざるべきか、葛藤しているような表情。
ブレイドは、すぐに内容が自分に関することなのだと分かった。
自分に関することなら、内容が限られてくる。彼女が話すべきか悩むほどの内容ならば・・・あれしかない。
ブレイドはアイリスの頬を掌で包み込むように触れた。
「・・・アイリス、話してみろ。俺は、お前が一人で悩んでいる姿を見る方が辛い。」
「・・・っ」
アイリスは泣きそうに顔を歪めた後、顔を俯かせた。
優しすぎるアイリス。
こう言っても自分のためにまだ悩んでくれているアイリスを静かに見つめて、彼女が話してくれるのを待つ。
すると、少し間を開けて、アイリスはそっと口を開いた。
「・・・ブレイドの、魔力暴走のことで・・・」
やっぱりそれか、と思った。
アイリスに続きを促すように触れている頬を親指で撫でると、ぽつりぽつりと話し出した。
「私が、ブレイドの魔力暴走の"引き金"になるんじゃないかって、一部の人たちが言ってるって話を聞いたの・・・。それ以外は、特に何も言われてないんだけど・・・。でも、私がブレイドの引き金になるなら、一体何に気を付けたらいいんだろうって・・・わからなくて・・・。」
段々と声が小さくなっていく。
触れるべきではない、傷つけたくない、そう思ってくれている気持ちがひしひしと伝わって来て、ブレイドはアイリスの体を引き寄せて優しく抱き締めた。
「アイリス。悩ませてすまなかったな。・・・正確には、お前が引き金になるわけじゃない。」
「・・・え?」
アイリスが少し驚いたようにこちらを見た。
揺れている金色の瞳を見つめながら、ブレイドは頷く。
「魔力は、俺の強い感情に反応する。お前も心当たりがあるだろ?」
そう問いかけると、アイリスは小さく頷いた。
あの、政務官達に憤った時の、刺すような魔力。
アイリスも、あれに気付いていたはずだ。
それでも、敢えてそれに触れないでいてくれた彼女。
「・・・そうだな、五年前のことを話した方が分かりやすいだろう。いつかお前に話さなければならないと思っていた。あの日何があったのか。」
「・・・!」
「誰かから聞かされるより、俺の口からきちんと話しておきたい。」
俺の、全てを・・・。
ブレイドは、一度ゆっくりと深呼吸をした。
今からアイリスの反応を想像して、胸が苦しくなる。
しかし、きちんと話さなければならない。
アイリスは、俺の"婚約者"なのだから。
「・・・だが、その前に、俺の母上についても話しておかないといけないな。」
「ソフィア皇妃?」
「あぁ。」
ブレイドは頷くと、顔を上げてアイリスの髪を撫でた。
「少し長い話になるが、大丈夫か?」
「・・・うん、・・・私が聞いてもいいなら」
アイリスの言葉にブレイドは小さく微笑んだ。
私が聞いてもいいなら、じゃない。
お前だから聞いてほしいんだ。
いつになったら、俺がお前を溺愛している事に気付いてくれるんだろうか。
ブレイドは鈍感なアイリスの額にキスをすると、彼女を横抱きにして立ち上がった。
そして、ベッドの上にアイリスを優しく下ろすと、二人でベッドの上に座り、枕に背中を預けた。
「なら、ソフィア皇妃についての話からだな。」
ブレイドはゆっくりと息を吐いて話し始めた――・・・。
アイリスの思考が手に取るようにわかるブレイド。
次話から過去話です。
少しでも面白いと思っていただけましたら、ブックマークやいいね、評価を頂けますと嬉しいです。
作者のやる気に繋がります!
今回も私の拙い小説をお読みいただきありがとうございました。




