5 街へお出かけ
雲一つない青空。
草木を揺らす暖かな風。
サクサクと草の上を走る音が聞こえてきて、草原で横になっていたブレイドは閉じていた目を開けた。
「ブレイド!ここにいたのね」
可愛らしい笑顔の少女が黒紫色の髪を綺麗に靡かせながらブレイドの顔を覗き込んだ。
「勉強教えて?」
ニコッと笑った少女――アイリスに、ブレイドは小さく溜息をつきながら上体を起こした。
アイリスがクレディ侯爵家の養子になって約半年。
最初こそ気を使って敬語とため口が混ざったり、さん付けで呼んだりとぎこちなかったが、今ではブレイドのことを呼び捨てにするのも馴染んできた。
クレディ夫妻のことはまだお父様お母様と呼ぶのは少し恥ずかしいようで、今のところ呼び捨てに落ち着いている。
それに、最近はよく笑うようになったと思う。
隣で本のページを捲りながら、次はこの文字はなんと読むのかを聞いて、それに答えてやると嬉しそうに笑った。
何がそんなに嬉しいのか分からないが、それでも拾ってきたばかりの、あの哀しそうな顔をされるよりかは何倍も気分が良かった。
「読み終わっちゃった。次はどっちを読もうかな」
楽しそうに本を選ぶアイリス。全部で三冊持ってきていたらしい。
文字を覚えたての彼女が読む本は、まだ子供向けの物語や図鑑が中心だ。
しかし、このペースでいくなら数か月後には大人と変わらないような難しい本も読めるようになるかもしれない。
教えたことをどんどん吸収していくアイリス。
彼女の隣にいるのは居心地が良かった。
絶対に口には出してやらないが。
「アイリスー!」
「「!」」
遠くからアイリスを呼ぶ声が聞こえて屋敷の方を振り返ると、フロリスがこちらに手を振っていた。アイリスとブレイドがこちらを見たのが分かったらしく手招きをしている。
「いくぞ」
「うん」
ブレイドはアイリスの持って来た本を抱えると、アイリスと一緒に屋敷へ向かって歩き出した。
「街へ行こうと思うの」
フロリスは開口一番にそう言った。
「ほら、アイリスはまだ街へ行ったことなかったでしょ?」
フロリスの言葉にアイリスは頷く。
これまでに何度か街へ行こうとしたのだが、天気が突然雨になったりしてずっと延期していた。
ずっと気になっていた街に行ける!と花が咲いたようにキラキラしているアイリスに反して、ブレイドは眉間に皺を寄せていた。
「さぁ、部屋でお出かけ用のお洋服に着替えておいで。準備ができたらいくわよ」
「うんっ」
アイリスは嬉しそうに頷くと、屋敷に向かってパタパタと駆けて行った。
それを見送った後、ブレイドはフロリスを見て言った。
「街に連れ出して大丈夫なのかよ?」
「私がちゃんとついてるから大丈夫よ」
フロリスはそう言いながらニコッと笑った。
「今日は雨、降らせないでね?あの子が楽しみにしてるの分かってるでしょ?」
「・・・・・・」
圧を込めたフロリスの笑顔にブレイドは気まずそうに視線を逸らした。
準備が終わって屋敷から出ると、外にブレイドとライオンの姿になったフロリスがいた。
「わぁ!」
綺麗な小麦色の毛並みをした雌ライオン。動物園で見るライオンより少し大きめだろうか。
「ふふっ、私のライオン姿を見るのは初めてよね。撫でていいわよー」
どうぞ、と首を差し出されてそっと撫でると、とてもフワフワとした手触りでとても気持ちが良かった。
「あったかい・・・」
ギュッと首元に顔を埋めて抱き付くと、フロリスがクスクスと笑った。
「こんなに喜んでくれるなら毎日この姿になってあげてもいいわね」
フロリスの毛並みを堪能した後、フロリスが伏せの体勢をしながら言った。
「街へ行くには森を抜けていく必要があるの。街とここの間の森にはほとんど魔獣はいないけど、用心のために私の背中に乗って早く抜けちゃいましょう?」
アイリスがフロリスの背中に乗ったのを確認してフロリスは立ち上がった。
「待て」
二人を見ていたブレイドが突然呼び止めた。
「どうしたの?」
真剣な表情のブレイドにアイリスが尋ねると、ブレイドは何も答えずにそっとアイリスの額に右手を当てた。
ポウ、という音ともにアイリスの額に魔法陣が浮かび上がって光が彼女の体を包んだ。
「!」
「念の為だ」
光が消えてブレイドはアイリスからそっと手を離した。
何が起きたのかとアイリスが驚いて自分の体を眺めていると、フロリスが自身の背中に乗るアイリスを振り返って言った。
「あぁ、瞳の色を変えたのね」
「瞳の色?」
アイリスが聞き返すと、フロリスが頷いた。
「今貴女の瞳の色は髪と同じ紫色よ、あとで変えてあげようと思ってたから助かったわ」
「お前の色は街中では目立つからな」
ブレイドはそう言うと、アイリスの頭にポンと手を乗せた。
「気をつけて行ってこい」
「うん!行って来ます」
アイリスが笑顔で答えると、ブレイドが頷いてそっと二人から離れた。
「なら出発するわよ。背中にしっかり掴まっててね」
フロリスはアイリスが背中にしがみついたのを確認すると、森へ向かって走り出した。
軽快に森の中を駆け抜けていくフロリス。
バイクに乗っているような感覚だろうか。背中にしがみついているアイリスに負担をかけないようになるべく体を安定させて一定の速度で走ってくれている。
早い速度で流れていく景色に、アイリスは心が踊るようだった。
ものの数分で木々の間から街が見え始めフロリスは速度を落とし、そっと木の陰にアイリスを降ろした。
そしてフロリスは人の姿になってアイリスと自分の衣服を軽く整えると、残り少しの距離を街へ向かって歩き出した。
「わぁ!」
街に入ると、レンガで舗装された道沿いにたくさんの出店が並んでいた。
「この街は帝都と森の間にあるのよ。小さいけど何でも揃うわ」
出店には色んな種類の果物や野菜が並べられていて、見慣れているものもあれば、初めて見るような形の食べ物もたくさん売られていた。
「今日はアイリスのお洋服を買い足そうと思ってるの。この通りを抜けた先にお店があるから、行きましょう?」
フロリスに手を引かれてアイリスは珍しそうに周りを見渡しながら歩いた。
何にでも目移りするアイリスに、フロリスはクスクスと笑った。
「さぁ、着いたわ」
フロリスが立ち止まった場所は小さな洋服専門店。ガラス張りのドアを開けるとカランカラン、という軽快な鐘の音が鳴った。
「いらっしゃいませ!あら、これはクレディ夫人!お久しぶりですわね」
中に入ると、店の奥からお洒落な服装をした女性店員が出てきた。孔雀をモチーフにしているであろう色鮮やかな柄の入ったドレスを着ている。
四十代くらいだろうか、気品溢れる姿に圧倒されそうなくらい凛とした女性だった。着物を着たらきっと似合うだろう。
「お久しぶりね。今日はこの子の洋服を買いに来たのよ」
そう言ってフロリスはそっとアイリスの背中を押して店員の前に立たせた。
「あら、可愛らしい!早速何着かご用意いたしますわ」
店員はそう言うと、すぐに三着ほど持って来てフロリスとアイリスの前に置いた。
「お嬢様の髪色でしたら、以前購入された緑ももちろん似合いますし、青なんかも可愛らしくていいですわね!」
「そうねぇ」
フロリスが眺めている横でアイリスも一緒に服を見る。
どれも可愛らしいデザインで、中身が大人のアイリスには少し抵抗があったが、これはもう慣れるしかないのだと自分に言い聞かせた。
洋服の他に下着や寝巻きなどを買い足してもらったが、お会計の時に表示された金額にアイリスは顔を引き攣らせた。
「あ、あの・・・お金・・・」
「あら、気にしなくていいのよ?これくらい私達にとっては普通だもの」
そう言って笑ったフロリスに、アイリスは侯爵家の財力が少し恐ろしくなった。
アイリスが店内を見て回っていると、店員がそっとフロリスを手招きした。
「夫人」
フロリスが顔を寄せると、店員が小声で言った。
「実は、ここ最近"金眼の子供が現れた"って街で噂になっていることを夫人はご存知かしら?」
「!」
店員の言葉にフロリスは目を見開いた。
フロリスの様子を見て、店員は彼女がこの噂を知らなかったのだと思い、更に身を乗り出すようにしてフロリスに言った。
「またいつもの根も歯もない噂だと思いますが、本当に現れたのだとしたら素晴らしい事ですわね!」
嬉々として言う店員に、フロリスは小さく息を吐いて綺麗に微笑んだ。
「えぇ、そうね」
フロリスはそう答えながら店員から洋服の入った紙袋を受け取ると、離れていたところにいたアイリスに向かって軽く手招きをした。
「今回も素敵なお洋服をありがとう。また来るわね」
フロリスは駆け寄って来たアイリスの手をそっと握ると二人でお店を出た。
買い物を終えて街を出ると、森の入り口に立つ見慣れた姿を見つけた。
「アラン!」
「迎えに来てくれたのね」
森の入り口に立っていたアランは二人の姿を見て安心したように微笑みながら頷いた。
「あぁ、もうすぐ日が暮れそうだから用心のためにね」
そう言ってアランがアイリスの頭を撫でようと手を伸ばした。
――すると、次の瞬間。
パァン、という音と共にアランとアイリスの間に魔法陣が現れた。
「えっ!」
「!おや、これは・・・!」
ビリビリする手を軽く振っているアラン。アイリスの前に浮かび上がる魔法陣を興味深げに眺めている。
突然の出来事にアイリスが驚いていると、フロリスがクスクスと笑い始めた。
「ブレイドよ、アラン」
「!あぁ、そういうことか」
フロリスの言葉にアランが理解したのか苦笑しながら溜息をついた。
フロリスとアイリスが屋敷を出る直前。ブレイドがアイリスの瞳の色を変えるのと同時にこっそりと守護魔法を掛けていた。
フロリスはそれにすぐ気付いていたが、ブレイドのことだからそれを指摘されたくないはずだと思いそっとしておいた。しかし、まさかアランすらも弾くとは思わなかった。
「全く、これじゃあ屋敷に帰るまでアイリスに触れられないじゃないか」
「仕方ないわよ、アラン。彼の気持ちも大事にしてあげないといけないもの」
フロリスとアランの二人だけ理解して話しているが、アイリスには一体何が起きたのか全くわからない。
「こ、これ何が起きたの?」
不安そうなアイリスに気づいたフロリスはアランと顔を見合わせて笑い合うと、そっとアイリスの頭を優しく撫でた。
「ちょっとね、ブレイドが心配して貴女に魔法をかけていたのよ。貴女を守るための魔法」
「特に男性には触れられないようにしているみたいだから、私が君に触れようとして守護魔法が発動したのさ」
そう言って二人はまた笑った。
「そうなんだ・・・」
アイリスが見た限りでは街の治安は良さそうに感じだが、自分が知らないだけで街には危険が多いのかもしれない。
後でブレイドに守護魔法のお礼を言っておこう、とアイリスは思った。
その日の夜。
部屋で静かに眠るアイリスの様子をドアの隙間から確認して、フロリスはそっとドアを閉めた。
物音を立てないように注意しながら一階にある応接室に入ると、入り口側のソファーに座っていたアランがこちらを振り返った。
「どうだった?」
「ぐっすり眠ってるわ。初めての街ではしゃいでたから少し疲れたのかもしれないわね」
フロリスはそう答えながら彼の隣に座った。
そして小さく息をつくと、ゆっくりと口を開いた。
「・・・街にまで噂が広がっているらしいわ。まだ確証のない単なる噂止まりみたいだけど」
フロリスの言葉が静かに響く。
アランはゆっくりと息を吐きながら言った。
「時間の問題だったんだよ。いくら宮廷から箝口令が降りていたとしても、こればかりは防ぎようがないからね」
騎士団は守秘義務を遵守したとしても、アラン達が報告として挙げた書類を読んだ者たちが内々で勝手に噂を広げた可能性もある。
早く情報を得た者が生き残り、遅れた者は衰退していく。貴族の世界とはそんなものだ。
アランはそっと向かいの席に座る人物を見据えた。
「これからどうする?ブレイド。」
アランに問いかけられ、向かいのソファーに座っていたブレイドは、閉じていた目をゆっくりと開けた。
そして深紅の瞳でアランとフロリスを見据えると、ブレイドの後ろに立っていたルイスが差し出した手紙を受け取り、それをテーブルの上に置いた。
「父上からだ」
手紙の送り主を伝えると、アランとフロリスが息を呑んだのがわかった。
ブレイドはその手紙を見つめながら言った。
「近いうちに帝都へ行くことになるからそのつもりでいてくれ」
「「!」」
「俺も、覚悟を決めないとな・・・」
ブレイドの言葉が、薄暗い部屋に重く響いた――。
少しでも面白いと思っていただけましたら、ブックマークやいいね、評価を頂けますと嬉しいです。
作者のやる気に繋がります!
今回も私の拙い小説をお読みいただきありがとうございました。




