00-001 俺君剣聖、いま人生を振り返る
よろしくお願いします。
俺は温泉が好きだ。
卵が腐ったような匂いのする湯の花咲く硫黄温泉も、鉄錆で真っ赤に化粧される鉱泉も、野生の猿と一緒に入る岩山の炭酸水露天風呂も、みな好きだ。
また、河原を掘ると湧き出てくる自然温泉も、きつい蒸気で蒸しあげる大衆浴場、サウナも。みなそれぞれに風情があり、小さな温泉も、大きな温泉も。大好きだ。
俺は八十八歳になる。頭も髭も真っ白で、髪は切るのが億劫で、長くして後ろに垂らしている。俺の痩せた骨と皮ばかりの皺のある手足には血管が浮き出ている。肌の染みは、老人のそれだ。俺は覚悟している。このままでは老衰で死ぬだろう。だが、生涯現役でありたい。とはいっても、もう弟子を取って鍛え、育て上げようという思いも薄れた。思えば生涯七百七十七回行った剣の真剣勝負にて、不敗、一引き分け。おそらく最後になるであろう弟子が二人いるが、二人とも相当な使い手になる。もはや俺の出番は無いだろう。
話を元に戻そう。
試合後の温泉は最高だ。
汗を流し、汚れや垢を落としては、湯に浸かり、心身ともに生き返る。極楽である。
まして、天女のごとき弟子たちと共に浸かる温泉はまた格別だ。俺がもう少し若ければ、それこそ桃源郷なのだろうが、俺はもう八十八。あっちの方は枯れ果てた。
この歳まで生きて思う。大切なのは孤独ではない、と言う繋がりこそが重要なのだ。それが数は少なくなったが、弟子を二人連れまわす理由。
猿や犬や雉と一緒に温泉にはいる民話はあるが、敵役である鬼と一緒に温泉を楽しむ民話は少ない。
この民話の作者は、温泉を一緒に鬼と楽しむ文化を否定する事で、人生の半分、社会の娯楽の半分を永久に失ったと同然なのだ。悪い鬼の本拠を襲撃しては、先住民の鬼たちの集落を襲い、金銀珊瑚の財宝を船に積み込み宝船を里へ持ち帰る海賊行為。
──そのような『力こそ法であり。力ある者、歴史を造る』。
……そんな考えがまかり通る世界で、俺は世の皆兄弟へ至る解決法を知っている。
その解決策が温泉。みな仲良く楽しむ温泉だ。
実に素晴らしい、稀代の文化の極みといえよう!
みなで温泉を楽しめば、自然と争いこそがおさまろう。
ビバ、テルマエ!
ああ、温泉は最高だ。温泉がなかったら、俺は生きている喜びを半分は失っていた。温泉を知らなければ、世界は暗黒に包まれていたはずだ。温泉。世界が俺に与えてくれた究極の憩いの場。この楽園を喧伝せずにはいられない。
温泉を知る事は、世界を知る事と同じ意味だ。
温泉を極める事は、人体の神秘を探る素晴らしい方法の一つなのだ。
俺は今回も弟子二人を連れて、秘湯を目指す。人跡未踏の場にある温泉。発見したときの喜びと言ったら!
無頼の俺にとことんまで付き合ってくれる、二人の押しかけ弟子と共に巡る武者修行。そして、戦いの後のお風呂! 温泉!
温泉。
重ねて言おう。それは創造神がこの世に生きとし生けるもの全てに授けた究極の憩いである。
──さあ行こう。最高の温泉が、今回も俺たちを待っている。