弐の3 朝日生命の編集委員
国際報道に力を入れているというテレビ番組制作会社が、スタッフを募集していた。インターネットを通じ職務経歴書を送信したら、面接に呼ばれた。
「パシフィック・リム・プレス」――。国際報道に傾倒しているからであろう横文字の、新宿の住宅街にオフィスを構えるそのプロダクションに、業務委託契約のスタッフとして迎えられることになった。
「あくまでも業務委託だから、定期的な報酬は出せません。番組が終了して局から製作費が入金されるごとに約束の額のギャラを払います。それでいいですか」
社長に言われた。テレビの仕事をすることになるとは思っていなかったから、どこまで通用するか分からない。それでいいと答えた。
一方、「パシフィック・リム・プレス」としても、新聞記者経験者をスタッフとして迎え入れるのは初めてで、おれに対する評価は五里霧中。海のものとも山のものとも分からない状態だったようだ。
国際といっても欧州方面ではなくアジア各地の報道にこだわっているから、環太平洋を意味する社名を付けた。「プレス」の部分は当初、「ニュース」にするつもりだったが、それだと略語のイニシャルを発音しにくから、PRPと語感よく読めるようこっちにした。発足、倒産を繰り返す星の数ほどある同業者とは差別化を図った。PRP社長は、会社の成り立ちをそんなふうに説明する。
正規の従業員は、「アシスタントディレクター」としてでっち奉公のように使っている一人だけ。ほかのスタッフは全員、おれと同じような業務委託契約だ。企画がまとまったら、必要なスタッフを必要な時に招集する。同業者組合みたいなもの。だから、他にどこでどんな仕事をしても構わないが、企画に参画する際にはこっちを最優先させてほしい。社長の言い分を、おれは理解し納得した。
未経験のテレビの仕事を覚えるため、おれは、仕事がなくても報酬が支払われなくても、ほかに用事がなければ極力PRPのオフィスにいることにした。余っているデスクを一つ借りて使わせてもらった。
おれより若い社長は、西日本にある工業高校を中退しテレビマンを目指して上京、いくつもの番組制作会社で修行したという。本当のことなのかどうか分からない。
アシスタントディレクターの平向は、東京大文学部を卒業したもののどこの大手メディアの採用試験にも受からず、PRPにいるのだと話していた。これも本当のことか分からないが、東京大など旧帝大卒業生が加入する「学士会」会員のみが所有できる提携クレジットカードを持っているから、伊達や酔狂ではなかろう。
社長と平向の経歴が信用できないのには理由がある。平向がいないときに社長が、なにかの話題で、「あいつの母親は『朝日新聞』の現役編集委員なのに」と、平向の不手際を非難して評した。そのこと自体はずっと忘れていたのだが、別のなにかの弾みで思い出し、そういえばと平向に尋ねたことがある。
「違いますよ。『朝日生命』の保険のおばちゃんです。嫌だなあ、社長はいいかげんで」
新聞記者時代、一緒に取材していた『朝日新聞』新人記者が、取材相手から『アサヒ芸能』と勘違いされそれを否定しなかったことと似ていると思った。
名刺の肩書きはディレクターでいいかと社長に聴かれた、テレビのことを知らないのにテレビ的な肩書きは名前負けするから、記者で刷ってほしいと頼んだ。
「記者は駄目なんですよ。英語にするとレポーターでしょ。日本のテレビ局でレポーターっていったら、グルメ番組の突撃レポーターやら、芸能レポーターやらって意味に取られちゃう」
国際報道に力を入れているから、名刺の主表記は英文で、和文は従に過ぎない。
「それにね、局にもよるんだけど、記者って名乗ると局員の外回り記者がいい顔しないんです。アナウンス室の局員以外にはアナウンサーと名乗らせないからって、外部スタッフどころか室外の局員もキャスターで通してる局があるでしょ。それと一緒」
官庁などの記者クラブに所属する報道局の記者は、民放も正規局員だけで固めていた。 在京の複数の民放で仕事をしていたPRPは、どの局でも揚げ足を取られないよう配慮しなければならない。
「だったら、ライターはどうですか。今のところフリーライターですし」
「構成作家とか脚本家とかと勘違いされるから駄目」
「それなら、平向さんと同じアシスタントディレクターではどうでしょう」
四十路でアシスタントディレクターって名乗ってたら仕事をさせてもらえないよと社長は笑った。
そう言う社長は、PRP代表、プロデューサー、ディレクターの、少なくとも三種類の名刺を使い分けていた。
(「弐の4 仲間由紀恵の兄貴とクリステルの台本」に続く)




