【電子書籍混入】婚約者が異世界産の聖女と結ばれたらしい
「リリーナ、貴様との婚約を破棄する!」
この国の第二王子であるアントン様がそう言った。パーティーの最中に声高らかに宣言することではないという言葉を溜息と共に呑み込んで口を開く。彼も、その隣にいる彼女ももう16歳だというのに幼稚なことをするものだ。
「破棄する必要はございません。殿下と私の婚約はすでに解消されています」
アントン様は目を見開き「聞いてないぞ」と呟いた。それもそのはず、彼の承諾など必要なかったのだから。けれどアントン様の誕生日パーティーなのに、私をエスコートをしなくとも誰も何も言わなかった時点で察して欲しいものだけれど。普通、婚約者以外の女性を連れていたら従者が悲鳴をあげている。
「それは何時のことだ?」
「一ヶ月ほど前のことかと」
アントン様も勿論のこと、その隣にひっついているミカ様も狼狽えている。いったい二人が何を企んでいたのかは知らないが、私を悪者にでも仕立て上げるつもりだったのだろう。私は善意で何度も注意してあげたというのに。アントン様とミカ様は一緒にいるべきではない、離れたほうがいいと。
「でたらめを言うな!何故、私と貴様の婚約がすでに解消されているのだ!?」
「殿下とミカ様が結ばれたためですわ」
この場合の結ばれたとは心の話ではない。男女の関係になったことを意味する。アントン様とミカ様が結ばれたのならば私との婚約は解消される、わかりきっていたことの筈なのだけれど。
「そうか。私がミカと結ばれたことに貴様が耐えきれなかったのだな」
鼻をふくらませながら満足気に頷くアントン様。隣にいたミカ様も「そっかあ!」と声をあげた。
「彼氏が他の人を好きになったりしたら、耐えられないよねえ」
「しかし私はミカに心を奪われた。リリーナにはミカのような愛らしさが足りないからな」
私はこの二人の相手をせずに「そうですわね、それでは御機嫌よう」と言って去りたい衝動にかられた。だけど、こんな大勢の前で恥をかかされて引き下がるわけにもいかない。それに二人にはいい加減に現実に向き合ってもらわなければ。
「一つお聞かせ願いたいのですが、お二人は“防疫”という言葉はご存知でしょうか?」
「なんだそれは?」
「なにそれ?」
アントン様は知らないと思ったが、ミカ様も知らないとは。彼女は素晴らしい魔法を持っていたけれど、知識があまりにも足りていなかった。「土を浄化する」彼女の力で、先の戦争で汚れた土地は美しくなったけれど。それだけだ。
「かつて隣国に招かれた異世界の賢者様よりもたらされた知識のことです」
「ミカ、本当に知らないのか?」
「知らないし~!」
同じ異世界人、知っているのではとアントン様は考えただろう。同じ言葉がそっくり彼にあてはまるのだけど。国政に関わる者がこの言葉を知らないのはあり得ないのだから。
「賢者様は“感染性の病気でもっとも大事なのは広げないこと”と仰りました。つまり“防疫”とは感染性の病気を流行させないための処置のことを表します。特に未知の病気は爆発的に広がる可能性があるため、どの国も防疫は徹底しております」
「はあ、それが何だというのだ?」
ここまで言っても気付かないとはアントン様のなんと愚かなことか。国防、特に防疫について詳しい貴族達は全てを悟って青褪めているというのに。
「単刀直入に言いましょう。ミカ様は感染源の可能性があると判断されました」
「はあ!?アタシ病気じゃないんですけど!?」
「それは誰が証明してくださるのですか?」
「そんなのアタシが一番解ってる!病気なんかない!」
私は蔑んだ目を彼女に向ける。防疫とは何かを彼女は知らないのだから!
「賢者様は“人はその土地にあわせた体質になる。現地の人にとっては問題ないものが、他国の人には毒となりうることがある”とも仰りました。すなわち、ミカ様にとっては病気ではないものが我々にとっては病気になる可能性があるのです」
「それならば既に我々は全員が感染しているだろう!?誰も体調を崩していないのであれば、ミカは感染源などではないのだ!病気など持っていない!」
「空気感染ならばそうでしょう。ですが、別の経路ならば話は別です。最初にお伝えしました。殿下とミカ様が結ばれたため、私との婚約は解消になったと!」
全てはこの言葉に集約される。これは“防疫”なのだ。
「殿下はミカ様の体液を口にしたため、病気に感染した可能性があると見なされました」
海を一つ隔てただけでも病気というのは未知数なのに、異世界なんて場所から来た少女が警戒されない訳がない。アントン様はやっとそのことを理解して愕然としていた。
私が耐えきれなかったから婚約が解消されたのではない。アントン様が軟禁される道を選んだので婚約が解消されたのだ。
「アントン様とミカ様はこのパーティーを最後に王都を離れていただく、私はそのように聞き及んでおりますわ。10年経過しても問題がなければ、病気に感染していないと見なされます」
「10年だと!?」
そのあまりに長い年月に二人は呆然とする。私は哀れみをこめてミカ様を見た。
「10年ほど清らかな身で教会に務めるよう、何度も申し上げましたのに」
「え、あれって、そういう」
彼女が初めてこちらの世界に迷い込んできてしまった時、神官長は彼女を聖女として迎え入れた。同時に10年は清らかであるように言っただろう。確かにまだ16歳である彼女には長すぎる。だけど、私達からすれば生死をわける重大事項なのだから、引くわけにはいかなかった。
10年を我慢できたのならば見目のいい若者との縁を結び、どこかの貴族に守ってもらうよう手配すると教会も陛下も誓ったそうだけれど。そんなので若い少女が納得できるわけもなかった。ちゃんと最初から説明するべきだったのだ。
「ミカ様だけならば、ある程度の自由が許されておりました。着飾り、観劇や食事を楽しむことも難しくなかったはず。友人と会話を楽しみ、お慕いする殿方と手紙のやり取りはできたでしょう。ミカ様の護衛騎士が護ってくださっていたのですから。
ですが、殿下とミカ様は護衛騎士の目を盗んでまで結ばれることを選びました。陛下は考えを改めざるを得なかったご様子。厳重に隔離すべきだと」
これから長い10年が始まるだろう。とはいえ、衣食住は保証されているし厳しい労働もないので、のんびりと乗り越えてほしいものだ。もし病気にかかっていなかったら10年後には本当の自由を得られるのだから。
<一ヶ月前>
「リリーナ様、陛下に掛け合ってくださり何とお礼を申し上げればよいか」
「気になさらないでくださいませ。私も殿下を諫めることができなかったのですから」
私の前で跪いているのはミカ様の護衛騎士だったレオン様だ。彼は職務をまっとうできなかったとして罰せられそうになっていたのを私が止めた。そもそもアントン様が防疫について無知だったのは王族も同罪なのだから。レオン様だけが罰をうけるのはおかしい。
私はそんなことを言いながらも、おかしくてお腹を抱えて笑いそうになってしまった。はしたないので口の端を吊り上げるだけに留めているけれど。
「レオン様はどこまでが計画の内でしたか?」
私がそう問うと、レオン様は顔をあげる。そして薄らと笑みを浮かべていた。
「おそらくリリーナ様と同じですよ」
私は我儘で愚かなアントン様に飽き飽きしていた。どうしてあの人と結婚しなくてはならないのかと何度も思うほどに憂鬱だった。それなのに周りは妙な期待ばかり押し付けて、仕事も課してくる。
レオン様もきっと奔放なミカ様に苦労していた。何度も説明しようと「難しい話はわからない」と聞いていなかったのだから。防疫についても無知だった。それなのに周りは護衛騎士だからと全ての世話を投げてくる。
どちらも目をつむったのはワザとだった。
「婚約者が居なくなってしまったので、兄が私にお仕事を紹介してくださいましたの。他国よりいらっしゃった貴賓の皆様をおもてなしする“防疫”の仕事なのですけれど」
「それは男手、それも腕っぷしの強い者が一人ほしいのでは?」
「話が早くて助かりますわ」
私とレオン様は共謀したわけではない。ただ、気がついたら都合が良かったので互いを利用しただけだ。結果的にそうなったというだけの話。
だからこそ、私とレオン様は上手くやっていける気がする。仕事だけではないパートナーとして。
「アントン様とミカ様、10年後には仲良く出てきてくれますかね」
レオン様の言葉に私は「あら」と声をあげた。
「それは難しいですわ。アントン様はご病気ですもの」
密やかに連載している「虐げられ令嬢、知識チートな陰キャに嫁入りする。」と実は同じ世界線です。