第四十話 監視社会
恐らく危険人物ではないと分かったが、安心は出来なかった。
「まぁ座りなよ~」
彼女は言った。『今日来た冒険者が裏路地で寝てると信徒から聞いた』と。つまり、俺は……いや、俺だけじゃない。この町に来た人間は全て監視されている。
とりあえず、従わないと何をされるか分かったもんじゃないので、大人しく座る。左隣に座った所為か、視界の端に入れ墨が見えて落ち着かない。
しかし……夕暮れの町の裏路地で女性と2人、ベンチに座る。聞こえは良いがとんでもない。俺の背中は嫌な汗でびっしょりだった。
「そう緊張しないでよ~」
「するなと言う方が難しいですよ」
「口調も硬くなっちゃったし、何か、変な勘違いしてない?」
嫌に鋭い。それは教祖としての勘か……。誤魔化すにしても下手な芝居はできない。こういう時こそ、目と目を合わせて……。
「……ッ!」
「なぁに? ……どうかした?」
彼女の赤い目。人のそれとは違う、縦に長い黒い瞳孔を見た瞬間、まるで巨大な竜に睨まれたかのようなゾッとした威圧感に飲まれて言葉を失う。背中が気持ち悪い。前言撤回、此奴はとんでもない危険人物だ。誰か助けてくれ!
「なにも……何も、ないですよ」
「ふぅん、そう」
そう言った彼女は本当に何でもなかったかのように視線を外し、自身の爪先を眺めた。正直、目を逸らしてくれて助かった。もう少し遅かったら俺のズボンはびっちゃびちゃになっているところだった。
そして沈黙が続いた。裏路地とはいえ、街中なのに1つの音も聞こえないことに漸く気付く程に、俺は緊張していた。この状況は、あまりにもおかし過ぎた。人1人居ない街中に異邦人と教祖が二人。普通なら、教祖なんて重要人物を守る為の護衛が2、3人居るのが普通だ。悪漢や異常者が居ないとも限らない。
だがこの場にそんな人間は居ない。もしかしたら姿を隠しているのかもしれないが、俺だって幾度かの死地を潜り抜けて此処に居る。多少の気配感知くらいは出来る。
だがそれでも何の気配もなかった。家の中も、外も、周囲には本当に人間も動物も居なかった。
「君は竜に遭ったことはある?」
「いえ……ありません」
此処へ来る前に遭遇したイエローワイバーンは翼竜種だ。亜竜は竜に非ず。これだけは間違えてはいけない。
「そっか~。なら、良かった」
「良かった……とは?」
「先に私に遭えて良かったねって。初見で竜の威圧を浴びたら君、即死だっただろうし」
「……」
良かったもクソもあるか。ベラトリクスの言葉をそのまま受け取るのなら、俺が此処に居る時点で遭ってないのは明白だし、であればあの眼光の威圧は只の嫌がらせでしかない。この性格の悪さを見ると、自らの手で教祖の地位を奪った女というだけはあるのかもしれない。
「悪かったよ、そんな怒んないで~」
「とんでもない。怒ってなんていませんよ」
「そう? 良かった」
彼女の言う『良かった』に1つも良い意味が込められてない気がしてきた。
「さて、私はそろそろ帰らないと」
「さようなら、教祖様」
「様なんて付けないでよ~。君は信徒じゃないでしょう? 名前で呼んでくれると嬉しいな~」
「では、ベラトリクスさん。さようなら」
「あはっ。またね、ウォルター・エンドエリクシル君」
先に立ち上がったベラトリクスは俺の前に立ち、薄気味悪い笑みを浮かべながら、伸ばした人差し指で俺の首から顎先へとなぞる。びちゃびちゃの背中が、今度は粟立った。
そんな俺を1人放置し、ベラトリクスは何処かへと行ってしまった。暫く放心していた俺は町の喧噪が戻ってきたことに気付き、慌ててその場から走り去った。
□ □ □ □
「……とんでもない女でしたよ」
「今度会ったら怒っておくからね」
宿に戻った俺はすぐさまチトセさんの部屋に転がり込んだ。あんな恐ろしい女が徘徊し、その女の信徒が監視する町になんて居たくもなかった。チトセさんの傍しか安心できなかった。
「いやいいです。俺がチトセさんに報告したってバレるので」
「あの子に対等に文句言えるの、多分あたしくらいしか居ないから言っとかないとずっと監視されるよ?」
「うーん……ならチトセさんと一緒に居れば監視の目も緩むかも」
「あー、確かにそれはあるかもしれないね」
長くこの町に滞在し、教祖ベラトリクス・ヨルムンガンドと元パーティーメンバーであるチトセさんであれば監視の目も緩い。もしかしたら諍いの原因になるからって逆に監視しないようにしているかもしれない。
「ヴィンセントも呼んで対策会議しましょう」
「だね。呼んでくるよ」
怖い思いをした俺は安心安全なチトセさんの部屋で1人待つ。しかし今思えばこうして角部屋に通されたのはラッキーだった。一部屋ごとに飛び飛びで通されたら完全に筒抜けだ。でも多分、チトセさんが相手だから下手に小細工するのは無理だったのだろう。いっそもてなして、油断しまくりな俺みたいな雑魚を見張ればいくらでもボロは出るだろうし。
すぐにヴィンセントを連れて戻ってきたチトセさんと3人で対策会議が開かれる。一先ず、今日あった出来事を報告した。
「……ってことがあった。俺達は見張られてると思って間違いないと思う」
「面倒だな。全員始末するか?」
「駄目に決まってるでしょ。ていうか何でベラはあたし達を監視なんてしてるんだろう」
「単純に竜狩りを行わないか……ってだけならいいんですけれどね」
新規の冒険者が粗相をしないよう一定期間は監視する……とかなら全然、俺としては構わないのだが。それで身の潔白が証明されるなら安いものだ。まぁ俺は、だが。
「うーん……ベラの事、実はそんなに詳しく知ってるって訳でもなんだよね。揉めてたから元パーティーメンバーってことで多少の手助けはしたけれど」
「竜に変化する魔法を使う二色で竜教二代目教祖、そして元赫翼の針ってことぐらいしか俺も知りません」
「今は竜教の人間ってイメージが強いけれど、昔は”幻竜”っていう二つ名があったんだよ。一瞬だったけれどね」
幻竜か。ちょっと格好良いな……羨ましい。
「すぐ教祖になっちゃったからね。廃れちゃったけど」
「でも二色であることは姿を見ればすぐ分かるから忘れられはしないですね」
印象強い姿だった。長い黒髪に交じるように色付いていた深い緑は幻想的な組み合わせだったな。チトセさんの燃えるような赤や、ヴィンセントのハッキリとした白も好きだ。俺の二色はベージュと灰色だから分かりにくい。
しかし今にして思えば、最初の頃は二色になったら新しい色の髪が生えてくるものだと思っていた。だが生え変わる早さから考えて、生えるのではなく染まるのだと分かった。俺はまだ二色になってそんなに経っていない。もしかしたら今の灰混じりの髪から、また違った雰囲気になるかもしれないな。
「監視されてるのは間違いない。でもその理由がはっきりとは分からない。だから、一先ずは揉め事にならないようにしよう。具体的に言うと竜は絶対に攻撃しちゃいけないってことね」
「竜教の教えですからね。できれば冒険者同士の諍いも極力控えましょう」
「絡んでくる奴等も居るかもしれないが、俺達は二色だ。良くも悪くも注目されやすい。言葉1つで揚げ足を取る連中も多いだろうし、気を付けよう」
頷き合い、方針を心に刻む。一先ず、監視への対策はこれしかないだろう。気を付けるべきところは気を付け、俺達の目的であるダンジョン攻略を進めていくことにしよう。




