陸の2 二年目の満了月
『ソフトバンク・エアー』の契約で嫌な目に遭わされた経験があるから、宮内社長らにはこのことについても併せて聴かなければならない。だから、自分の契約内容が今どうなっているのかを確認するため、問い合わせ窓口を探した。『ソフトバンク・エアー』は回線がよく切れるから、それもどうにかできないか、ついでに窓口で問い合わせようと考えた。
インターネット上で問い合わせができるというページにたどり着いた。しかし、アクセスで打ち込みを求められるID番号が分からない。分からない場合にクリックすれば携帯電話のショートメッセージサービス(SMS)で情報が送られてくるというボタンを何度クリックしても、おれの携帯端末はうんともすんとも言わない。
仕方がないから、また嫌な思いをさせられるかもしれぬと案じつつ、サイトのページに表記があるコールセンターの番号をプッシュした。
《0800-1111-820》
女性オペレーターが出た。用件を伝えた。
〈『にねんめんのまんりょうづき』より前に解約すると、解除料九千五百円がかかります〉
「にねんめのまんりょうづき」の意味が、おれには分からない。
〈契約の二年目が満了する月です〉
「あなたが言ってるその『二年目の満了月』って、ぼくの場合いったい、いつなの」
〈二〇一九年に契約されていますから、二〇二一年五月です〉
「満了」というのは、契約期間や任期など、あくまでも「ある定められた一定期間」が満期を迎え終了することを指す。「二年目」は決して「満了」などしない。
おれの契約が二〇一九年六月一日にスタートしてその期間が「二年」とされているのなら、契約の「二年目」は二〇二〇年六月一日に始まり、二〇二一年五月三十一日に終わる。しかしそれは、「満了」ではない。
ただ、「契約期間」という言い方をすれば、二〇二一年五月三十一日に「満了」する。二〇二一年五月は確かに「満了月」だ。
彼女は相手に分かりやすいよう「二年目の」と言っているのかもしれない。でもそれは、社会常識とはかけ離れている。正当な用語を使う者に誤解を与える。そういう言語様式では、法律の世界でも、ビジネスでもメディアの世界でも通用しない。
テレビ通販のオペレーターがことどとく尊敬語と謙譲語を逆に使い、「できない」ことを「できかねません」とやはり逆に言って、番組視聴者と意志の疎通が問題なく取れているのと同じことだ。
だけどそれは、視聴者とオペレーターとの間の特殊な関係性においてのみ成立する、マイノリティな言語様式に過ぎない。社会を構成するマジョリティには伝わらない。
でも、コールセンターのオペレーターのこういう日本語能力の欠如、あるいは「特殊な日本語」をあげつらっても仕方がない。マイノリティな社会である吹き溜まりのコールセンターでオペレーターとして働いているのだから。ほかに働き口がないのだから。
「二年目の満了月」の女性オペレーターを、おれは責めない。
そのオペレーターから、技術の担当者だというやはり女性に転送され、おれの居住地は確かに通信状態がかなり悪いと説明された。
こういう状況なら、解除料はかからない、光回線を利用した『ソフトバンク光』に切り替えれば、『ソフトバンク光』の工事費二万四千円もかからないと言われた。そして、『ソフトバンク光』の問い合わせ窓口の電話番号を告げられた。
〈0800-111-2009におかけ直しください〉
それに従って、電話を切ってから言われた番号をプッシュした。ところが、出た男は、おかしなことを言う。
〈こっちは『ソフトバンク・エアー』の担当なんですよね。はいはい、いいです、いいです。このまま転送しますから〉
「あれ。末尾2009にかけたつもりなんだけどな」
〈820にかかってます。回しますから大丈夫ですよ〉
前の年の「たった五分前」の男同様、恩着せがましい。
浦部と名乗る、やはり男の担当者に転送された。解除料九千五百円と工事費二万四千円はかからないと、浦部も言う。
〈ただ、今解約すると、解除料九千五百円はかかりますよ〉
一本目の女性の説明と食い違う。
「解除料も工事費もかからないって聴いたはずなんだけど、それは間違いなの?」
〈間違いですね〉
「契約満了になる来年五月まで待てば解除料九千五百円も工事費二万四千円もかからないということ?」
〈そうです〉
女性と説明が違う、あるいはおれが、女性の言うことと浦部の言うことのどちらかを聴き間違えている。だから、しつこく確認した。浦部は、それで間違いないと繰り返す。おれは浦部を信じて、契約が満了する二〇二一年五月を待ってから『光』に切り替えることにした。
電話を切って発信の履歴を確認した。誘導された通り、間違いなく0800-111-2009に発信している。取った「第二の恩着せ男」の勘違いだ。
コールセンターは、複数の受電業務を並行して行うことが少なくない。異なる電話番号にかけても同じコールセンターにつながる。銀行と靴屋というまったく関連性のない別資本かつ別事業所の受電業務を、同一のオペレーターが担うコールセンターさえ存在する。受電時に表示される端末画面で、銀行の問い合わせ番号にかかっているのか、靴屋の問い合わせ番号にかかっているのか、オペレーターが判断してそれぞれのマニュアルで対応する。
つまり、『ソフトバンク・エアー』の問い合わせも『ソフトバンク光』の問い合わせも、同一コールセンターで受けている。おれの発信を、オペレーターが、端末の表示から読み誤ったのに違いない。
でも、そんなこともおれは問題にしない。コールセンターのずさんさをよく知っているから。司法浪人の濱元が言うように、腐ったクソみたいな社会なのだから。
「二年目の満了月」のオペレーターから、自身の契約内容を聴き出すことには成功した。しかし、浦部との通話で、聴きそびれていたことがある。半年以上先の契約満了日までに忘れてしまいそうな事柄だ。
おれはIT方面に疎い。『ソフトバンク光』に切り替えても現状の『ソフトバンク・エアー』のように複数台のパソコンで並行して問題なくネット接続できるのか、初期設定は『ソフトバンク・エアー』同様簡単か、『BB』や『ソフトバンク・エアー』のように函体状の機器が送られてきて自分で設置するのかということを確認しておきたかった。
『ソフトバンク光』の窓口だという電話番号に再度かけて、大原と名乗る男につながり、ITに疎いおれのテクニカルな疑問は解消した。
「分かりました。契約期間が満了するという来年五月までによく考えます」
それで大原との通話は終えるつもりだった。『ソフトバンク光』とは今後半年以上、縁のない生活が続くのだと信じた。
ところが大原は、妙なことを言いだす。
〈それだと、工事費二万四千円が免除になりませんよ〉
浦部の話と食い違う。完全に逆の説明だ。
契約期間が満了する二〇二一年五月時点で通信状態が改善していればもはや『ソフトバンク・エアー』の欠陥は消滅するから、大原の言うように、工事費が免除されないのは妥当だ。しかし、浦部の言うことを信じてしまったら、通信様態の悪い『ソフトバンク・エアー』を半年以上にわたって使い続け、それなのに、『ソフトバンク光』に切り替えたら工事費二万四千円がかかってしまう。
おれは、浦部と大原のどちらが正しいのか、文書なりなんなりで担保してくれと申し向けた。それはできないと大原は言う。
「『ソフトバンク・エアー』を契約した時も、担当者の言うことが違って嫌な目に遭わされたんです。ウィルコムの債務を完済するためにワイモバイルカスタマーセンターに電話した時も、同じように担当者の言うことが違ってもめています。別会社であろうがアウトソーシング先であろうが代理店であろうが、一消費者から見ればみんな『ソフトバンク』です。このことについて、大原さんはどうお考えですか」
〈お気持ちは分かります〉
気持ちは分かるが、自分の説明が正しいという担保はできないと、大原は言う。
〈上席と代わりますか〉
通話の過程で大原は何度か提案してきた。
「『ソフトバンク』関係はだれも信用できないことを身に染みてます。特に希望はしませんが、その方が大原さんにとってもぼくにとってもいいというのではあれば、断りもしません」
上席のヒロセと名乗る男からの電話は、おれにとってちっともよくなく、事態は最悪の局面を迎えることになる。
(「陸の3 メモ指導」に続く)




