陸の4 フルネーム明かす例外
ヒロセがコールセンターの従業員であるかどうか知らないが、そういう言い方をするからには、自らもコールセンターで働いているということなのであろう。そして、スーパーバイザーの福地のコールセンターや自らの勤務先が異常事態に陥っているという認識は皆無だ。どこも、ソフトバンク関連以外のコールセンターも同じなのだと主張している。
「二〇二〇年九月一日十三時四十六分に証言したヒロセさんがどこのヒロセさんなのか、ぼくは知りません。フルネームを教えてください」
〈ヒロセミチノブです〉
福地とは異なる。フルネームを名乗った。おれから漢字を誘導した。
「広い狭いの広、瀬戸内海の瀬、道草を食うの道、信じるの信でいいですか」
〈それでいい〉
「広は画数の少ない広島の広ですか」
〈正式には違う方〉
「ヒロシマのヒロの画数の多い廣ですね」
〈そう〉
「肩書きを教えてください」
〈管理〉
「それが肩書きですか。所属はどこですか」
〈トスアップ…いや、正確には、「おろししんきうけつけまどぐち」の責任者〉
これは福地と同じだ。肩書きを通常とは逆に下から言う。「管理」と正確ではない肩書き名でごまかそうとする。
「卸し売りの卸しですね。送り仮名は付きますか。『うけつけ』はどうですか」
〈すべて付かない〉
「卸新規受付窓口の前は」
〈前とはなんですか〉
「肩書きがいきなり『卸新規受付窓口』で始まるわけないでしょ。どこの新規受付窓口ですか」
〈ソフトバンク光〉
「片仮名でソフトバンク、漢字で光でいいですか」
〈そうですよ。なんなんですか、いったい〉
新聞記者の常識を、廣瀬は不審がる。
「ソフトバンク光の前は」
〈ありません〉
再度、福地とは異なった。ソフトバンク株式会社とも、株式会社ソフトバンクとも言わない。
福地の詐称をおれが見抜きそのことを指摘したから、ソフトバンク傘下全コールセンターに、その詐称を使わぬよう通達が出ているのかもしれない。肩書きを逆に言うことの不自然さをおれは福地に強く指摘しなかったから、そのマニュアルは温存したままなのであろうか。
「責任者ってなんですか。長は付かないんですか。部長とか課長とか」
「そういうことは外部には言いません」
「それで、ソフトバンク光からいきなり肩書きが始まるんですか」
〈そうです〉
「廣瀬さんが責任者だという卸新規受付窓口というのはどこにあるんですか」
〈そんなことは答えられません〉
「それじゃあ、郵便も送れませんね」
〈郵便? そんなの受け付けてなんかいませんよ〉
「それじゃあ。どこの廣瀬道信さんなのか分からない」
〈0800-111-5095の番号が表示されたでしょ。そこにいます〉
「そことは北海道ですか、沖縄ですか」
〈森さん。森さんがどうしてそんな目にばかり遭うのか、考えたことがありますか〉
廣瀬の言いたいことは分かる。
「ぼくの方に問題があるっておっしゃりたいんでしょ。毎回そのせいでこんな目に遭ってるんだってことですね」
〈そこまでは言いませんけどね。だけど、話が全然前に進まないじゃないですか〉
「話をせき止めてるのは廣瀬さん、あなたですよ。ぼくは、発言を担保してくれってお願いしているんです。文書じゃなくてもいいって最初から言ってます。『例外のない規則はない』ということわざをご存じですか。大学入試の英語必出で――」
〈――ほらほら。また話がずれてる〉
廣瀬は、ふんっと鼻で笑った。受話器を通して鼻息が聴こえた。
おれの発言を、廣瀬は遮る。そして、「話がずれている」「ちゃんとメモを取れ」と繰り返しかぶせる。おれがしっかりメモを取れていることを、廣瀬は分かっていない。吹き溜まりの廣瀬には、速記でメモを取るおれの姿が想像できないのだ。
「分かりました廣瀬さん。何度もコールセンターとやり取りをして嫌な思いをしたくないから、この電話で、廣瀬さんの責任において、解除料九千五百円も工事費二万四千円もかからない方法で『ソフトバンク光』に切り替えてください」
〈え? 申し込むということですか? 『ソフトバンク光』にですか? 本当ですか?〉
廣瀬が驚くのも無理はない。さぞかし意外なことだろう。
こういう異常事態に出くわせば、もう『ソフトバンク』とは関わりたくない、縁を切りたいというのが、通常の消費者心理に違いない。おれもそれには同感だ。
だけどおれは、きっと性分なのであろう、携帯電話キャリアでもなんでも、他社に乗り換えるのが面倒くさくてしょうがない。ささいな「お得」のために、無駄な労力を払いたくない。
新聞記者出身だから、新聞販売マーケットが抱える数々の矛盾をおれは知っている。例えば、新聞は、長期にわたって同じ紙を購読し続ける優良固定客より、短期間でころころ紙を変える浮気性の方が、購読料が割り引きされたり洗剤などの拡販材料をもらえたりと、多大なサービスを受けられる。固定客にはそういうタイミングもチャンスも訪れない。新聞社販売局と新聞販売店が、限られたパイの奪い合いでしのぎを削っているからだ。
携帯電話マーケットも同じだった。ナンバーポータビリティ制度がスタートした二〇〇六年ごろをピークに、機種変更よりも他キャリアへの乗り換えの方がはるかに得だという、固定客を切り捨てる顕著な逆転現象が生じた。
だけど、おれは乗り換えない。契約先に義理があるわけでもサービス内容を気に入っているわけでも、ましてやコールセンターのオペレーターが常識を持ち合わせているからでもない。ただただ、乗り換えに伴うよけいな手間を取られたくないのだ。
もちろん、破産宣告後は、債務を抱えたままでは携帯電話の新たな契約が困難だという事情もある。
(「陸の5 通信は通信」に続く)




