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弐の4 仲間由紀恵の兄貴とクリステルの台本

 テレビ番組製作の初めての仕事は、社長が「フジテレビ」の夜のニュース番組に特集枠用として提案した企画だ。沖縄の大学に通っていたのだから土地勘があるだろうと、社長が手配した。国内で唯一の凄惨な地上戦が繰り広げられた沖縄本島の地中に今も多数残る戦時中の不発弾を処理する、陸上自衛隊の部隊に密着取材する。やはりおれより年下のベテランカメラマンと組んで二人で、懐かしい沖縄に飛んだ。


 大泉おおいずみというそのテレビカメラマンはミリタリーおたくで、自衛隊事情に詳しい。おれはテレビのことも自衛隊のことも分からないから、大泉に「おんぶに抱っこ」状態だ。レンタカーを借りて、運転だけは土地勘のあるおれが受け持った。


仲間由紀恵なかまゆきえ兄々(ニイニイ)なんだよ。女優のさ」

 滑走路を航空自衛隊が共同利用する那覇空港近くにある陸上自衛隊那覇駐屯地で、報道対応を担当する「渉外広報室」幹部と名刺交換をしていて、若い室員を紹介された。


《広報官 仲間義彦》


 名刺にはそう刷られている。

 女優の仲間由紀恵が沖縄出身であることは知っている。沖縄独特の姓であることから、本名だろうとは思っていた。

 本書を執筆にするため当時の名刺を確認したところ、仲間兄の名刺には、自衛官としての階級が刷られていない。三人会った渉外広報室のメンバー全員がそうだ。

 一方、取材対象である「第一〇一不発弾処理隊長」の名刺は、《二等陸佐》と刷られている。ほかの幹部も全員、階級入りの名刺だ。

 北海道勤務時代の名刺ホルダ―をクローゼットから引っ張り出し、取材で出入りしていた北海道、帯広駐屯地関連の名刺を探した。報道対応に当たる「総務課広報班」のメンバーは、ことごとく階級が伏せられている。そして、那覇駐屯地同様、班員以外の幹部はしっかり名刺に階級が刷り込まれている。

 地方の駐屯地は、その部署名からも分かるように、広報担当者が報道対応ばかりしているわけではない。報道関係者でも自衛隊周辺人物でもない民間人と名刺を交換する際に、軍隊を思わせる暴力的な階級名を示すことのデメリットを、自衛隊は排除しているのだ。

 帯広駐屯地でも那覇駐屯地でも、名刺を受け取った際には気にしなかった。報道担当者の名前や容姿が新聞にもテレビにも出る機会はないから確認の必要性を感じず、聴き取りもしなかったのだろう。

 同じく階級社会である警察、消防組織の取材相手は、報道対応部署の担当者の名刺にも、階級がかっちり入っている。今回の執筆を通して、「肩書き」というものについて改めて考えさせられた。


「由紀恵さんがこっちに帰ってくることはあるんですか」

 仲間兄に尋ねてみた。

「プライベートではもうまったくないですね。ありがたいことにとても忙しそうで。仕事で来て、合間にマネージャーと一緒に基地に寄ってくれたことはあります。基地の中を案内しました」

 妹と同じように、仲間兄はきりりとスマートでさわなかな印象だ。そういう素質が買われて地元駐屯地の広報官に抜擢されたのだろう。

「寂しいですね」

「あ、でもぼくが東京に行くときは由紀恵のマンションに泊まってますよ。部屋の合いかぎも預かってます」


 沖縄出身者が自衛官になることの困難さを、おれは知っている。自衛隊に対し島民は、親や祖父母を危険にさらし自決に追い込んだ旧日本軍に対するのと同じダークなイメージを持つ。広大な基地の内外で問題を起こす米軍人やその家族四万五千人のマイナスイメージより、沖縄を捨て石にし島民を見殺しにした旧日本軍の印象が残る自衛隊への嫌悪感が強い。

 おれが通った大学では、いまなお時代錯誤の学生活動家が暗躍し、若い自衛官、自衛官出身者の受験、入学を阻止している。


 そしておれは、不発弾の取材を通じて新たな事実を知った。東京で事前取材した段階では、把握できていなかった。

 沖縄祖国復帰二年後の一九七四年三月、那覇市内の「聖マタイ幼稚園」近くで下水道工事中のくい打ち機が地中の機雷に接触し、幼稚園のひなまつり行事に参加していた園児の三歳の妹と大人三人の合わせて四人が死亡した。爆発した機雷は、今も沖縄の各地に埋まる不発弾のほとんどである米軍のものではなく、旧日本軍が、上陸した米軍の行く手を阻むために敷設したものだった。

 ここまでは、東京での下調べが済んでいた。

 だけど、現地で取材して分かった。事故で犠牲になった唯一の子どもである女児は、沖縄の復帰で配備されたばかりの自衛隊の、現役隊員の娘だった。

 旧日本軍が残した不発弾で、その影を引きずる自衛官の娘が爆死した。この皮肉、不条理、因縁に、おれは寒気を覚えた。沖縄でのんきな学生時代を送りながら、そういう現代史を学ばなかった自分の愚鈍さに腹が立った。

 幼稚園の当時の園長、鬼本照男きもとてるおを探し出すことに成功し、カメラの前で語ってもらった。鬼本はその苗字から推察できる通り、沖縄出身ではない。山口県下関市生まれだ。キリスト教会の伝道師として沖縄に派遣され、幼稚園の園長に就任した。以来、ずっと沖縄で暮らしている。おれたちが会いに行った時、三十年以上前の事件のことを、はっきりと覚えていた。

 島での取材を終え東京に帰り、フジテレビを通じて、系列の「沖縄テレビ」に当時の映像資料を探してもらった。怒りのぶつけどころがない園児の母親らに糾弾される、若き日の鬼本が映っていた。


 自衛官は特殊任務を帯びる可能性があり個人情報について高い秘匿性が要求されるが、有名女優の実の兄が現役自衛官であるという事実と兄の実名は散々インターネットなどでさらされているから、本書ではそれと同程度の範囲にとどめ記した。容姿の写真はネットではヒットしなかった。妹同様、端正な顔立ちとよく通る声、小柄ながらもすらりと伸びる四肢を合わせ持つ。


滝川たきがわに読ませるコメント、これでいいですか」

 苦労して編集した素材をフジテレビに納品した後のオンエアの晩、おれとPRP社長と大泉は、フジテレビのスタジオで番組スタートを待っていた。

 夜のニュース番組のキャスター、滝川クリステルは、フジテレビ局員だった時期は一度もない。子会社の「共同テレビ」から出向して出演、その後、独立してフリーランスになった。

 キャスターのコメントはキャスター自身が考えているのだと、テレビ番組の製作現場を知らないおれは思っていた。それがキャスターの仕事だと勘違いしていた。実際には、台本があった。他人が書いていた。

「これ、違うよね」

 大泉が、フジテレビのディレクターから受け取った手書きの台本をおれに見せる。まったく違っている。フジのディレクターは、おれたちの取材成果を、納品した編集済み素材をどう見ていたのか。編集段階で、どういうつもりで度重なるダメ出しをしていたのか。問題の根幹、主張の意図を理解しないだけでなく、事実関係さえ彼は誤認していた。

 滝川クリステルは生放送で、新聞記者出身でテレビ未経験のおれが全文書き直した台本を、さも自分の意見であるかのように読み上げた。

 相方キャスターで正規局員の松本方哉まつもとまさやが、滝川に応じてコメントする。松本は正規の局員だしベテランだから、台本を自分で書いているのかもしれない。松本の台本を、おれたちは見ていない。だから、手直しされていない。

 あるいは、ベテラン局員の意地とプライドを誇示するために、台本なしで臨んでいるのかもしれない。ただ、事前の打ち合わせがうまくいかなかったのか原因がそれとは別のところにあるのか、おれがコメント台本を全文書き換えてしまった滝川クリステルとのオンエア上のやり取りは、まったくかみ合っていなかった。


(「弐の5 極左がすなる皇室回り」に続く)

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