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肆の3 中国娘(チャイナ・ガール)の大活躍

「短期滞在のビザで入国したが、期限が消れて違法なオーバーステイ状態。日本人と偽装結婚したい」――。

 通訳兼助手に最初に与えたミッションは、このシチュエーションで、池袋に巣食う中国人犯罪組織にアプローチすることだ。新調の携帯電話をさっそく投入する。

 映像編集ソフトをインストールした大掛かりなパソコンのセットがある、品川区の大泉の自宅兼事務所を、当面の活動拠点とすることにした。口座を借りる制作会社は使えない。そういう契約はしていないし、情報漏えいの恐れもある。


 彼女の初仕事に、おれは別の用事で立ち会うことができなかった。

〈うまくいきましたよ〉

 大泉から携帯電話に連絡があった。おれは用事を済ませ、大泉の自宅兼事務所に向かった。収録内容を見るかと大泉に聴かれたから、あとで見ると答えた。三人で飯を食って、彼女は帰した。大泉と二人で自宅兼事務所に戻り、収録テープを見た。

 大泉は、おれが契約した携帯電話でしゃべる彼女の姿を、顔が分からぬよう斜め後ろから撮影していた。こちらの声も先方の声も同時に拾えるよう、携帯電話の受話口にピンマイクを貼り付けている。きれいな北京語だった。堂々とした話しぶりだった。

「あの中国娘チャイナ・ガール、ちゃんと中国語しゃべれるんですね」

「なによ森さん、聴いたことなかったの」

「しゃべらせてません。彼女が中国人だっていう確証もないし、すべて見切り発車ですよ。中国人じゃないのに中国人だって名乗る物好きは世界のどこを探してもおらんでしょうから、疑ってはいませんでしたけどね」


 見切り発車の取材は、わだちに足を取られつまずきながらも着実に進んだ。おれは何度か身の危険にさらされた。大泉は何度かカメラとテープを持って逃げた。中国娘は常に安全圏にいるからなにも心配はいらない。


 大泉は本来カメラマンだが、業務で必要だから、映像編集ができる。そのころすでに、テレビ番組の編集作業は、テープからテープにダビングすることで絵をつなげるリニア方式の時代を終え、動画サイトのユーチューバーのようにデジタルでつなげるノンリニア方式に移行していた。

 リニア方式で仕事を覚えた世代だからか、大泉のノンリニア編集には粗が目立つし、作業が遅い。華麗な編集テクニックを見せていたマルチプレーヤーのPRP社長のようにはなかなかいかない。

 そして、もともと活字記者のおれは、リニアもノンリニアもまったく扱えない。おれのやりたいことが大泉に伝わらず、伝わってもそれが絵にならず、隔靴掻痒かっかそうようの思いがした。


 取材と編集を繰り返しながら、深夜はコールセンターでオペレーターとして働きつつ、おれは、活字媒体での原稿書きも同時並行しなければならない。

 テレビの仕事は、完パケ納品の場合、オンエアしてからでないと製作費は一円も振り込まれない。取材・製作の経費をテレビ局に前借りすることなんて夢物語だ。中国娘に払うギャラを含めた経費捻出のために、おれは深夜のバイトと原稿書きに追われる日々が続いた。


 企画が採用された中国人犯罪におれが最初に気づいたのは、池袋などニューカマー中国人が集まる繁華街に積まれているフリーペーパーを読んでからだ。もちろん、全文、中国語で書かれている。

 一般紙の半分の、夕刊紙『夕刊フジ』『日刊ゲンダイ』と同じタブロイドサイズで、紙面のページ数もそれと同程度に厚い。発行元は五社ほど確認できた。週刊で発行している紙が多い。ニュース記事はすべて、別の媒体からたぶん無断であろう借用している。著作権という概念が希薄な、日本人も含めたアジア人の良くない気質が見て取れる。


 日本テレビに中国人犯罪の企画を出すよりずっと前、そのフリーペーパーの広告をながめていて、国内では承認されていない人工堕胎薬「RU486」が公然と売られていることが分かった。在日中国人の間でかなり出回っているようだ。

 厚生労働省が「RU486」を認可しないのは、その薬剤が危険だからだ。服用して、ろそうとした胎児だけでなく、大量出血により母体を死に至らしめることがある。

 医薬品の承認に対する行政当局の考え方には、その国の医療情勢、体制と、製薬企業の力の入れ方が反映される。例えば、「レイプ・ドラッグ」として悪用される睡眠導入剤「ハルシオン」は日本では無尽蔵に処方され入手は極めて容易だが、米国など多くの国では、健康被害の側面からも厳しい制限が加えられている。

 つまり、「RU486」を積極的に取り扱いたいという企業が国内にはなく、同時に、母体を死に至らしめるような副作用が生じた場合、国内の医療体制では対処できないと厚生労働省は判断していた。また、自由診療でいくらでも金を取れる堕胎手術は産婦人科医にとって貴重な収入源であり、強力な圧力団体の日本医師会が、承認にストップをかけているという実情もある。

 一方、中国本土では「一人っ子政策」の歴史から、人工堕胎が身近で容易だ。「RU486」はマーケットにあふれかえっている。

 日本では危険とされるそんな「RU486」を、国内に住む日本人が入手できるのか試してみたことがある。

〈だれが使うの。日本人には売らないよ。説明書は中国語だし、飲み方が難しくて危険だから〉

 電話の相手から中国語なまりの日本語でそう断られ、試みは失敗した。

 せっかく中国娘を雇っているのだから本筋のテレビ取材だけで働かせるのはもったいないと思い、再チャレンジした。

「妊婦のふりをして電話しろ。中国語が分からない日本人の彼氏が受け取りにいくって言え」

 中国娘は、大泉の自宅兼事務所から、おれが契約した携帯電話でフリーペーパー掲載の広告の番号をコールした。おれは知り合いが雑誌編集部にいる出版社にその企画を持ち込もうとしていたのだが、「なにで使うか分からんから念のため」と大泉が言って、携帯電話の受話口にピンマイクを貼り付け、カメラを回した。

 完パケ納品のための通訳兼助手だから、番組と関係ないことで使っても、だれからも責められない。おれが個人のポケットマネーで雇っているのだから、大泉もとがめない。同様に、大泉が中国娘を利用することを、おれは広い心で許容する。

 いつものように中国娘に偽称させ、おれは電話の相手から指定されたJR山手線「田端」駅に、中国語が分からない彼氏を装い、違法な人工堕胎薬を買いに行った。

「説明書をよく読んで飲んでね。彼女によろしく言ってね」

 中国語なまりの中年男性から、小箱が二つ入った紙袋をもらった。代金として一万円を払った。

 原稿は採用され見開き二ページの記事が小箱の写真付きで載った。出版社から約束通りの原稿料が支払われたが、一万円は取材経費としては認められない。使い道がなくどこも引き取ってくれない「RU486」の小箱は、今もおれの自宅兼事務所にある。


「RU486」は紆余曲折を経て、母体保護法指定の医師による保険適用外という条件付きで、二〇二二年に日本でも承認された。


(「肆の4 同胞をだます国民性」に続く)

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