死神少女は夜を跳ねる
人知れず人間を食らう魔物。
それを狩るのは少女たち。
しかし魔物の勢いを止めきれず、人間は滅亡へと向かっていた。
魔物でありながら受肉し、人間を救いたいと願うもの。
人間でありながら魔石を取り込み、人間を滅ぼしたいと願うもの。
透明な心であるからこそ魔物を狩れる少女たちは、次々と大人になっていく。
なにが正しく、なにが間違っているのか。
一人の少女が答えを出す時、二つの世界は──
まんまる満月。
踊るうさぎのシルエット。
耳のように見えるのは、少女の長いツインテールだった。
誰しもが寝静まった真夜中の住宅街。
少女は屋根から屋根へ、音もなく跳ねていく。
黒と白のリボン、胸元には星型のコンパクト、ひらひらと短いスカートをはためかせる。
ぴったりとしたブーツのヒールは高くない。
目指す先、闇に紛れて人を襲う魔物が夢を狙って赤い目を光らせる。
不定形の魔物はずるずると重たそうに身体を引きずり、コンクリートの上を這っていた。
こぽり、こぽり。
ずる、ずる、ずる。
こぽり。
体内から湧き上がる泡が弾ける度、瘴気が立ち上って周囲の空気を汚す。
半透明の身体の中央で脈打つ核は、止めどなく魔力を放出していた。
「スライム風情が、わたしの町を汚さないで」
少女の胸元、コンパクトが光り輝き、そこから銀の装飾が施された柄が伸びてくる。
少女の小さな手がその柄を掴み、引き出すと、巨大な鎌が姿を現した。
柄の装飾とは反対に何の飾り気もない鎌は、月の光に鈍く輝き、真っ直ぐに魔物を捉えていた。
ふわりと、少女の身体と鎌が舞う。
瞬きの後、核が、砕け散った。
魔物が呻き声なのか叫び声なのか分からぬナニかを漏らす。
ばしゃりと音を立てて液状化した魔物は、光の粒になって夜に溶けていった。
少女は刃を下にして鎌を地面に立て、その刃先に舞い降りる。
仲間たちに死神と揶揄される、その姿。
死神でも構わないと思っていた。
ヤツらを屠る事が出来るのなら。
少女の視線は魔物の向こう側、丁字路の、塀の陰に注がれていた。
「そこにいるのは誰」
少女の声に反応し、外灯によって伸びた影が揺れる。
少女はいつでも飛び出せるように体勢を整えた。
影から生まれ出たように姿を現したのは、少女のよく知る顔だった。
「なんで……」
偶然出くわしてしまった一般人ではない。
明らかに意図して影の中に潜み、少女の行為を見つめていたのだ。
少女は即座に鎌を振るった。
魔物を刈り取る感覚とは少し異なる、鎌が人間の、それも見知った顔の肉体に食い込んでいく感触。
不愉快ではあるものの、しかし排除しない訳にはいかなかった。
この姿を、この役目を、わたしの正体を、敵に知られてはいけない。
二つに分かたれた肉体。
吹き出す血液に汚れないよう、少女はすぐに距離を取った。
普段より鋭敏になっている少女の耳に聞こえていた相手の鼓動がどんどん弱まり、そして、消えた。
対象が沈黙した事を確認してから、少女は胸のコンパクトを二回叩いた。
呼び出し音が鳴るでもなく、少女の耳に別の少女の声が響く。
『どしたー、なんか問題?』
「見てた人間を排除したから、片付けを頼みたいの」
『人間!? ちょっと、マジで言ってんの!?』
「大マジ。大沼商店の角のとこ。よろしく」
『はーーーー無関係の人間だったら処分待ったなしだからね!?』
「絶対無関係じゃない」
『はーい』
通信を切り、仕事を終えた夜のうさぎは月の光に紛れて帰路に就く。
人に戻った少女は布団に潜り込み、朝の訪れを待つのだった。
○○○
「かーやーちゃーん! おっはよー!」
架夜の朝は、陽咲の大声で始まる。
まだ開ききらない瞳をこすると、架夜はねぼけまなこで制服に着替えて歯を磨いた。
顔を洗って適当に化粧をし、首元にはチョーカー。
鞄を引っ付かんで玄関を開けると、眩しいくらいの笑顔。
誰もいない家にいってきますを言うでもなく、架夜は扉に鍵をかけた。
「おはよ、ひなた」
「寝癖残ってるよん」
「え、見逃した」
「しょうがないな~、ほら、ちょっと俯きなさい。ひなたちゃんはこんな時のために霧吹きを持ち歩いているのです」
ゆっくり歩きながら、陽咲が架夜の髪の毛を整える。
陽咲の方が背が低いから、架夜は少し屈みつつ歩いていた。
赤信号で立ち止まったのをいいことに仕上げをして、寝癖はきれいに消え去った。
二人とも、腰辺りまで伸びる長い髪を揺らしている。
違うのは、色だ。
架夜の髪は夜のように黒く、陽咲の髪は陽に透けてうっすらと金色に見えそうなくらいに薄い、茶色。
陽咲の髪は染めたわけではなく、地毛だった。
中学の頃は、染めたのではないという証明書を提出させられたくらいに見事な色だった。
高校生になった今では、架夜のように真っ黒な髪の方が珍しい。
校則の緩い公立高校では、もっと派手な髪の色をした子もいるくらいだった。
始業のチャイムに背中を押されながら教室に入る。
教師の挨拶にやる気のない挨拶を返して、今日も学校生活が始まっていく。
数学、現代文、科学、そして四限は体育だった。
架夜は体育着に着替えこそしたものの、ずっと校庭の端で座り込んでいた。
見学する旨は休み時間の内に教師に伝達済み。
トラックを赤い顔で何周も走り続ける陽咲は、なんで見学しているのだと言いたげな瞳で架夜を見つめていた。
「なんで長距離走のタイミングで見学するのさ、ずるっこ」
「女子特有のあれのせいでーす。わたしのせいじゃありませーん」
「チョココロネ買ってよ、ひとくちちょうだい」
「はいはい」
体育着から制服に着替え、一度教室に戻ってから財布を持って購買へ。
結局チョココロネは二人で半分ずつ食べた。
午後の授業も適当にこなし、放課後。
普段なら部活動に勤しむ時間帯だが、あいにく定期テストが近いので家に帰らなければならなかった。
橙色に染まる帰り道、架夜の足を止めたのは、陽咲の声だった。
「ねぇ、なにも、言わないの?」
架夜は、陽咲を振り返る。
夕陽を背負った陽咲の顔は、影になっていて、架夜からは表情が窺えない。
「なにが?」
陽咲の手が、架夜の首元に伸びる。
「昨日までは、してなかったでしょ」
「昨日買ったんだよ」
「うそつき」
「ほんとうだよ」
架夜は、抵抗しなかった。
陽咲が首の後ろに手を回し、架夜のチョーカーを、外す。
あらわになった架夜の首元には、生々しい一本の傷が走っていた。
まるで、首を落とされたような、一本線。
「なんで、生きてるの。アンタは昨日、わたしが殺したんだよ、かやちゃん」
「あれしきで殺しただなんて、詰めが甘いよ、ひなた」
「アンタなんなの。かやちゃんはどこ」
「いやだな、わたしは最初からわたしだよ、おばかさん」
「なんで! 急に……言う気になったの……ずっと隠していてくれたらよかったじゃん!」
「猶予がなくなったの。今のままだと、人間は滅ぶ。わたしは味方だよ、ひなた」
「信じられるわけないでしょ!」
叫ぶ陽咲に、架夜はブラウスを胸元までまくりあげ、腹部を見せた。
そこには飲み込まれそうに深い青色の核が、あった。
「わたしの核はここ。受肉してるけど、わたしも魔物だから核を壊せば死ぬ」
「……っ! な、なんなのアンタ……」
「人間を、助けたい。せめて二つの種族の住処を分けて、二度と関わらなくて済むように。それにはわたしの力だけじゃ無理なの。お願い、協力して」
陽咲は下唇を噛んで、苦々しく架夜を見つめた。
信じられない、信じたくない、でも、信じたい。
「今夜、かぼちゃ公園に来て。わたしの仲間を一人、連れていく。そこで詳しい話を聞かせて。アンタを信じるかどうかは、それから……いい?」
「もちろん。ありがとう、ひなた」
そう言って微笑んだ架夜は、どうしようもなく、陽咲のよく知る架夜だった。