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序章:なぜ今、“世界の構造”を考えるのか?

かつて、企業における「出世」や「昇進」は、一定の努力に対する報酬であり、安定と権威の象徴であった。しかし現代において、リーダーや管理職を目指す人間は減少しており、企業の中核となる人材の育成が滞っている。これは一時的な人材不足ではなく、日本社会全体の構造的問題である。


現代の若年層は、管理職の役割に対して「割に合わない」「責任が重く、報われない」「ワークライフバランスが崩れる」など、明確な拒否反応を示す傾向がある。これは個人の意欲や性格の問題ではなく、むしろ合理的判断の結果である。多くの企業が長らく、業務過多・責任過多・報酬低めの“割に合わない職位”として管理職を運用してきた。結果として、能力のある人材ほどリーダー職を避け、成長意欲のある人ほど転職するという逆転現象が起きている。


さらに、リーダーの多くが“プレイングマネージャー”としてプレイヤー業務とマネジメント業務を両立させられている現実がある。これは、構造として無理がある。マネジメントというのは本来「人を育てること」であるにもかかわらず、現場業務で手一杯のリーダーに、その時間的・精神的余力は残されていない。若手にとっては、上司の姿が“疲れ果てた失敗例”にしか見えないのも無理はない。


リーダーが不足するのは、若者が劣化したからでも、責任感が薄れたからでもない。むしろ、変化する時代に適応し、合理性を重視する人が増えたことの証左である。問題は彼らの選択ではなく、「リーダー職の設計そのものが時代遅れになっていること」なのだ。


そして、根本的な構造改革を行わないまま、「意欲がない」「教えがいがない」と嘆く上層部の姿こそが、若者をさらに遠ざけている。これはもはや文化的断絶であり、企業体力の低下を加速させる温床になっている。


我々が直視すべきは、「リーダー不足」という現象そのものではない。なぜ、今の構造ではリーダーが生まれないのか? なぜ意欲が湧かないのか? その問いを、責任転嫁ではなく論理と構造の側から再設計する時が来ている。企業におけるリーダーシップとは、単なるポジションではなく、“循環するべき機能”であるべきだ。



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