1 私は生きている
いつも通り、会社に出勤していた。
ただ、いつもより少し起きるのが遅れたから、いつもの電車に間に合わなくて次の電車に乗った。
そして駅から会社へと続くいつもの道が工事で通行止めになってたから、遠回りしないといけなくなった。
会社に着くまでの、本当に些細な日常の変化。
・・・の筈だった。
唐突に聞こえた女性の叫び声。
振り返るとフードを被った男性が追突してきた。
同時に感じた腹部の強烈な痛み。
震える体で視線を落とすと、私の体には深々と包丁が刺さっていた。
「(さ、された・・・・・・?)」
認識したとたんに痛みが倍増する。
荒々しく包丁を引き抜かれて鮮血が噴出した。
男が離れて寄りかかることができなくなった私の体は地面へと崩れ落ちた。
乾いていたアスファルトに次々と深紅が広がっていく。
「・・・っだ、れか・・・」
必死に声を出すけれど、今いる歩道には私の他に倒れている人を介抱する通行人の姿だけ。
誰かが走ってきて私の前で屈んでくれた。女性が必死に声をかけてくれているのは分かるが、もうなんて言っているのか分からない。
「(あぁ・・・、人ってこうやって運命が左右されていくんだな。
もっと早く起きればよかった・・・)」
そんなことをぼんやりと考えながら、ゆっくりと目を閉じた。
――・・・暖かい風が頬を撫でている。
土と、草の香りがする。
目を開けると、そこは草原だった。ゆっくりと上体を起こすと、辺り一面綺麗な新緑が広がっていて、ほう、と息を吐いた。
ここはきっと天国なのだろう。
だって、私が刺された場所はビル街の歩道だから。
だから私はきっと・・・・・・。
「あっけない人生だったな・・・」
小さな呟きは風の音にかき消された。
会社と家の往復ばかりじゃなくて、もっと遊びたかった。
恋愛だってしてみたかった。
なのに、ただひたすらやりたくない仕事をやって、貯めたお金で旅行に行こう、なんて細やかな夢も叶えられずに私の人生は終わってしまった。
「あーあ・・・」
涙が頬を伝った。
「大丈夫か?」
突然、声が聞こえた。
ゆっくり振り返ると、そこには少年が立っていた。
十歳くらいだろうか。少し釣り目で、声が低く短髪でなかったら女の子に見間違うほど端正な顔立ちをしている少年だった。
中世ヨーロッパ風の世界観を舞台にしたファンタジー小説の物語に出てくるような平民の服を身に纏う少年。
私が泣いているのに気づいて、少年は口をつぐんだ。
戸惑っているのか、少し視線を泳がせた後私の前にしゃがんだ。
「どこか怪我してるのか?」
視線を合わせて先程より少し優しく問いかけてくれた。
私は涙を流しながら、声を出すこともせず首を横に振った。
自分の人生の幕があっけなく終わってしまったことへのショックが大きすぎて、言葉を発する気力も無かった。
すると暫しの沈黙の後、少年は立ち上がり、私の目の前に彼の手をそっと差し出して言った。
「歩けるか?」
こくん、と頷いて少年の掌に自身の手を重ねた。
その時に気づいた。
自分の手が少年よりも小さいことに。
そっと少年から手を離して自分の両手を見た。
「(なんで私の手、こんなに小さいの?私、この子よりもずっと大人なのに・・・)」
すると風が吹き自分の髪がサラサラと靡いた。私の手と顔の間を長い髪が優雅に揺れる。
「(!私の髪、こんな色じゃない・・・!)」
ゆらゆらと揺れる髪は濃い紫色。
驚いて身動ぐと足元の草がサクッと音を立てた。
頬を撫でる風も、
土や草の香りも、
まるで生きている時と変わらないような・・・
「い、きて、る・・・?」
「ん?」
私の声が聞こえたのか、少年が聞き返した。
震える唇を懸命に動かして声を絞り出した。
「わたし、生きてるの・・・?」
私の問いに少年は少し驚いたような顔をしたが、すぐに真剣な表情になった。
そして、また先程と同じようにしゃがむと、そっと私の右手を掴んで持ち上げ、掌を私の左胸に当てた。
それから、私の左手を少年の左胸に。
「!」
私の掌を通して、自分の鼓動と少年の鼓動が伝わってくる。
規則正しい速度で、力強く。
「わかるか?」
少年が真っ直ぐ私を見つめて言った。
「俺も、お前も、生きてる。」
少年の言葉に、私の瞳からまた涙が溢れ出した。
生きてる。
何故自分の姿が変わっているのか、一体ここが何処なのか、分からないことだらけなのに、
自分が生きている、それが分かっただけでもう充分だった。
少年は私が泣き止むまで静かに待っていてくれた。
気持ちが落ち着いてきて、ゆっくりと深呼吸をする。
「落ち着いたか?」
少年の問いかけに頷くと、少年は立ち上がってまたこちらに手を差し出してくれた。
今度はその手をしっかりと握ると、少年は優しく手を引いて私を立たせてくれた。
ゆっくりとした足取りでどこかへ向かう少年。
「お前、どこから来たんだ?」
少年は前を向いて歩きながら尋ねた。
「わからない、です」
「親は?」
「・・・わかりません」
そう、分からないことだらけだった。
何故、自分が全くの別人になっているのか。
何故、私があそこにいたのか。
もしかしたら、今私の動かしているこの体の持ち主には親がいるのかもしれない。
今頃この子を心配して必死で探しているのだろうか・・・。
私の言葉に少年は、そうか、と短く答えた後黙ってしまった。
少年を困らせてしまったかもしれない。
それでも、現状が全く分からない私が頼れるのは、目の前のこの少年だけだった。
少年に手を引かれるまま歩いていくと、少年の進む小高い丘の先に、木々に囲まれた屋敷があった。
屋敷の前には花壇があり、紫、青、白など多種多様な花々が咲き誇っている。
少年は慣れたようにその屋敷の扉を開けて中に入ると、ちょうど二階から降りてきた男性がこちらに気付いた。
「おかえりブレイド。・・・おや?その子はどうしたんだい?」
男性が少年の後ろに立つ私を見て少年に尋ねた。
「そこで拾った」
「拾ったって・・・」
男性は少年の言葉に戸惑いながら私を見た。
戸惑うのも無理はない。犬や猫を拾ってくるのとは訳が違うのだから。
「そこの草原で見つけた。自分のことが分からないみたいだ」
少年の声が聞こえたのか、奥の部屋から女性が現れた。
「あらまぁ、可愛い女の子」
女性は足早にこちらに歩いてくると、私の目の前で腰をかがめた。
そして私の顔を覗き込み、ニコッと優しい笑顔を向けてくれた。
「八歳くらいかしら?お名前は?」
「あ、・・・」
言葉に詰まってしまった。
この体になる前の私の名前を名乗るのはきっと違うだろう。
でも、この体の持ち主の名前が分からない。
私は俯きながらそっと口を開いた。
「・・・わかりません」
わからない。そう答えるしかなかった。
ここがどこなのか。
この体が誰のものなのか。
誰に何を何度聞かれても、私は何も答えられない。
分からないことだらけだった。
しかし、目の前で屈んでくれている女性は、私の答えに動揺することなくまた優しく微笑むと、そっと私の頭を撫でてくれた。
「そう、大変だったわね。もう大丈夫よ」
"大丈夫"。
そう言いながら天使のような慈愛に満ちた表情で優しく何度も頭を撫でてくれる女性に、胸が苦しくなった。
彼女がこの体の持ち主に言っているのではなく、"私"に言ってくれているような気がしたから。
「――・・・っ」
色々な感情が込み上げてきて、涙がまた溢れ出してきた。
怖かった。
痛かった。
でも、もうすべて終わってしまったのだ。
私は"私"で無くなったのだ。
声を上げて泣く私を、女性はそっと抱き締めてくれた。
何度も何度も、背中を優しく撫でてくれた。
こんなに泣くなんていつぶりだろう、そんなことをぼんやりと思いながら女性の体にしがみついて泣いた。
紗羽と申します。
今回はじめて皆様の目に触れる形で小説を書かせていただいています。
誤字脱字など多々あるかと思いますが、温かい目でそっと見守っていただけると有難いです。
よろしくお願いいたします。
少しでも面白いと思っていただけましたら、ブックマークやいいね、評価を頂けますと嬉しいです。
作者のやる気に繋がります!
今回も私の拙い小説をお読みいただきありがとうございました。




