その後
リクエストがあったので軽率にその後を書いてみました。本編から数年経っています。
※キャラ崩壊注意。本編はみんな猫をかぶっていました。
「どこか穴場の肉料理店はないだろうか」
我が主は何を言い出すのか。
俺はオーガと思わず顔を見合わせる。
ここはイアン皇太子の執務室。この場にいるのはイアンと彼の側近である俺とオーガの三人。いつも通り仕事を進めながら(宰相候補のオーガはともかく、騎士の俺がなんで書類捌きをしているのか未だに納得していないが人手不足なのだから仕方がない)、ポツポツ雑談を交わしていた際のほんの一言。
脈絡も何もなかった。
というか、手元はいつも通りだけれどどうにも心ここにあらずな様子だったのはそれをずっと考えていたのか。
思わずため息をつきそうになるのをぐっと我慢する。
「いきなりどうしたんです?」
メガネの位置を直しながら訊ねるオーガの顔は呆れている。たぶん、俺も似たような顔をしている。
俺等はなんでイアンが突拍子もないことを言い始めたのか見当がついているのだ。
「ウェンディがストレスを抱えていてな。肉に思いきりかぶりつきたいというから」
やっぱり。
オーガも全く同じことを思ったに違いない。
イアンはウェンディ様と出会ってからこんな感じだ。特に出会ってばかりの頃はそりゃひどかった。
狼の本能むき出しでウェンディ様に近付こうものなら唸りさえあげ、一時たりとも離れたくないと引きこもった。しかも、数ヶ月単位で。
俺が生涯仕えようと思うくらいには有能な皇太子の抜けた穴はとてつもなく大きく、あの時の苦労は思い出したくない。その一番の犠牲者はイアンの仮初めの花嫁だったアリアに違いないが、アリアの護衛をしながら合間合間に書類捌きをするあの辛さは二度と味わいたくない。
恐ろしいことに、獣人が番に出逢うと大体こんな感じらしい。人間の俺には理解できない。
そんな番に首ったけの主に、俺はため息を今度は隠さず吐き出した。
ちなみに、普段は友人の距離感、公の場は主従の距離感と公私はきちんと使い分けている。イアンとしても気の置けない友の存在は大切だからとこの態度はやめてほしくないようだ。
「そりゃ、ウェンディ様にこの城での暮らしは息が詰まるだろうよ。山奥でのびのび暮らしていたんだろう?
でも、盛大な結婚式を挙げて、お前たちがモデルの歌劇は大流行、ついでに二人の絵姿も大人気。いくら穴場の場所でも二人揃って行けば絶対に気付かれるぞ?騒ぎは起こさないでくれよ」
ウェンディ様はよくやっている。
皇太子の番なだけあって頭の回転が速く常人なら五年はかかると思われる皇太子妃に必要な知識、礼儀作法、その他諸々を二年で習得しつつある。
元々田舎出身だから下々のことをよく知っていて、彼らの生活に寄り添った政策の案は有益だ。
だからこそ、たまにはマナーを無視した自由な行動をしたいという気持ちはよく分かる。よく分かるが、実現できるかは別問題なのだ。
イアンも難しいのは分かっていて、だからこそ頭を悩ませているのだろうが。
「…今度の地方への視察に、ウェンディ様も同行させましょう」
オーガのメガネが光る。
イヤな予感がする。あ、オーガが俺を見た。予感が確信に変わった。
「エリック、その時お二人の護衛団に入ってくださいね」
「…つまり、俺が単独で護衛している間にこっそり二人で抜け出して狩でもして現地調達で肉を食ってこい、と?」
「察しがよくて何よりです」
イアンは皇太子だが紛争鎮圧に駆り出されることも多いため、野宿やらなんやらには慣れている。ウェンディ様も山育ちだから動物を狩って処理してその場で食べるくらいできるだろう。
護衛も、イアン自身が相当に強いので護衛団は形だけだ。しかも我ながら俺は騎士の中でもトップクラスの強さだと自負しているので、そんな俺も入るとなれば上層部も気が緩むやもしれない。下手したら俺以外新人かも。
確か今回訪問するのは、隣国との境が気高い山になっていて、人の行き来ができないからトンネルを作ってるようなぶっちゃけ辺鄙な場所。そのトンネルの進捗具合が視察の対象な訳だが、つまり他国からの刺客が考えにくい場所だ。もちろんだからといって油断はできないが、過度に心配することもない。
そんな状況でイアンとウェンディ様を二人きりにさせるのは不可能ではないだろう。すぐ近くに山があるしウェンディ様の息抜きにぴったりだ。
だが、そのために念入りに計画を立てて、根回しをして、なんて必要なアレコレを考えるととんでもなくめんどくさい。
それに何より、
「イヤだ!俺は城から離れたくない!」
「昔は遠征につれてってくれってよく言っていたでしょう?」
「エリック、俺からも頼む。お前しか頼める奴がいないんだ」
「んなことないって!これを機会に信頼できる奴増やせって!」
「あなたはただアリア様と離れたくないだけでしょう?」
「そうですけどなにか?」
「うわ、開き直りましたね」
開き直って何が悪い。
こちとらいろいろ必死なのだ。番だからと何かと優遇されているイアンとオーガとは違うのだ。
「いいじゃねーか、お前らは夫婦なんだから!こっちは結婚したくてもまだできないんだよ!」
ウェンディ様はよくやっている。
それは事実だ。
しかし、ウェンディ様がアリアから皇太子妃の職務を引き継がなければアリアは仮初めの花嫁を引退できない。いや、番は見つかったしウェンディ様もいい調子だし別に今引退しても誰も咎めはしないだろうが、生真面目なアリア本人がけじめをつけたいというのだから仕方がない。
そもそもこっちは一目で運命と分かるような本能はないから、どれだけ苦労して口説き落としたと思ってるんだ。
え?好きになってくれなくてもいいとか言ってただろって?そんなもん男の見栄に決まってるだろ。
そんなわけで、年単位かけてようやく想い合う恋人同士になったのだ。ただでさえ恋仲になってから公私混同はいけないとアリアの護衛騎士ではなくなってしまった現状、引き剥がされてたまるか。
しかし、友人二人は薄情だった。
「エリックたちには本当にすまないと思っている。だが、このままではウェンディが潰れてしまう」
「心身を壊すと厄介ですよ。アリア様との引き継ぎに支障が出るかもしれません」
「頼む、エリック」
「巡りめぐってあなた達のためですよ」
「…あーもう、分かったよ!やればいいんだろ!その代わり、帰ってきたら休みをもらうからな!」
「ええ、アリア様の予定も調整しておきますよ」
ほっとした顔のイアンに、にっこり笑うオーガ。オーガは黒豹の獣人だが、本当は狐なんじゃないかと思うくらい腹黒い。
「では、休憩がてらエリックはこの書類を持っていってください」
渡された書類はアリアのサインが必要なもの。休憩兼ねてということは、一時間くらい抜けてもかまわないということ。
腹黒メガネは飴と鞭の使い方が上手いのだ。
そして俺はそれに逆らわない。素直に受け取ってアリアの執務室に向かう。なんと言われようとこちとら秘密の恋人同士。逢瀬の時間は積極的に作らないと。
アリアも仕事真っ只中だった。護衛と侍女が一人ずつついているだけで、声をかけて下がらせる。
「ちょうどよかった。ウェンディ様用に北部地方の主要な方言一覧をまとめてみたの。イアン様に持っていってくれる?」
二十代も後半になろうというのにあどけない笑顔。かわいい。
俺がありがとうと頭を撫でると嬉しそうに頬を染めてくれた。かわいい。
この素の姿を見られるのは俺だけだ。
最近になって知ったことだが、俺の恋人は意外と甘えただったらしい。これまで甘える相手がいなかった反動だろう。かわいい。
そんなわけで、俺はこの五つ年下の恋人を時に子ども扱いまでしてできるだけ甘やかすことにしている。
「後で持っていく」
「休憩?お茶でも用意してもらう?」
「んー、今はいいや。アリアも休もう」
ぽんぽんと勝手に座ったソファの隣を叩くと、アリアは少し困ったように微笑みながら隣に来てくれた。座ったのを確認してその太ももを枕にして寝転がる。
「エリック!?」
「ここには俺しかいないんだから、いいだろ?」
長い毛先をツンツンと軽く引っ張る。下から見る真っ赤な顔もかわいい。
「もう、こんな人だと思わなかった!」
「男ならみんなこんな感じじゃないか?」
「イアン様は違います!」
「いやいや、あいつだってウェンディ様相手ならどうだか」
「それは、そうかもだけど」
イアンとウェンディ様の名前を出しても傷ついた様子はない。もう完全にイアンは過去の男なのだ。そうなってもらわないと困る。
それに、こんな人だと思わなかったはこっちのセリフだ。
仮初めの花嫁にはもったいない子だと感じていた。
自分の立場を分かっていて、それでも膨れていくイアンへの想いを必死に隠そうとするいじらしさを間近で見て、一生守ってやりたいと思った。
その思いは今も色褪せないが、打ち解けるところころと表情が変わり、初々しさ全開で甘えてくるとか、こんなかわいいなんて聞いてない。
どれだけ俺を夢中にさせるつもりだ。
「今度さ、イアンの視察についていくことになった。しばらく会えないかも」
「そう、ですか」
敬語に戻ったのは聞き分けのいい子になろうとする合図。でも、表情が少し曇ったのを見逃さない。
ああ、俺は愛されている。
「それが終わったらアリアと一緒に休みをもらうから、どこか出掛けよう。どこがいいか考えといて」
一応アリアは仮初めの花嫁だから、あまり目立った行動はできないけれど、幸い俺たちはイアンたちほど目立たない。服装や髪型を変えれば一緒に街を歩くくらいはできる。
目を丸くするアリアの頬を撫でると、彼女は目を細め少し首を傾けて俺の手に擦り寄る。本当にかわいい。
ウェンディ様にはほどよくリフレッシュしてもらってさっさと引き継ぎを終わらせてもらおう。オーガの言う通り、それが俺たちのためになる。
早く結婚したいからな。
俺とあなたが結ばれるとき、幸せな日々が始まるのだ。
読んでいただきありがとうございました!