03-002-02 俺君剣聖、六ヶ月夏。ルシアと居合いの勝負
「ぎゃー!(やったー! 乳歯だー!)」
──だが、俺が喜ぶのを他所に、二人の弟子の間では恐ろしい陰謀が進められていたのである。そう、二人は俺に食べさせる硬い物をまだ考えていたのだッ!
「まだ無理だって! でも、硬いもの齧ってるお師様の姿も見てみたい! きっと何も知らずに涙目で食べてくれるはず! でも、お師様には未だ無理だろうから……」
言いよどむアリムルゥネ。ルシアが少し前に失敗した案を再び出した。
「……なら、ニンジンの甘煮でいいよな? 噛んだ傍から形が崩れるやつ。もちろん、小さめに炊く」
ルシアの台詞。俺の背中に戦慄を走らせるに充分であった。
──再び今日も来るのか!? ニンジン。あの赤い悪魔。
「どしてもルシアはニンジンにこだわるわけね。いいよ。やってみよう! わたしはお師様が吐く方に銀貨一枚、わたしは吐く方にかけるから、ズルの無いようにルシアがニンジン入りの御粥を炊いてね?」
「構わないぜ。その勝負のった。私が調理担当な? そして、私はライエン様がニンジンを食べるのに銀貨一枚」
ルシアが口の端を少しつり上げて笑った。
「ぎゃー! ぎゃぎゃぎゃー!(なんだと弟子ども、ニンジン!? よりによってニンジンで賭け事だとぅ!?」
「お師様は喜んでる」
──ん・な・わ・け・あ・る・か! このバカ弟子がッ!
「ぎゃー!(どこ見てるアリムルゥネ!)」
「……そうだな(ニタリ)。ライエン様の食事を作るのも一苦労だな」
「なに、何事もお師様のため。わたしたちの苦労なんて、些細なことだよ」
「ぎゃーーー! (ルシアバカ言え! 俺様のためならニンジンは止せ! こら、アリムルゥネもルシアも笑うな! 気になるだろ!? 食事のたびにこのプレッシャー……神経性胃炎に掛かったらどうするつもりだ!)」
──後は自然にルシアは動く。
「さ、ライエン様の分も作り始めようかな。真っ赤な粥を待ってろよ、ライエン様」
「うん、お師様が喜んでお食べになる姿を早く見たい!」
「まあ、待てっろよアリムルゥネ。と、ライエン様も!」
二人の視線が俺の顔に集まる。二人の弟子は、意味ありげにニタリと笑っていた。
「ぎゃー!(嘘吐けお前ら、わかってやってるだろ! 乳児虐待反対!)」
──こ、この年(零歳六ヶ月)で神経性胃炎……ありえるかッ! え? もう一歩進んで円形脱毛症や血尿の危機!? 冗談じゃないんだよ!」
◇
アリムルゥネにまた背負われた俺。まだ穏やかな蝉の声を背に、夏のこの日にニンジン粥を食した。
ドロッドロに融けた麦の粉。そして、甘く炊かれたという噂のニンジン(ルシア談)。
俺君、スプーンはもてない。
よって、あーんしてもらう立場の俺なのだが……ああ、粥の中に僅かな赤い線が見える。きっとニンジンの繊維だ。
俺は戦慄する。白くドロドロの麦粉。チロチロと俺が伸ばした舌先。味は無い。いや……ほのかに甘かった。ニンジンのせいだろうか?
──ええい、麦粥くらい(モチモチなどしていない。ほとんどサラサラな粥だ!)一時の我慢だ、バクバク食べてやるぜ!
と、俺も腹を決め、口を開けた。「んーーーーーーーーぁ」
──刹那。
「そらよ」
と、口を開けた瞬間、放りこまれるスプーンは神速。「ガキィ!」と、前歯とスプーンが物凄い勢いで衝突した。
まるで盾(歯)にぶつかる刃のように。
「あ、悪ぃ、ライエン様」
「ぎゃーーー! (またこのパターンか、またもやお前かルシア!! 俺はまたしても、あちらの世界を垣間見たぞ!)」
──俺は泣いた。ギャァギャァ泣いた。平常心のルシアに訴えるべく、さめざめと泣いた。
背負い紐がアリムルゥネの背から外される。俺の体はルシアに預けられた。
俺はそんなルシアに抱きかかえられ、あやされる。
「ライエン様、ごめんな。痛かっただろうにこんな抱いてあやす事しかできなくて」
「ぎゃああ!(痛い痛い)」
ルシアの右手が俺の背中をリズミカルにポンポンと間隔をあけて叩く。
そして背負い紐でルシアは俺を背中におんぶした。
「ほらよ、ライエン様」
ルシアの柔らかな背中、そして肩に当たる俺の頬。
ルシアはそんな軽やかなステップを踏んで、俺にリズムを楽しませる。
──うぉお、俺君眠いかも。
「なにしてるの、ルシア」
「戦士の意地の張り合いさ」
「なにそれ」
俺の瞼がうつらうつらと閉じかかる。ルシアは「ほい」っと高い場所へと俺を担ぎなおした。そして俺はルシアの肩に顎を乗せ、
べとり。……あ。
──俺はルシアの肩に乳歯が堰き止めていた涎を「でろーん」と大量に吐き出す。その中にはニンジンの繊維が一つと言わず入っている。
一連の俺の動きを見ていたアリムルゥネがさめざめと泣く。ルシアも泣いた。
そして、ルシアから椀とスプーンを取り上げ、アリムルゥネはその手に準備していた哺乳瓶をルシアに渡す。
「わたしの勝ち! イェイ!」とアリムルゥネ。
「負ーけーたー!」と、喚くルシア。
そんなルシアの手で俺の眼が瞑る前に口元へ運ばれるものがある。人肌程度に暖めた、スラぶーのミルク入りの哺乳瓶だった。俺は目ざとく吸い付き、今度こそ夕飯とばかりに、先ほどあった眠気はどこ吹く風、今度はミルクをんぐんぐと飲みだしたのである。
「ほらよ」
ルシアの手から、銀貨が一枚アリムルゥネ目掛けてとんだ。
アリムルゥネの右手がキャッチ。
「賭けはわたしの勝ち!」
「そうだな。アリムルゥネの勝ちだ」
「えへへ」アリムルゥネの頬が綻んだ。
「私の邪気眼は最強。次は勝つ」ルシアは祈るがごとく、小声で「私は勝つぞ」と三回呟いた。
ルシアは時々焚き火に枯れ枝を投げ入れる。
日はすっかり西の地平線の下。焚き火がパチリパチリと鳴っていた。
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ここで一句。
蝉時雨 迎える人ぞ 旅模様 (ライエン)




