肆の4 同胞をだます国民性
日本国内で強い勢力を持つ韓国の犯罪類似集団があって、その取材をずっと続けていた。朝鮮語もある程度できると中国娘が言っていたのを思い出し、そこでも一役買ってもらうことにした。中国娘は、偽称して通訳をしたり取材の手伝いをしたりできるほどの朝鮮語能力はないと尻込みする。
だから、取材の手先としては使わず、もっぱら執筆の手伝いだけをさせた。
月刊誌の編集部に持ちかけたところ、犯罪性が薄いから取材対象の実名報道はだめだと言われた。それなりの仮名を付けて書けということだ。
「登場人物の韓国人風の名前を考えてくれ。死にそうなじいさんと、後継候補の息子二人。それとは血縁関係のないおばはん一人」
分かりましたと言って、中国娘はすぐに四人分の名前をひねり出した。
《父親・李相勇》
《息子その一・李栄林》
《息子その二・李志林
《女性・秦美珠》
おれは朝鮮語を解さないし韓国情勢など知らないから、この名付けの正当性を判断できない。そのまま原稿に書いて出稿したら、そのままの記事が月刊誌に載った。
撮影した取材テープをパソコンに落としノンリニアで絵をつなぎ、汐留の日本テレビに持ち込んで担当ディレクターに見てもらう。試写という作業だ。企画を採用したプロデューサーは日本テレビ局員だが、担当ディレクターは、子会社か孫会社のスタッフ。試写にも局員は一切タッチしない。
作品の性質にもよるが、おれが携わった報道関連の完パケは、ナレーションが要だ。ナレーション原稿はおれたちが書き、それを局お抱えの声優、ナレーターに吹き込んでもらう。声優、ナレーターのしゃべりの癖に合わせ、録音スタジオでも即興で原稿を直す。
試写段階ではナレーションが入っていないから、おれたちが、担当ディレクターの前で原稿を読み上げる。
その試写で、おれたちは何度も駄目出しを食らった。企画が通ってカメラを回しての取材を始めたのは春なのに、オンエアは秋にずれ込んだ。
「映ってる人の服が夏物でも冬物でもなくて、ちょうどよかったね」
局の子会社か孫会社の担当ディレクターはけらけら笑うが、駄目出しされるたびに追加取材に出掛け、生命の危険に身をさらし、なのに無給で経費も持ち出しのおれたちはたまったものではない。
在京民放局の多くでは完パケ納品の場合、音声や字幕スーパーは、局舎内のそれ専用の編集室で、局の子会社、孫会社のスタッフの手を借り入れるのがスタンダードだ。しかし、おれたちが企画を持ち込んだ日本テレビのニュース番組では、字幕は局外で自分たちの手で入れなければならなかった。
大泉のパソコンにインストールしてある型落ちのソフトでは字幕スーパーがきれいにはまらないから、口座を借りるのとは別の、やはり大泉の知り合いの番組制作会社の専用機材を借りて作業を進めた。
中国娘がしゃべっている中国語と、電話の相手の中国人犯罪者の同じく中国語は、日本語訳の字幕スーパーが不可欠だ。おれは仮の訳を付けてはみたものの、それで間違いないか、中国娘に見て、聴いてもらわなければならない。
日本テレビ局内に中国語を解するスタッフは大勢いるのに、完パケの制作には一切タッチしない。だから、間違った内容は間違ったまま納品され、間違ったまま放映されてしまう。
JR「水道橋」駅近くのオフィスビルに事務所を構えるその制作会社に、中国娘を呼び出した。
〈駅にたどり着いたんですけど、右も左も、東も西も分からないんです〉
中国娘から悲痛な電話がかかってきたから、おれは駅まで迎えにいった。霞が関の厚生労働省で待ち合わせた時も同じようなことを言っていた。中国娘は本当に極度の方向音痴のようだ。
オーバーステイを装った最初の電話で中国娘は、中国人犯罪者と一時間近くにわたって会話しているが、実際に使うのはそのうちのわずか二十秒ほどのやり取りだけ。編集途中の素材とおれが書いた日本語訳を見比べながら、中国娘は言った。
「ずっと怪しいと思ってたんですけど、森さん、実は中国語が分かるんじゃないですか」
彼女を雇う前から中国人相手の取材をしていると彼女は知っているし、本筋のテレビ番組の企画以外にも人工堕胎薬が在日中国人の間で出回っていることをフリーペーパーから読み取り取材しているのだから、おれが多少なりとも中国語を解すると判断できるはずだ。なのに中国娘は、報道取材の世界とは縁が遠いゆえか、方向音痴であるのと同じように、記者の仕事に疎くて鈍い。
治験の被験者募集広告の取材で協力を得たコールセンターの濱元が、研究というワードを使い、やはり報道取材に疎いことを思い出した。慶応ボーイ、慶応ガールに限ったことなのだろうかと、おれは首をひねった。
慶応卒の同業者は、少なくない。
結局、取材、表現のプロであるおれたちと、素人である視聴者、読者の間には、報道とかメディアとかいったものに対する認識の大きなズレが横たわっていて、そのズレの存在にお互い気づかず過ごしているのだ。
ただ、中国娘は、偽称に関しては天才的だ。これは、中国人の民族性に起因するものだろう。ちっぽけな利益のために同胞さえをもだます。陥れる。利用する。踏みつける。犯罪行為を憎む正義感などでは、決してない。
そしてそこに、良心の呵責などといった日本人的な平和ぼけした価値観は、一切存在しない。
(「肆の5 前科者は女の園を目指す」に続く)




