肆の6 原爆投下、敗戦レベルの惨事
業務委託契約のディレクターとしてPRPで働いていた時も、PRPを飛び出し大泉と中国人犯罪ネタを取材、製作した時も、放送局外部からの完パケ納品というスタイルなので、局の名刺は持たない。しかし、NHKでは専属で局に詰めるから、NHKの名刺を発行してもらった。NHKのメールアドレスが付与され、おれ専用のデスクとパソコンが用意された。
公共放送局の影響力は絶大だ。新聞社時代、同じ記者クラブに詰めるNHK記者の仕事ぶりを見ていて、取材が楽そうでうらやましかった。NHKの名を出せば、取材拒否に遭う心配がない。「天下の」NHKの取材を断る者は、ほかの全テレビ局、新聞・通信社の取材を拒絶しているとそれだけで推量できる。
実際にNHKのスタッフとして取材をするようになって、外から見るよりその力はずっと大きいと改めて気づかされた。
NHK番組製作部門は多くの外部スタッフを「リサーチャー」とひとくくりにして囲うが、その仕事の内容は、担当番組や個人のバックボーンにより大きく異なる。おれが所属したのは大型ドキュメンタリー番組『NHKスペシャル』で放送するための取材、製作チームだったことや、おれには新聞記者の職歴があることから、外回りで実際に取材対象者に会って情報収集し、上司であるディレクターと撮影スタッフが入るロケに持ち込むまでの段取りを主に任された。
所属の局を名乗り名刺を差し出すと、たいがいの相手は恐れおののく。おれの会った相手が、取材慣れしていない一般人だからという理由もあろう。官庁など大組織には、最初から局員のディレクターが乗り込む。報道対応がシステマティックに機能している組織相手では、その方が話が早い。
「NHKの森と申します」
そう名乗るし、名刺にもそう刷られているが、おれはNHKの正規職員ではない。正規職員だと相手に誤認させている。
公共放送でも民放でも、正規局員か外部スタッフかを見破る方法はいくらでもある。
例えば名刺で、正規局員は、局名がヘッドに刷られている。外部スタッフは、ヘッドには担当番組名が刷られている。
正規職員は、局名をロゴで表示できる。諸般の事情でそうしない局員もいる。半面、外部スタッフにはその選択肢がない。局名をロゴ表示できない。必要に応じて、番組名だけロゴで刷る。
フジテレビの特徴ある目玉マークの浮き出し加工も同様だ。フジサンケイグループ各社を除く外部スタッフには許されない。
外部スタッフの名刺には、局の連絡先のほかに、本来の所属制作会社などが小さく記されていることがある。管理責任者である局員の名前と肩書きが、同じように小さく刷られていることもある。
おれがNHKから持たされた名刺は、これらの外部スタッフであることを表す特徴がほぼすべて当てはまる。
しかし、外回りのリサーチャーであるおれは単独行動だから、取材慣れしておらずNHK正規職員と会ったことがない一般人に最初に名刺を切れば、相手は正規職員の名刺と見比べられない。おれをNHKの正規職員だと思い込む。テレビ番組がNHKを含めほとんど外部スタッフによって制作されている事情を、多くの視聴者は知らない。
ロケに至れば、おれの名刺が局員たるディレクターと異なるデザインだと相手にばれる。
「ぼくはNHKの正規の職員ではなくて、臨時で雇われている身です」
聴かれれば、ぼろが出ないように答える。うそはつかない。でも、NHKでの経験は浅いとかギャラは日給制だとか、もともとは活字記者だとかコールセンターでアルバイトをしていたとか、進んで言うわけではもちろんない。
大型ドキュメンタリー番組『NHKスペシャル』でその企画は、オンエアされる期日が半年前から決まっていた。それに向けて、おれたちは取材のスケジュールに追われる。ところが、二〇一一年三月十一日に「東日本大震災」が発生し、NHKは大混乱に陥った。
地震発生時、おれは、千代田区永田町にある国立国会図書館で調べ物をしていた。都内でも大きく揺れた。図書館は建物が古いので、倒壊してここでつぶされて死ぬのかと、死期の到来を生後何百回目かで予感した。
つぶされることなく図書館を出たがタクシーは捕まらず、電車は全線止まっていた。青山通りをてくてく歩いて放送センターに向かう。災害発生で一斉帰宅を命じられたらしい多くの会社員風の男女が道路を埋めつくしている。落下物や自らの転倒を警戒してであろう職場の備品らしい真新しいヘルメットを頭に載せる者、頭に載せず首にひもを掛け後頭部にぶら下げる者もいる。
途中、何度か上司のディレクターやおれのデスクがあるオフィスに電話をかけたが、つながらない。だれからも、電話もメールも来ない。
「おお、森ちゃん。無事だったか」
一時間以上かけ到着した放送センターのオフィスにいた、直属の上司であるディレクターのさらに上司のプロデューサーが、デスクから立ち上がっておれを迎えてくれた。ディレクターは席にいなかった。
おれがいたチームでは地震発生直後、所属局員の安否確認をしている。外部スタッフであるおれは、その確認連絡を受けていない。
「震災で番組がどうなるか分からんが、取材はそのまま続行」
上司のディレクターに言われた。地震があった晩のうちにNHK上層部で、当面の間、連続ドラマなど一部の例外を除き全番組を震災ネタに切り替えることが決まっていた。
「原爆投下と敗戦に匹敵するほどの大惨事だから仕方ないな」
ディレクターは言う。その後、チームは解散した。
リサーチャーとしてのおれの報酬は、チーム解散で出勤をストップし、ICカードの入館証を返却する日の分まできちんと全額支払われた。
震災報道が少し落ち着いた夏になって、放送センター近くの「渋谷東武ホテル」で打ち上げをするから来いと呼び出された。
〈ちょっと頼みたいことがあるんだ。会場に行く前に局に寄ってくれないかな〉
電話でディレクターが言うから、局舎南の関係者出入口で来訪者用の臨時の入館証を発行してもらい、チームが根城にしていたオフィスに行った。チームは解散したが、プロデューサーは元と同じデスクにいた。
「森ちゃん、ハワイ帰りなの。どこの露店の兄ちゃんかと思ったよ」
プロデューサーが笑う。
沖縄関係者のアイデンティティを発露するためおれは、地産のかりゆしシャツを愛用している。霞が関の役人がクールビズ対策で、旧沖縄開発庁を統合した内閣府を中心に、沖縄では正装とされるかりゆしシャツを執務中にも好んで着用しているから、おれもそれに倣った。アロハシャツの起源とされるカラフルなそのシャツを、目立たぬよう擬態しなければならない取材の場合を除き、夏場はどこでも着て出歩く。
震災前の冬場の出勤、取材はずっとスーツにネクタイだったから、その姿しか知らないプロデューサーの目には新鮮に映ったのだろう。プロデューサーだけでなく、会う人会う人、おれを知るスタッフ全員に感心され、褒められ、笑われた。
番組がオンエアの日の目を見なかったのに豪勢な打ち上げが開催され、おれは二次会、三次会、四次会にも残って朝まで飲み明かしたが、一度も財布をポケットから出した記憶がない。
ジャーナリストにあこがれた学生時代、朝日新聞の名物記者、本多勝一に陶酔したおれは、本多の記事に触発され、以来、NHK受信料を払ったことがない。豪勢な「打ち上げ」でただ飯、ただ酒を供され、やはり今後も受信料は払わないでおこうと誓った。おれが受信料を払わなくてもNHKはつぶれない。放映していない、制作されていない、取材の貫徹さえされていない番組の打ち上げで、外部スタッフを呼んで飲み食いさせられるだけの財力がある。
(「肆の7 おじいちゃんとおばあちゃん」に続く)




