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参の3 真摯な態度のジェントルマン

 おれたちが普段、着台する広大なフロアの隅で、クレーマー対応中らしい男性リーダーの雄姿を見聞したことがある。

「こっちは真摯に対応してるじゃないすか。これ以上なにが望みなんすか」

 べらんめい口調で敵を威圧する。客商売の従事者とは思えない。威勢の良さが売りの魚屋などとは質が異なる。左官やら大工やらとび職やらみたいなガテン系より、格闘家よりたちが悪い。はっきり言って怖い。

「はっ。『しんし』の意味が分からない。教養がないねえ。おたくが言ってるのは、ジェントルマンの紳士。ぼくが言ってるのは、シンシアの真摯。辞書を引いてみなよ。おたくみたいなのはね、客じゃないの。お客さまじゃないの。もう一生、電話してこないでね。さいならあ。さいならあ。さいならあ」

 興奮した様子の男性リーダーは、肩で息をしている。通話が終了したようで席を立つと、周囲から拍手が沸いた。

 歓喜で手を打っていたのは、派遣社員ではなくリーダーばかりのようだ。リーダーたちは派遣社員のおれたちが知らないところで、クレーマー対応に手を焼いているのであろう。本来ならできないであろう、電話口で決して発してはならないであろう言葉を代弁した男性リーダーに対する賞賛は止まらない。悪質な客に勝った正義のヒーローの扱いだ。

 家電メーカー、東芝の「渉外管理室」担当者が電話で客に暴言を吐いてインターネットでさらされたクレーマー事件は、こういうことが背景だったのだろうとおれは思い至った。東芝の事件から、そのテレビ通販のコールセンターはなにも学んでいないと感じた。逆に、学んだ結果がこうなのかもしれないともおもんぱかった。


 もはやお客さまではない、一生電話をしてはならないと宣告された顧客は、取り引き停止の対象となる。それでもこりずに電話をかけてくる。

 その会社は常連客が多く、会員として個人情報を収集、管理している。だから、登録されている電話番号から発信者番号通知の上でかかれば、オペレーター席上の専用パソコン端末画面に、住所、氏名など必要事項が最初から表示される。

 そうすれば、先に商品を押さえることができる。人気商品、お買い得商品、特に色やサイズが細かく分かれている場合、生放送をしている端から売り切れになることが少なくないからそれに配慮している。商品を押さえてから、個人情報を聴き取り、登録内容と照らし合わせる。

 登録されていない番号からや番号非通知の受電だと顧客情報は画面に表示されないので、先に住所、氏名などを聴き取らなければならない。結果的に、聴き取っている途中で目当ての商品が完売してしまうこともある。

 なぜ先に商品を押さえないかというと、取り引き停止の対象とした客に売らないためだ。取り引き停止の「ブラックリスト」の番号から受電すると、オペレーターが見ている端末の画面全体がピンク色に染まり、ブラック顧客からの受電であることを警告する。そのままではキーボードをたたいても注文内容を打ち込めない。ブラック客からの受電はかなりの頻度である。

「申し訳ありません。完売になっております」

 うそをついて、ブラック客からの注文を断る。

〈だって、今も番組でやってるじゃないの。売り切れてるわけないでしょ〉

「スタジオが別の場所にありまして、こちらのコールセンターの情報が届くのに時間的なロスが生じます。こちらのコールセンターのものが最新の正確な情報です」

〈番組の方が間違ってるっていうの?〉

「そうです。遅れています」

 オペレータ―は、うそを重ねる。番号非通知でかけてくれば、個人情報を聴き取った段階で「ブラック」だと判明し、端末の画面がピンク色になる。

 それで納得する客はそうそういない。悪知恵を付けて、同じ電話番号ながら別名義での登録を図る。家族だと偽る。身分証明書の提示を求めるわけでもなく、登録の名義は客の申告に基づくから、別名義での悪質顧客との取り引きが再開する。それを阻止するシステムは、少なくともおれが勤めていたころはなかった。


 昼間のシフトは、主婦のアルバイトが多いらしい、おれは深夜のことしか知らない。深夜のシフトは、昼間なにをやっているのか分からない正体不明の不審な者ばかりが集まっていた。おれもそういう不審者のうちのひとりだ。

 売れないお笑い芸人を自称する男がいた。出演した作品を見てくれと、オペレーター仲間にDVDを配って歩く。請われておれも受け取った。自宅で再生すると、出演といってもテレビなどで放映されたわけでなく、ステージでの演技を素人が撮影したものだ。

 茶色い作業服を着て黄色い工事用ヘルメットをかぶり、三音階でチャイムが鳴るポータブル鉄琴を打ち鳴らしながら漫談のようなことをするのが彼のスタイルのようだ。

 ちっとも面白くない。売れないのも当然だと思った。彼が出勤時にいつも抱えている大きなかばんには、仕事道具である作業服とヘルメットと鉄琴が入っていた。


 自称、売れないジュエリーデザイナーの女性がいた。メモを取るために渡される紙切れに、指輪のデザインをよく描いていた。


 司法浪人がいた。国の司法制度改革で法科大学院が誕生し、新しい司法試験に完全移行するまでの猶予期間で、旧司法試験をまだ受けられるころだ。彼は法科大学院に行かず旧試験を受けようとしていた。慶応義塾大学の法学部と経済学部の両方を卒業したと自称する、濱元はまもとという男だ。

 濱元はいつも、紙切れに小さな文字でなにやらこまごまと書き込んでいた。なにを書いているのかと尋ねたら、司法試験の記述式対策なのだという。記述式試験を受けられる前提の短答式には合格したのかと聴いたら、ずっと落ち続けているというのでおれはあきれた。

 受験資格のない記述式の対策をしていることだけが、おれをあきれさせたのではない。オペレーション業務をやりながら必要に応じてメモを取るA4サイズの用紙は、退勤時に回収される。顧客個人情報の漏えいを防ぐためだ。だから、メモを取っても手元には残らない。あとでなにかに利用するには、まったく意味をなさない。

 記録に残せるのであればおれも、突然思いついたテレビ用、活字用の企画を忘れぬようメモに取る。だけど取っても仕方がないので、自称ジュエリーデザイナーに倣い、受電がない時は、左手をグーにしたりパーにしたりチョキにしたりして右手のペンでスケッチしながら、なかなか進まない時計の針と格闘した。


(「参の4 リハウスガールのカーテシー」に続く)

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