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弐の2 事件記者上がりで雲助

 おれは三十六歳まで新聞記者として働き、出版社に移って雑誌編集者として三十九歳まで勤務した。大学を卒業してからずっと正規従業員として雇われ国の雇用保険に長年加入していたから、出版社を辞めた後、半年以上にわたって失業手当てが給付された。

 離婚した元女房と暮らす一人娘のために養育費を払わなければならないため貯えがなく、出版社退職の際、失業手当てをすぐに受け取れるよう、自己都合ではなく会社都合にしてもらった。

 再就職をするつもりはなかったから、会社都合で辞めさせられたと経歴に傷がつくことなど気にならない。正規従業員としての再就職はできないであろうという覚悟もあった。


 国内の大手報道機関は、記者経験者の中途採用を積極的に行っている。当時はどこも、「おおむね三十五歳まで」が対象だった。

 その上限を超えた三十六歳で新聞記者を辞めた最大の理由はそこにある。勤めていたのは弱小新聞社だから、経営基盤のしっかりした高給の大手紙に移りたいと望んでいた。移籍できる限界の年齢を超えたもののステップアップはかなわず、キャリアチェンジしたのだ。

 自らが掘り起こしたテーマでの取材、執筆の機会に恵まれない出版社の編集の仕事はつまらない。会社側も、おれが使い物にならないから厄介払いしたかったようだ。

 辞めて失業手当てを受け取りながら、フリーライターとして原稿書きの仕事を細々としつつ、むだな空回りになるとは思いながらも一応、転職エージェントに登録しておいた。


 すでに出版不況が深刻化していた。インターネットの浸透とそれに付随するブログの隆盛で、ライターという職業の参入障壁は崩れ去った。アマチュアやセミプロが恐ろしいほどの低額ギャラで原稿書きの仕事を請けている。こんな情勢で、原稿書きの仕事はまともな収入につながらない。

 失業手当てを受け取るには再就職活動をしているという証拠書類を公共職業安定所(ハローワーク)に提出しなければならないから、転職エージェントに登録したのはその書類のためのアリバイ作りという側面が大きい。もちろん、良い縁があれば、再就職をなにがなんでも拒絶するというつもりもなかった。

 大手企業の社内報を製作する部署といった求人を、いくつか紹介された。


「それで、きょうはなんの取材にいらしたんですか。なにを調べるおつもりですか。うちは法に触れることなんて一切してませんよ」

 エージェント経由で呼ばれた企業の面接で、必ずこんな嫌味を言われる。

 新聞社時代の大半を警察、検察、裁判所担当として事件取材に当たったから、職務経歴書にもそうとしか書けない。そんな経歴の持ち主が社内に潜り込もうとすると、採用担当者は身構える。

 新聞記者はつぶしが利かない――。

 記者は大学新卒で入社したばかりのひよっこの駆け出し時点から取材対象の企業、官庁トップと対等にわたり合うので、謙虚さに欠け、営業職や販売職のように顧客に頭を下げることができないという意味合いの格言だと思っていた。

 それはそれで正解だ。だがむしろ、相手の隠したいことを暴く新聞記者の仕事の宿命、さだめのようなものがかたぎの世界では受け入れられず、机を並べて一緒に働く同僚と見なされないのだと悟った。


〈森さん、現在も求職活動されてますか〉

 複数登録したエージェントのうちの一社から電話がかかってきた。していると答えた。

〈お車がお好きとか。「東京無線」さんなんですけど、どうですか。二種免許取得のためのバックアップ態勢が充実してます〉

 タクシー運転手になるつもりも能力もないから、断った。


 インターネットの転職情報サイトで人材を募集していた、性と暴力、芸能情報を売りにした「実話誌」とカテゴライズされる雑誌の制作を請け負う編集プロダクションの採用試験に行った。新宿の都電「面影橋おもかげばし停留場」駅近くの古いビルにある、編集プロダクションとしては大所帯の会社だ。作文を書かされ、社長の面接を受け、プロダクションが手掛けている雑誌を見本に何冊かもらって帰った。

 そのうちの一冊に、付録のDVDが綴じ込まれていた。再生してみたらアダルトのハメ撮り動画で、さきほど面接をした社長の声が聴こえる。撮影をしているのも出演女優の相手をしているのも社長自身だった。

 契約社員として採用すると連絡が来たが、DVDに映っているような仕事はしたくないから辞退した。


 中央省庁再編前の厚生省も、再編後の厚生労働省も取材経験がある。最寄りの地下鉄「霞ケ関」駅で、あやうくオウム真理教がまいたサリンの被害に遭うところだった。

 医療行政取材の経験から、その方面の専門雑誌、専門新聞を発行する零細企業の面接に行った。会社は、長野市に本社がある。

 長野は県土を山に囲まれ、さらに山が県土を分断しているから、地方紙の勢力が強い。有力県域紙『信濃毎日新聞』のほかにも、市町村単位で数多くのローカル紙が発行されている。一般紙に限らず、教育関連、経済関連、建設関連の専門紙が長野県をエリアに発行される。ローカル一般紙と専門紙で、県レベルでは珍しい任意団体「長野県新聞協会」までをも結成している。

 面接に行ったのはその一翼を担う零細メディアで、県内向けの専門雑誌、専門新聞と、全国向けの専門雑誌、専門新聞を手広く発行する。ただ、全国向け媒体では、本社が長野にあり長野で発行していることは伏せているという。

 出版メディアという意味では同業者だから、その会社の拠点が長野にあることは知っている。しかし、それを隠匿していることまでは知らなかった。

 なるほど、全国向けに発行する媒体から、長野を連想させる表現は著しく消し去られている。インターネットの公式サイトにも、長野本社のことには一切触れられていない。

 都内に事業所があり、そこで面接を受けた。「長野」をことどとく排除した役員の名刺を受け取った。新幹線代を負担してもらって長野の本社に出向いた。編集作業を見ていけと言われ、ホテルを取ってくれた。言われた通り、深夜までオフィスに残って従業員の作業を見学した。

 少数スタッフで多数の媒体を同時に発行しており、人使いにむちゃがあると感じた。

 もともと、誤報、虚報が多い、他社の記事の丸写しと業界では評判の悪い会社だ。労務管理のむちゃは、掲載記事のむちゃ、さらには本社所在地や発行拠点を隠匿するというむちゃにつながっていると思った。

 法人登記は長野市内でしかしていないから、隠匿してもばれる。ばれてはまずい局面でこそばれる。隠匿していたことが問題になる。正当な取材が阻害される。記事が誤報、虚報になる。よその記事を書き写して出版するしかなくなる。

 都内の事業所で勤務する編集担当の副部長待遇で採用すると言われた。相場より高い年棒を提示された。職場も媒体も、見せてもらったものすべてが「むちゃ」に彩られていたから、やはり入社を辞退した。


(「弐の3 朝日生命の編集委員」に続く)

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