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第0話 山羊の男

人が死にます

「主の僕らよ。谷間にてひれ伏し祈りを奉らん。高き天の君、無限の威光にて座します神よ。御業は光り輝き、御声は天地を震わす。


塵より生まれし我ら、風に舞う葉末のごとし。人の力、微少にして、荒波に呑み込まるる砂礫の如く。然れど主の御手は大海を束ね、砂粒を数え給う。


苦悩の時節に際し、我ら叫び祈らんと期す。主の慈悲にて御救いを賜わらんことを。絶ゆることなき祈りにて、主の面影を求め、その御慈愛と御憐れみを仰ぎ望まん。


畏き主の御座にて、我ら魂は憩いを得、彼の愛の懐にて心は静けさを知るなり。…ってな」


 警備員の男達の手足の口元に布を巻き付け、結束バンドで拘束しながら、山羊のフルフェイスマスクをした男は続ける。


「祈りはいつだってできる。神に祈るんだ。私をお助けください。目の前の悪魔に天罰をお与えくださいってな」


「フゥ…フゥ…!」


 警備員の1人が血走った目でマスクの男を見つめる。


「おお!賢いな…正解だぜ。あんまり騒がない方がお互いのためだよな。その布は息を吸い込むほど吸い込まれていく。昔モンテカルロで強盗した時…馬鹿みたいに騒いだ女が…」


「おい、従業員は全員縛ったぜ。喋ってる暇があるならもっと早くしてくれないか」


 銀行員を拘束し終えた仲間の狐のマスクが右足を揺すりながら不服そうに受付の椅子に座っていた。


「流石、仕事が早いじゃないの♡」


 マスクの男はそう言いながら受付の椅子に座っている狐に近寄ると、持っていたライフルで受付の机下の非常通報用のボタンを殴りつけ破壊した。


「脅かすなよ」


「えへへ♡さてと、これで俺達の役割はおしまい。新人ウサギちゃんの様子を見に行くぞ。」


 2人はそう言って受付の窓以外を壁に隔たれるロビーに戻った。


「こっちの警備員と従業員は全員制圧した。受付から見てたが、一発撃ったよな」


「キツネ、店の前の様子を見てこい」


「ああ」


 山羊が辺りを見渡すと、左肩から大量に血を流した恰幅の良い男が壁にもたれかかっていた。


「客の1人が抵抗しやがるから、見せしめに一発な…」


 兎がそう言い切る前に山羊は兎の肩を掴むと銀行の壁に勢いよく押し付け、マスク越しに顔を近づけた。


「なぁ、かわいいかわいい俺のウサちゃん、こっちを見ろ。こっちだ。目を逸らすな。いいか?ウチは自分のミスには責任を持ってもらうぜ。キツネ!警察は!居るか!………おい!…おい!さっさと返事しやがれ!」


 狐は銀行の扉を結んでいた紐を切って少しだけ開けると、隙間から鏡を差し込み外の様子を確認していた。


「ありえねぇ!居るってだけでツイてねぇのに20台以上は居るぞ!異音を聞き付けて様子を見に来た近所のサツにしては多すぎる。そいつまさか…」


「はぁ?!ち…!ちちち違う!俺はスパイなんかじゃ…!」


「おいおいウサちゃん、今は俺と話をしてるんだ。俺を見ろ。俺の声を聞け。客に通報はされてないんだよな?」


「ああ…!ここに全員分の携帯を没収してる!数も数えた!携帯を操作している所も見てない!」


 兎の男はそう言って肩にかけた赤いスポーツバッグからずた袋を取り出した。


「じゃあなんで昼間っからこんなに警察の皆さんがお集まりになられているんだ?変だよな?」


「わ…わかんねぇよ…!もう離して…」


「おい…やっぱそいつスパイだろ。撃ち殺して店の外に投げ出せばサツもいくらか怯む」


「違う!違う違う違う違う違う!俺はスパイなんかじゃ…!」


「シーーー…慌てるな…静かに俺を見ろ…俺はな…お前がどこの誰で何が好きで俺達をどうしたいかなんてどうでもいいんだよ。大事なのは結果だけだ。分かってんのか?このクソ無能が!」


「ひぃぃぃぃ!許してくれ!助けて…」


 言い合うマスクの男達を見ながらもたれかかっていた男は笑いだした。


「ハハハ…ハアハア…悪人どもめ…!仲間割れしだしたな…!」


 男が荒い息使いでそう話すと、着ていたジャケットの左ポケットから携帯を取りだした。


「俺は警部だ…。私用とは別に業務用の携帯を持っているんだよ…ハァ…ハァ…撃たれた左肩を…庇うふりをして…ジャケットの中で通報ではなく職場に連絡した…!聞きつけた同僚達が駆けつけてくれたって訳だ…!ハア…!運が悪かったな…!悪人ども…!」


「テメェ…!」


 狐が駆け寄ると携帯を奪いさり顔を殴り付けた。警部の男は鼻血を垂らしながら床に這い蹲る。


「…安心しろ…お前ら全員…俺達が捕まえるんだ…特にそこの山羊男…!お前もついにここで終わりだ…!」


「フフ…そうか。運が悪いか。フフ…フフフ…ハハハ…!ハハハハハハ!アーッハッハッハッハッ!俺の許可なしに冗談言ってんじゃねぇよ。一番運が悪いのが誰か、今から教えてやるよ」


 男はそう言うと床で小さくなっていた兎を起こした。


「俺の可愛いウサちゃんよ、こいつを撃った銃を貸してくれよ」


「あ…ああ…」


 兎は震える手でバッグを開けピストルを取り出すと山羊に手渡した。


「さっさとそいつを撃ち殺してくれ…警察共に分からせてや…」


バァン!!!


「ぐぅああああああ!」


 山羊は迷わず兎の左肩を撃つと、兎は再び床に倒れ転げ回る。


「ヤギ…お前何して…」


 流石の狐もこれには面を食らってその場から動けずに居る。


「これ、どういう状況」


 その時、青いスポーツバッグを猫のマスクをした女が1つ、体格の大きな牛のマスクの男が3つ持って地下の金庫から戻ってきた。


「おお〜おかえり」


「ウサギが撃たれているな。それにそこの男も。外のサイレンを聞くに既に想定の何倍もの警察が来ているようだが逃げる方法は計画通りか?」


「なんでこうなったかに関しては俺が話すと長くなるからキツネにでも聞いてくれ。計画は変更だ、もう既に考えてある。さーてと…テメェはいつまでのたうち回ってんだよッ!」


 山羊は兎の顔を蹴飛ばすと、鼻血を出しながら兎の大きな身体はゴロゴロ転がり警部の男の横に転がった。  山羊は兎の頭を踏みつけ床に押さえつける。


「なぁキツネ、ウサちゃんとこの警部の共通点…分かるか?」


「あ…?あぁ…まぁ強いて言うな…」


「そうだよなぁ!?どっちもデブだよなぁ!?」


「あと、どちらも白人で茶髪で身長も同程度だ」


「その通りだ。ウッシーは流石賢いな♪」


「……お前…なにを…?」


「そして、そしてそしてそしてェ〜!たまたまこの哀れな2人は今、共に左肩を撃たれ、鼻血を出すほど顔を負傷している。こりゃあもう。マスクをつけたらどっちがどっちだか分かんねぇよなぁ?」


「………???」


「キツネ!ウサギの赤いバッグから予備のマスクを出せ!!楽しいレクリエーションの時間だ!」


「貴様らは包囲されている!人質を解放しない場合、間もなく特殊部隊が突入する!」


 山羊のジャケットで携帯が鳴り出した。


「おっサルちゃんからだ♪」


 「山羊、聞こえるか。言っておくが外のあれはホラじゃない。警察無線をハックしたが、特殊部隊様がヘリでそっちに向かってる。言っておくが1台や2台じゃないぞ。アメリカは本気でお前達を捕まえるつもりだ」


「分かってる。それより計画の変更だ。今すぐトレーラーを…」




「特殊部隊が到着しました。突撃の許可を」


「待て…一度奴らの出方を待つ」


「それでは人質が…!」


「それで突撃したNYの連中はどうなった!奴らは素人じゃない!」


「おい!扉が空くぞ!構えろ!」


 ゆっくりと銀行の扉が開かれる。銀行をパトカーで取り囲んだ警察が一斉に銃を構えカチャカチャという音が鳴り響いた。

 銀行の中からは黒のスーツに赤いスポーツバッグを肩にかけ山羊のマスクをした男が一人現れた。


「間違いありません!山羊の被り物…!連続強盗犯の主犯です…!」


 山羊は赤いスポーツバッグからメガホンを取り出すと、マスクを少し上にずらして話し始めた。


「あーあーあーテストテスト……ごきげんよう!ロサンゼルス市警の皆さん。いや〜悪いね〜木曜の昼過ぎから。計画通りだとアナタ達の出る幕はなかったんだが、少々予定が狂ってね」


「人質を解放しろ!」


「わーかってる!わかってるって!まぁ聞けよ。そう銃を構えるな。そうだな。ゲームをしないか? 」


「…!?我々警察は取り引きには応じな…」


「取引じゃない。ゲームだ。レクリエーション。ガキでも出来る。楽しいゲームだよ。」


「動くな!無許可で歩き回るんじゃない!」


「まずはキャストを紹介してやろう!俺はヤギとして、そこの女がネコ。金庫破りの達人だ。見たらわかるように、あの青いバッグの中には金がパンパンに詰まっている。そしてよく聞け?俺が指示をすればこいつが持ってるライフルで人質全員を撃ち殺す。俺が死んだり撃たれても撃ち殺す。あー待て待て構えんな、まだ殺さねぇよ」


「スナイパーから、何時でも撃てるとの連絡が。どうします…?」


「待て…奴は本気だ…人質優先だぞ」


 ざわざわとする警察を無視して男は続ける。


「それと…そろそろ到着するだろうが…あっ!来た来た」


 山羊の視線の先には大型のトレーラーが銀行の方へ一直線に向かってきていた。


「あー避けないと轢かれるぜ。そう指示してるし」


 男の言葉通りトレーラーは一切スピードを緩めずにパトカーを2台蹴散らすと銀行の前に急ブレーキを踏んで止まった。トレーラーから猿のマスクをした男が飛び出すと、荷台の扉を開ける作業に入る。


「貴様ァ!何をしている!」


「付き合っていられません!発砲の許可を!」


「しかし人質が!」


 警察の会話を気にせずに、猿の男は荷台からバイクを1台ずつ運び出し、銀行の前に5台のバイクが並んだ。


「彼はサルだ。裏方だな。俺達の逃走手段を用意しているが、安心しろ。まだ逃げない。」


「…!この期に及んでまだ逃げられると…!」


「そして、今回のゲームの主役共をお呼びしよう!手拍子の準備はいいかぁー!?」


 張り詰めた緊張の中、山羊の男の手拍子だけがパンパンと響く。と同時に人質として拘束された二人の兎のマスクの男が銀行の中から出てきた。青いバッグを持った狐と牛に頭に銃を突きつけられている。


「人質を抑えてるのはキツネとウシ。見たまんまだな。どっちも頼りになるやつだ。そして抑えられているウサギが2匹!こいつらが今回の素敵な主役だ〜〜拍手!!!!」


 手拍子と同じく山羊の拍手だけが銀行の前に乾いて響いた。


「ルールは簡単!この2匹の憐れなウサちゃんズは〜〜〜??どちらか片方が俺と強盗してくれたミルトン・ターナーくんで、もう片方が勇敢にも俺達を通報してくれたロサンゼルス市警警部のランディ・マイヤーズ警部です。さてッ!どちらが警部でしょう!アナタ達が警部を当てることができた時、ゲームに参加していれば大人しく俺達は投降するぜ」


「正気か…?」


「け…警察を愚弄しているのか…?」


 山羊のあまりにも突拍子のない態度に警察の中には怒りを通り越し呆れる者さえ居た。山羊男が一人で醸し出す奇妙な空気感に場が飲み込まれかけていた。


「ちなみに、お前らが一発でも撃ったり余計なことをすれば中の人質も含め全員殺してやるよ。試しに1人殺して窓から吊るしてやろうか?」


 山羊の男はそう言って肩にかけた赤いバッグからピストルを取り出した。その瞬間、銃を握る手が甘くなっていた警官達も慌てて構え直す。


「あー冗談だよ冗談。分かってるよ。俺は信じてる。お前らはちゃんとゲームに参加してくれるってな。それに、無駄な争いはそっちが損するだけだ。“NYのヤツら”で学んだだろ?“ラスベガス”も記憶に新しいか?」


 男がそう言うと警察の何人かが息を飲んだ。すると、警察や特殊部隊を押しのけて女性が包囲網の最前列に現れる。


「あぁ…貴方…!」


 女性は泣き崩れながらひたすらそう呟いている。


「おぉ〜もしかして…マイヤーズ警部の奥さんですか?どうです〜?このどちらかの下着に見覚えは〜?ンン〜?もしかしたら履き替えさせるって手を俺が思いついてない可能性だってあるからな〜?」


 山羊は左腕につけた腕時計を覗き込むと、両手を突き上げ指を7本立てた。


「7分後、午後の3時になったら答えを聞くぜ。それじゃ、俺はお手洗いでも済ましてくるわ。おつかれ〜」


 そう言うと、山羊は銀行の中に姿を隠した。





 7分後、銀行の扉が再び開き、山羊が現れた。


「それじゃ、答えを聞こうか」


「わ…我々警察は…!取引には!」


「だからぁ…取引じゃな…ん?」


 最前列で吐きそうな顔で座り込む警部の妻の影から、10歳程度の女の子が現れた。


「おお…!もしかしてマイヤーズ警部のお嬢さんか?さっすがマイヤーズ警部だぜ。美人な奥さんに可愛らしい娘!よっ!俺達の憧れ!マイヤーズ警部!」


「下がりなさいっ!」


「スージー!駄目!」


「なんだ?近くで見たいか?今回だけの特別だぞ〜?それにしても目元がそっくりだな!なぁ!警察!お前らもそう思うだろ?」


 娘は震える足で、それでいてしっかりとした足取りで二人の兎の前まで歩みを進めた。

 娘は山羊男から見て左側、警察や周りから見て右に居る兎男を注意深く見つめると静かに呟き始めた。


「パパの腕には、私が小さい頃にキャンプで負った火傷の痕があるの。薪に手を入れそうになった私を慌てて抱き寄せた時の痕。もうかなり薄くなったけれど、ついこの間、残っていたのを見たわ。だから、パパはこっち。」


 娘はそう言って、牛が抑え込む右の兎男に指を指した。


「本当に?」


「えぇそうよ」


「本当に本当に本当に???」


「えぇ、間違いないわ。だから離して」


「こっちの奴は父親じゃないっつーんだな!?なぁ!おい!」


「早く、離して」


「…………チッ…正解だよ。お見事じゃないの。仮面を外して解放してやれ」


「パパ…!」


「スージー…!ありがとう…!ありがとう…!」


「クソ…!クソっクソっクソっ!」


 山羊の男はその場で地団駄を踏んで一通り悔しがると、左手の腕時計に目を通す素振りをした。


「おい!早く投降しろ!貴様が言い出したゲームだろう!」


「投降?あぁそうか。そういうルールだったっけ。それじゃ、合図の時間だ。キツネ、銃貸せ」


「ああ」


「おいおい…このままサツに捕まるのか…お前が…?お前ほどの男が…?こんなあっけな…」


 バァンッ!!!



「キャーーッッ!!!」


 山羊は狐から手渡されたピストルをそのまま兎男に構えると頭を撃ち抜いた。


「んで!てめぇ!腕に火傷してねぇんだよ!クソっクソっクソっクソオオオオオ!!!!」


バァンッ!!バァンッ!!バァンッ!!バァンッ!!


 山羊は何発も、弾切れになるまで撃ち続けた。


「そいつは仲間じゃないのか!?」


「血迷ったか!?」


「もういい!突撃して拘束するぞ!」


 警官の一人がそう言ってトランシーバーを手にした瞬間、横にいた別の警官が撃たれた。それは銀行とは別の方向からだった。


「な…なんだ!?」


「ギャングだ!南の方角からギャングが来ている!」


「こっちからもだ!」


「1つや2つじゃない!この地域のいくつものギャングが集団で襲ってきている!」


 30秒も経たないうちに強盗現場から警察とギャングの抗争に姿を変え、兎男の死は急速に忘れられていく。


「だ〜れも俺達を見ていない。パトカーに隠れて元気に銃撃戦だ。これじゃ、“ゲームに参加してる”とは言えないよな。」


 山羊は気分よく周りを見渡していると、警部の娘が震えながらこちらを睨んでいることに気づいた。


「なんだその顔は?助かったろ?笑えよ?神に

感謝は?ほら、どうした?感謝しろ。早くこうやって…手を合わしてな…」


「娘には指一本触れさせないぞ!この悪魔め…!」


「悪魔?悪魔ねぇ…よーくわかってるじゃないか…」


「早くバイクに乗れ!逃げるぞ!」


 牛が銀行の中から残りの青のバッグを運び出してきた。


「おサルちゃん、これ持っててくれ」


 山羊も赤のスポーツバッグを猿に手渡し、牛から青いスポーツバッグを受け取る。


「報酬はここに置いておくぜギャング共。早い者勝ちだ」


 山羊は死体の腹に青いスポーツバッグを載せると、先頭のバイクに股がった。


「それじゃ、ごきげんよう」


 獣の群れは銃撃戦を尻目に銀行から離れていった。




「それにしてもよくあの短時間でギャングの幹部共の連絡先が分かったなおサルちゃん」


 獣の群れは郊外に出る頃には警察を撒き、一時的にアジトとして使っていた空きテナントに集合していた。


「まぁな。しかし良かったのか?ウサギを始末したから多少は一人あたりの割合が増えるが、報酬の4分の1はデカイぞ」


「まぁ聞け。俺がわざとらしく赤のバッグから銃やメガホンを取り出したのは、赤には強盗用の道具が詰まっていることを強調するためだ。事実、赤のスポーツバッグが道具用なのは正解で、だからこそ兎に持たせてたし予備のマスクもその中だった。その後出てきた金庫破りのネコやキツネ、ウシが青いバッグを持っているのを見て、奴らは青のバッグの中身は金で赤のバッグは強盗道具だと思い込む。中身を入れ替えることなんぞ3分もあればできるのにな」


「奴らは人質ゲームに気を取られバッグの中身にまで思考を裂けなかった。おかげで青いバッグの1つを渡すと言っただけでいくつものギャングが食いついてきたって訳だ」


「悪人め」


「クズ…」


「正直引いたぜ…」


「言葉にできない」


「おいおい、お前らまでそんな事言うなよ。それより集合場所は飛行機を隠した例の場所だ。3日後の朝8時。それまでは身を隠せ。いいな」


 山羊の号令で獣達は散り散りに散っていった。




 ロサンゼルスから西海岸沿いに数km走った海沿いの道路を男がバイクで走っていた。

 強盗団首領のその男は警察を撒いた後、市内に予め用意していた場所で山羊のマスク、スーツ、スポーツバッグ、ピストルなどの持ち物とバイクを跡形もなく“処理”し、金を用意していたスーツケースに仕舞うとそのまま地下鉄で市の反対側まで移動した。

 地下鉄を降りた先でまた指定の場所で証拠を残さずに服を着替え、金をスーツケースからバッグパックに移し替えると、空きビルの駐車場に用意していた新しいバイクに跨り男は優雅にロサンゼルスを脱出したのだった。

 それから数時間後、日付が変わってしばらく経った頃、男は森の奥深くに掘っていた穴にバイクを埋め終わり、海岸と森に挟まれた寂れた田舎町を1人軽やかに歩いていた。


 「♪♪♪〜」


 男は慎重だった。だからこそ初めての強盗から、初めての犯罪から既に完璧な警察への対策が練られていた。ゆえに男は、意地でも男を捕まえようと執着する存在への対処を甘く見ていたのかもしれない。

 町外れの空き家のガレージを開けると、3台目のバイクが置かれている。1台目も2台目も、男が犯罪に使うバイクは全てメーカーも車種も年代もバラバラである。唯一の共通点はアメリカのどこでも買えるというだけだった。

 エンジンをかけ、いざペダルを踏もうとしたところで男の視界がいきなり眩しくなった。


「あはは〜すみません、夜分遅くにお騒がせしてしまって。実は…バイクの調子が悪くなってしまいまして、見たところ空き家のようだったので、一度ガレージだけお借りしてバイクの様子を見たくて…」


 苦しい言い訳だった。とにかく男はこの場から立ち去りたかった。なるべく情報を残さずに。


「見たところバイクはもう大丈夫なようなので…それでは…」


「あら、もう行ってしまうのですか?」


その声は男にとって聞き馴染みのある声だった。男はハンドルから右手を離すと懐のピストルを握り締めた。


「ロサンゼルスまでご苦労じゃないの、イスタンブール以来か?いや、デンバーの時は現地に来ていたらしいが」


世界各地で犯罪を犯してきた男にとって、その女は一度逃げ果せてから自分をいつまでも何度も追いかけ回してくる厄介な存在だった。


「遂に貴方を捕まえる時が来ましたよ」


女の殊勝な口ぶりとは裏腹に、男の目から見ても光源は2つ以上確認できない。


「お仲間は居ないようだが、1人で俺を捕まえる気か?」


「“悪魔に取り憑かれた女刑事”がロサンゼルス以北の西海岸の空き家を虱潰しにバイクがあるか調べますと言い出して、付き合うような異常な人間が居なかっただけです」


「可哀想に…アンタに仲間がもう少し居れば、俺だってちょっとは捕まる可能性があったのにな」


「同情は要りません。必要なのは貴方の身柄だけです」


 男がよく見ると、女刑事はバイクに股がっている。場は二重のエンジン音が響いていた。

 どうやら一人で捕まえるのは本気らしい。

 

 不意に男がエンジンをフル回転させると、女を振り払うかのようにガレージから飛び出し深夜の田舎町を爆走した。

 乱入するように崖沿いの大きな道路に出ると、さらに急加速していく。

 男はバイクの運転には自信があった。平凡な車種のこのバイクでも、女一人振り切る自信は当然として備わっていた。

 だからこそ、振り返って想像の十分の一の距離に女刑事が迫っていた時、男は驚いてバランスを崩しかけた。


「どんな改造してんだ!クソ!」


 女刑事のバイクは異音を鳴らしながら男のバイクの左に並走し始めた。女は何も言わずにこちらを見つめどんどん距離を詰めていく。


「いくらツーリングデートでも並走は危険じゃねぇのか!?刑事殿!」


 女刑事は逃げる男のバイクを崖沿いに設置されたガードレールに接触する限界まで左に追い込む。逆走だろうがお構い無しにここで捕まえるつもりだった。


「いくら深夜でも逆走はまずい!早く右側に戻らねぇと!」


 しかし、女刑事はスピードを緩めることなくピタッと男を並走し続ける。

 男が銃を手に取るか迷っていると、先に女刑事がハンドルから手を離す。

 男が銃を警戒していると、女刑事は着ていたコートの左の袖を捲り上げた。女刑事の左腕には手錠がかかっており、手錠の反対側は空いていた。


「なんだ!走りながら手錠でもかけるつもりか!?」


 女刑事は手錠の反対側を素早く手に取ると、ハンドルを握っていた男の右腕にかけた。


「今のは冗談に決まってんだろこのイカレ女ァ!」


 深夜の西海岸を猛スピードで並走している2台目のバイクは今や手錠を通して繋がれていた。男はこれまでの犯罪人生で最も焦っていた。

 急加速しようと急減速しようと、腕はただではすまない。こっから右腕を無事に手錠を外すには横の女刑事を説得して車体を合わせるように同じタイミングで減速して手錠の鍵を奪い取るしかない。

  男が銃を握りしめ女刑事に構えようとした瞬間、急にまた視界が明るくなったかと思うと轟音が鳴り響いた。

 男は一瞬宙に浮き、ガードレールに引っかかった2台のバイクがトレーラーに蹴散らされていくのを目撃した。


  ロサンゼルスから数時間の距離とはいえ、冬の夜の海は冷たかった。早く海面に上がろうと泳ごうとするが、男こ右腕が上がらない。ヘルメット無しで崖から海面に叩きつけられた女刑事は完全に意識を失っていた。

 男の懸命の努力も虚しく女刑事は容赦なく海底に引きずり込まれていく。それにつられて男の右腕も沈んで身体が引っ張られる。

 月光で青白く光る冬の海面が次第に遠くなっていくことを見た男はニヤリと微笑むとそのまま沈んで行った。




「ここは…」


真っ暗な空間だった。どこまでも続くようで、すぐ行ったところで終わってるような気もする。そんな真っ暗な空間で、男の周りにだけ円状に光が指していた。


「そうか…死んだか…」


「人の子よ…」


 聞き覚えのない女の声がして、周りを見渡すといつの間にか鳥のような翼を生やした女が浮かんでいた。

 金髪のその女は、よく見ると背中の一対の大きな翼の他にも腕や脚の裏、側頭部にも翼を生やしている。

  色とりどりの宝石で装飾された真っ白なドレスに身を包み、首から大きな金色の鍵を下げている。


「お前、天使だろ?案外俗っぽい服着てるんだな」


「“イフルエル”とお呼びなさい。貴方達人間の為の名です。フフフ…天使の任に服装の規制はありませんからね」


「なんとまぁ羨ましいことだ。丁度俺もずぶ濡れだから着替えたいと思っていたが…乾いてるな…それで?イフルエルさん、貴女が天国へ俺を連れてってくれる訳だな?」


いつの間にかイフルエルの背後には巨大な扉が現れていた。神々しいその外観はまさに神の国を象徴しているようだった。


「フフ…なんと傲慢な人の子よ。もう一度、己の人生の悪業を省みなさい。貴方の行き先は、地獄以外相応しくはありません」


イフルエルは笑顔でそう言うと、男の背後に巨大な穴を開けた。


「その先が地獄です。そこで現世の行いを詳しく判別して、行くことになる階層を決めます。ここに居る分にはいくら居ても構いませんから、ゆっくりと覚悟を決めなさい。」


「あー…そのことだが、悪いが俺は地獄には落ちない」


「いいえ。貴方は地獄の行き先は地獄です。それもとてつもなく長い、永遠にも似た時を過ごすでしょう」


イフルエルは笑顔を崩さない。


「おかしいな…話は通してあると思ったんだが…」


「話…?たった今死んだばかりの人の子が何を…おかしな話をしますね…」


「契約だよ契約。俺は生前、悪魔と契約している。地獄には落ちないって契約をな」


男の言葉にイフルエルは初めて笑顔を崩した。目をゆっくりと開いて、男を碧色の目で睨みつける


「悪魔と契約…?人の子よ、天の使いの前であまり軽率な冗談を…」


「その通り!天の使いよ、この者は地獄には受け入れん」


その瞬間、猛々しい女の声が場に響き、いきなり男の左眼が赤い煙を出し始めた。男はどんどん煙が出てくる左眼を抑え、その場にうずくまる。


「クソ…!これ死んでからもそうなのかよ…キモいんだよ…!召喚の仕方が…!」


「何者!?」


 男の左眼が出す赤い煙は、段々と濃さを増し空中に滞留したかと思うと、今度は逆に薄くなっていき、中から何かの影が蠢いていた。


「貴方…まさか…!」


「我が名は“タアバット”。地獄の支配者が一人。よろしく頼もう。“天の使い”よ」


 声と共に煙が晴れ、タアバットの姿が顕現する。先程の煙のように赤い肌の女は頭から二本の山羊の角を生やし、臀部からはサソリのような尻尾が生えていた。

 一糸まとわぬ豊満な肉体には巨大な黒い蛇が巻き付き、タアバットはその蛇の頭を愛おしそう撫でた。


「久しぶり。相変わらず派手な格好だな。天使は服を着てOKらしいがアンタは着ないのか?」


「フン…久しいか。貴様にとっては長い年月も、我にとっては瞬きと同じよ。しかし、それにしては良き見せ物だった。死際は、案外呆気なかったがな。あと服に関しては貴様に言われんでも着る時は着る!」


「全くがっかりだよな。あの俺があんな死に様なんて、しかしまぁ、地獄の支配者とか何とかが受け入れないらしいぜ?どうするよイフたん」


「あ…!貴方のような人間の昇天など認められません!!」


「いいや、そちらに受け入れてもらう。地獄の管理は元はそちらが我々に一任したもの。そちらの拒否した魂をこちらが勝手に受け入れても、誰を受け入れ誰を拒否するかまでそちらに命令される筋合いはない」


「な…!だ…!だとしても…!貴方のような悪しき穢れた魂が天国に一歩でも足を踏み入れることを…!“主”がお許しになるはずがありません!!」


「ほう…?たかだか下位の天使が“意志”を代弁するか…」


「くっ…!悪魔風情が調子に乗って…!」


「おいおい、いいのかあんな言い草。お前悪魔の中じゃマジで偉いんだろ?」


「フン、強情な女は嫌いじゃない」


 タアバットは男の頭上でイフルエルを見えない力で引き寄せると、抱き寄せたまま蛇に自分とイフルエルを巻き付かせた。


「下からのアングルやっばいな。これだけで死んでよかったぜ」


「くっ…下賎な人の子が…!」


「貴様の言い分も最もだ。しかしだ、イフルエル殿。このまま貴女が天国への扉を開けず、私もこの男を地獄へ招かないとなると、この男の魂は行き場を失い悪霊として現世を彷徨い続けることになる。このレベルの悪だ。現世に残る他の悪霊を刺激し影響を与えるのは明らかだな」


「え…ええ…それは否定できません…」


「そちらにとってはこれも芳しくないであろう?現世に悪が滞留すればそれがまた新たに、より強力な悪を産む。歴史が証明してきたことだ」


「ええ…分かっています…」


「そこで提案だ。天の使いよ。この男にもう一度生を与えてみてはどうだろう」


「………転生…と言いたいのですね…?」


「…転生…?おい…おい!まさか…!待てよ…!」


「話が早いな。転生して新たな人生が始まれば“地獄にはおちない契約”は破棄され、もう一度この男が死んだ時、私は快く地獄に迎え入れられる…」


「やっぱりそれが狙いだったな…!」


 二人に巻きついていたタアバットの黒蛇がいきなり動き出し、男の左腕に噛み付いた。


「貴様を逃がすとでも思ったのか?長く存在してきたが、召喚した私を誑かし、あれ程破格の契約を結ばせた男はお前の他に居らん。大した男だ、地獄に落ちた暁には私と私の部下がたっぷりと嫐り辱め犯してやろう…貴様の“トラウマ”を掘り返してな…」


「…お…おい…離せ!…ま…まさか…イフルエル様…?まさかあのような淫魔の話に耳を傾ける訳じゃ…」


 タアバットの元を離れたイフルエルは少しの間天国への扉と黙って向かい合うとこちら側に振り返った。


「…悪魔の囁きに耳を貸すのは癪ですが…いいでしょう…この場合はそれが最善なのでしょう」


 イフルエルは手を合わせると、天国への扉と地獄への大穴の他に、もう1つ扉を作った。天国への扉のように巨大では無い、ただの木製のドアだった。


「転生先でも悪事を働くんだぞ、ちゃんと地獄に行けるように…な…♡」


 タアバットはそう言うと男の左腕に噛み付いた蛇頭から赤い煙を漂わせあっという間に煙は男の左腕をまるまる飲み込んだ。


「ふざけんな!何しやがる!俺は転生しねぇぞ!意地でもこの世にしがみついてやる!」


「この空間で私に勝るとでも思うのですか?人の子よ」


 イフルエルが手を合わせると木製のドアが開き、掃除機のように凄まじい勢いで男を吸い寄せた。


「フフハハハハ!地獄で待っているぞ!私の傀儡になる男よ!」


 タアバットはそう言うとそのまま赤い煙の中に姿を晦ました。


「待て!待って!話をしよう!今世の行いには反省してる!後悔してる!だから天国に入れてくれ!」


 男はドアの枠にしがみつきイフルエルに懇願した。


「天国に行きたい?フフッ簡単ですよ、来世で善い行いを積み重ねれば自ずと天国の扉は開きます。人の子よ。善く生きなさい。新たな人生に光あれ」


 イフルエルはそう言うと、扉と共に姿を隠した。


「ふざけんじゃねぇぞこのクソアマァ!伝書鳩が図に乗るんじゃあ…」


バタン!


 ドアは男を飲み込み、跡形もなく消え去った。

第0話構成上、俯瞰で物語を進めましたが第1話からは転生後の主人公目線で話を進めます。

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