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イアン様の番が見つかった。

私たちの挙式から一月後のことだった。


南部地方で紛争があり鎮圧に向かったイアン様が助け出した市民の中にお相手がいたそうだ。

歌劇のような運命的な出逢い。

すでにお二人をモデルにした脚本が作られ始めているとか。そのうち私に翻訳の依頼が来るだろう。それを思うと胸の辺りが重くなる。


お二人が出逢う瞬間に立ち合わなくてよかった。目の当たりにしたらきっと、己の立場も忘れてみっともなく涙を流していたに違いない。

知らせを聞いて実際にお会いするまで3日の猶予があった。その間に私は気持ちの整理をつけて平静を装える程度には冷静になれた。


番の女性はイアン様に直接紹介していただいた。

ウェンディ様という山猫の獣人で、波打つ赤髪にエメラルドのような緑の瞳の美しい女性だった。不安に揺れながらも好奇心でキョロキョロと辺りを見回すそのお姿はなんとも初々しかった。


私は彼女になんて声をかけただろう。

記憶が曖昧だ。


ただ、この世の誰よりも大切だといわんばかりにウェンディ様から離れようとしないイアン様の姿にどうしようもなく胸が痛かったことだけを覚えている。


ショックとかそんなものじゃない。

ただただ土俵が違うのだと思い知らされた。


イアン様の目が、頬が、手が、足が、その体全てがウェンディ様への愛で溢れていた。

あからさまといっても過分ではないその姿はいっそ清々しい。


最初から、選ばれないのは分かっていた。

私は仮初めの花嫁。

イアン様の隣は、はじめから私の居場所ではない。

私の居場所は、どこにもない。


それでも私はまだイアン様の妻だった。

正式な婚姻から一月。イアン様の子を身籠っているかもしれないからだ。それに、ウェンディ様は皇太子妃教育真っ只中だ。精力的に取り組んでいると聞くが、身に付くまで数年はかかるだろう。そのサポートに公務の代理にと私の仕事はまだまだある。しかも、番の存在にイアン様は気もそぞろで、彼の仕事の一部まで私が負担している。正直ただの仮初めの花嫁だった時よりも今の方がずっと忙しい。


「アリア様、いい加減お休みください」


一心不乱に筆を動かしていた私に、護衛騎士が声をかける。私はそちらに視線すら向けず、手を止めることなく返事をした。


「あと少しでキリのいいところになるから、そうしたら休みます」

「先程も伺いました。そのキリのいいところはいくつあるんですか?」

「……」


とっさに言葉が出なかった。

休みたくなかった。なんでもいいから動いていたかった。

それを、見透かされているような気がした。


「ごめんなさい。私がこうしているとあなたが休めませんね。後は自室でしますからあなたも休んでください」


以前は三人ほど常駐していた護衛騎士も、仮初めですらなくなった偽りの花嫁には一人つくだけになった。侍女も目に見えて減った。こうして、じわりじわりと私から人がいなくなっていく。


「エリック様、いつもありがとうございます」


休憩の時間以外彼はいつも私の側にいてくれる。今もっとも私を気にかけてくれる人物といってもおかしくないかもしれない。

エリック様は目を見開いた。


「名前を、覚えてくださっていたのですか」

「この国に嫁いでからずっと私を護ってくれているのですから、当然じゃないですか。イアン様の側近なのに、私のお守りばかりでごめんなさいね」

「そう御自分を卑下しないでください。誰がなんといおうとあなたはこの国にとって必要な方です」


式を挙げるのがあと一月遅ければ。

仮初めの花嫁に無駄な金を使った。

もう聞き飽きた苦言は他の誰でもない私自身が同じ意見なので何も言い返せない。イアン様は怒ってくださったけれど。

だから私は、少しでもこの国に貢献しなければならない。


そんなものは、綺麗事でしかないのだけれど。


「アリア様、肩の力を抜いてください。それと、素直になってください」


私の頭に、エリック様の手のひら。努力を怠らない剣だこだらけの武骨で硬い、でも温かい手。


「イアンが好きなのでしょう?ここには自分しかいません。好きなだけ吐き出してください」


気付かれていた。

私の秘めた想い()を。

私の目から涙がこぼれ落ちる。一度出てしまったそれは制御不能で、止めどなく流れていく。


「イアン様、イアンさま」


好きです。

愛しています。

決して声に出すことはできないけれど、この気持ちは確かに本物だった。


エリック様が優しく私の頭を撫でてくれる。

硝子細工を扱うかのように慎重に、丁寧に。

イアン様の手も同じなのだろうか。彼に触れたのは挙式で共に歩んだ一度だけ。だから私は彼を知らない。

一生、知ることはない。


今はただ、エリック様の優しさに甘えたかった。





どれほどの時が経っただろう。

目のあたりがヒリヒリする。エリック様に差し出されたコップの水を一度に飲み干しても喉が渇く。


「ありがとう、ございます」


なんとか絞り出した声はかすれていた。

きっと、ひどい顔をしている。

それなのに、エリック様は呆れることなく私に向かって微笑んでいた。


「こんなにも想われていてイアンは幸せ者だな」

「…いえ、イアン様には私の愛など不要でしょう」

「では、あなたにとって私の愛はいりませんか?」

「え?」


エリック様が私の目の前で跪く。


「もちろん今すぐとはいいません。心の整理がついたら私との次の人生を考えてくれませんか?」

「そんな、私、イアン様の仮初めの花嫁で、正式な婚姻も結んでいますのよ?」


護衛騎士と二人きりにされていることから分かるように、私はもう皇族とは無関係の存在だ。公務さえこなしていれば他の男性と懇意になろうと問題ないだろう。イアンさまにも遠回しにそのことを告げられている。

しかし、失恋直後という事情を抜きにしても私は次の恋愛を諦めていた。皇太子の相手をしていた女性を他の男性が求めるとは思っていなかったから。


「でも、あなたはイアンと()()()()()()()()()()()()

「どうしてそれを!?」

「さすがに本人からは聞いてませんよ。けど、あいつああ見えてロマンチストだから、そうだろうなぁと思っていました」


『私は仮初めの花嫁は必要ないと思っている。だが、人が足らない。だからあなたには皇族と同等の立場の人手として嫁いでもらいたい。

そして、私はあなたや、将来出逢う番を裏切る真似はしたくない。何年経とうと必ず番は見つけてみせる。あなたの恋愛も全力で応援しよう。だから、周りになんと言われようと白い結婚でいることを許してほしい』


申し訳ない、と皇太子でありながら私に頭を下げたイアン様。

彼は最初からずっと私にも、番にも誠実であり続けた。その誠実さに惹かれてしまった自分はどうしようもない愚か者だった。


「好きになってくれとは言いません。ただ、あなたが肩の力を抜いて安らげる存在になりたいのです。どうか、この手をとってください」


私を見上げる真摯な瞳は、イアン様のそれとよく似ていた。けれど、エリック様は私だけを見ていてくれる。


「…ずるい女に、なっていいかしら?」


心はまだイアン様にあるのに、他の、しかも側近の彼にすがるなんて、なんて卑怯なのだろう。

それなのに、エリック様はニカッと景気よく笑う。


「それなら私は傷心の女性につけこむずるい男ですから」


イアン様とは違う、快活な笑顔。それでも私の心臓は小さく跳ねた。




私とあなたが結ばれるとき、私の恋は静かに終わりを迎えるのでしょう。

ちなみにエリックは人間です。

身体能力の優れた獣人が多くいる中実力でイアンの側近にまでなった努力の人です。

アリアが嫁いだ時、彼女の故郷が人間ばかりの国だったため、イアンが気を遣って護衛も侍女も全て人間で揃えるように手配していました。

本文のどこかにいれようとしてたのに入りませんでした。


ここまで読んでくださってありがとうございます!

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