肆の7 おじいちゃんとおばあちゃん
部屋を賃借している集合住宅家主の都合とおれの仕事の都合が合致し、東京都西東京市から、東京との都県境に近い横浜市内に引っ越した。あちこちの官民の事業所や個人に移転先を知らせる過程で、派遣会社にも報告しておいた。
以前とは別の担当者から、すぐに連絡が来た。おれは、四十五歳になっていた。
〈小田急小田原線「新百合ヶ丘」駅近くで、コールセンターのオペレーターのお仕事です〉
新居の最寄りからわずか三つ目の駅だ。
「しばらくコールセンター業務から離れているんで、務まるかどうか自信がありません」
断るつもりでいた。
〈森さんでしたら大丈夫です。ご高齢の方もたくさん働いてらっしゃいます〉
おれも「ご高齢の方」の仲間入りだ、少なくとも派遣会社はそういう扱いをしているのだと悟った。
電話で担当者は、どういう企業のどういう業務なのか詳しく言わない。受電メインで、商品の注文を受ける仕事だという。聴いた限りでは、テレビ通販のコールセンターと変わらない。おれは、誘いに乗ってそのコールセンターで働くことにした。
大手コンビニエンスストアチェーン「セブン-イレブン」が「セブンミール」の名称で展開する、弁当配達サービスの受注業務だと、研修の初日に種明かしされた。おれと同時に研修を受けた中には、確かに六十歳を超えていそうなじいさんもいる。
コールセンターのオフィスは、三年近く働いたテレビ通販のオフィスと比べ狭く、雑然としている。
テレビ通販と大きく異なるのは、注文客が長電話を好まないことだ。朝の出勤前の気ぜわしい時間帯に電話をかけてくる客が多い。あわただしくしているのが、口調から分かる。
それから、明るい時間帯しかコールセンターは稼働していない。おれは、センターが始業する午前七時から正午まで、週三回出勤した。
テレビ通販と同じで、初めての注文客の場合には住所などの個人情報を聴き取らなければならない。ところが客は、電話が神奈川県川崎市のコールセンターにつながっているとは思っていない。
〈ほら、三丁目の鈴木よ。いつも買い物に行ってるでしょ。もう。ちょっと店長に代わって〉
コンビニ店舗で受け取ったチラシに刷られているフリーダイヤルにかけているから、電話はその店舗につながっていると勘違いしている。
順調にオペレーション業務に従事しているつもりのおれは、大きなミスを犯してしまっていた。
注文した弁当は、客の自宅まで配達することもできるし、コンビニ店舗で受け渡すこともできる。一人暮らしのサラリーマンやOLが帰宅途中に受け取ることを念頭に置いたシステムだ。
決まったロット数しか製造せず売れ残りが発生しないということや、それにより無添加かつ栄養価が適正に管理されていることなどで、コストパフォーマンスが良く、大量生産で日持ちするいわゆるコンビニ弁当より高品質だ。だから、固定客が多い。
そして、店舗受け取りという選択肢がある以上、自宅への配達か、店舗で受け取るか、受注の際に聴き取らなければならない。毎回同じ方法で受け取るとは限らないからだ。
「客は配達と言ったのに、店舗受け取りと入力されている。自覚はあるか」
コールセンター責任者の女性スーパーバイザーに詰め寄られた。スーパーバイザーはおれの席の端末の画面に、その注文時の入力内容を表示させる。何日も前の受注の履歴だ。
「この注文については覚えていません。間違えて入力したという認識はありません。間違っていないとも言い切れません」
感じた通り答えた。
「注文してきたのは脚が悪いおばあちゃんで、店舗で受け取ることなどありえない。そのことについてどう思うか」
「客の素性は知りません。脚が悪いとか店舗には行けないとか、聴いた記憶もありません。聴いたかもしれませんが、覚えていません」
スーパーバイザーの詰問に、ありのままを答えるしかない。スーパーバイザーはもったいぶる。ネズミを追い詰めたネコのような表情をしている。
袋のネズミのおれは、フロア内の別席に連行された。重厚で使い古されたソニー製のヘッドホンを手渡され、録音されている受注のやり取りを聴かされた。
年老いた女性を思わせる声の客は、確かに自宅への配達を希望している。おれの声もそれを復唱している。おれの入力ミスであろうと思った。
「再教育を受けてもらう」
おれのミスを最初からすべて把握しているはずの醜いネコのスーパーバイザーは、勝ち誇ったように言い放つ。舌なめずりさえしていた。
(「肆の8 再教育で辱め」に続く)




