紋章眼の宣教師 ラーズとレイの事件簿
世界各地にある様々な古代文明フォンテーヌの遺産。
それが紋章。
様々な紋様を駆使されて描かれたそれらは面白い性質を持っている。
唐草文様の非対称性をずらずことでこことあそこを移動できる、扉紋。
長方形と三角形の相似性をずらすことで天候を操る、雲紋。
丸と四角をずらすことで重さを変化させる、浮遊紋。
それは数種類だけど生活の隅々まで使われているのが現代。
新たな紋章が発見されたり、それによる事件が起こるとき必ず調査を依頼されるのが宣教師。
紋様省の宣教師が何が起きたかを確認し、収集し、問題がなければ世間に広めて周るの組織が教会。
ラーズはそんな紋様省に属さずに独立で生きる一匹狼の宣教師。
そんな彼が街角の掲示板に出した広告。
「助手募集、住み込み手当あり。ただし、素人、14歳以下。
男子に限る。補足。生命の危険あり」
しかし、訪ねて来たのは、赤ん坊を抱いた少女、レイだった。
紋章眼、なんて、響きの良いカッコよさそうな名前のやつがある。
三千年ほど昔に滅んだよく分からない神秘の文明フォンテーヌ。
それが残した遺産が、紋章だ。
この文明の遺跡は世界中に残っていて、紋章のいくつかは生活の隅々まで浸透してる。
唐草文様の非対称性をずらずことでこことあそこを移動できる、扉紋。
長方形と三角形の相似性をずらすことで天候を操る、雲紋。
丸と四角をずらすことで重さを変化させる、浮遊紋。
その他数百種類のレパートリーあるけど一般には出回ってない。
この紋章が何かを見分けれるようになると、紋章眼、なんて御大層な資格が与えられる。
資格を与えて紋章を管理するのが、紋章庁。
フォンテーヌ神なんて意味が分からない女神を祀ってる。
紋章眼の資格を得て、紋章の調査とか活用方法を行う支部が各地にある。
これが、教会。
で、教会は大小さまざまだけど、ど田舎とかだと一人でも運営できる。
そんな訳で、教会の管理者は牧師、宣教師、神父、シスター、マスター……
まあ、いろいろな呼び方があるけどやることは一つだ。
どっかの遺跡で適当に紋章いじって小遣い稼ぎしようとしたバカなハンターとか。
盗賊ギルドが後始末に困って持ち込んだ紋章とか。
新しく、紋章庁から各教会に配布される資料の一般への布教とかーー
あとは遺跡地下のダンジョンに潜って、紋章でモンスターぶっ飛ばしながらダンジョン攻略とか。
戦うために開発された武装紋章を描いた甲冑に身を包み、難民を襲う悪党と戦ったり、モンスター被害から民を守ったり、なかには趣味でドラゴン狩りなんかをするバトルシスターなんてのもいる。
ラーズはそんな紋様省に属さずに、ひとりで生きる一匹狼の宣教師。
アルザスの市内の貧民街に独立して教会を開いている。
え、なんで独立したかって?
紋章の布教とか運用とか管理ってとにかく経費がかかる。
ただでさえ、一般人が知らないから教えるための講習会だって何回もしなきゃいけない。
それに市民やフォンテーヌ教の信者を守るのも、宣教師の義務だ。
モンスターが畑荒らすだの、あの遺跡にグリフォンが住みついて危ないだの‥‥‥
トラブルは毎日、どっかで起きてて出動の嵐。
都心部ならいいけど、こんな田舎じゃ宣教師そのものが絶対数、足りてない。
仕方がないから、紋章庁に増援を依頼したりする。
もちろん、それはすぐに許可されて騎士団とかやってくる。
その見返りにノルマが厳しい。
今月のお布施たりねーぞ、コラ。なんて当たり前に言われる。
そうなると、副業しなきゃいけなくなる。
なんでかって?
信者の数は一定。お布施の額を値上げしたら速攻で、上にクレームの嵐。
モンスタークレーマーなんて当たり前。
そして、教会の宣教師がてめー何やってんだよ、お客様一番だろーが!!!
なんて怒鳴られる。
そんな理由で、闇の稼業の用心棒やったり、未開発の遺跡のダンジョン攻略したり。
なにやってもノルマ、ノルマ、ノルマの嵐。
世間のブラック企業も真っ青の成績至上主義。
ここまで来ると道を誤るやつだって出てくる。
紋章庁の知らない新しい紋章は、ブラックマーケットで高値で売れる。
そう、横流しが横行して、気の利くやつが賄賂片手に紋章庁でのし上がる。
真面目な宣教師がバカを見るだけの世の中。
それならやめてやるよ、独立だ。
腕に覚えのある宣教師たちは、さっさと見切りをつけて各地でのし上がっていく。
腕はあるが、処世術には疎いと言うか。
どうにも、ラーズは金の回し方が下手だ。
そして、彼が運営する教会にはあの遺跡で拾った一万年前の勇者様御一行がいる。
仕事はどんどん彼らが受けて処理してるが、その分経費もバカにならない。
「ああ、また赤字だ。
金の出てくる紋章ねーのかよ!!?」
もうこんな叫び声を上げるのも疲れ果てた。
「もういい。
助手だ。住み込みで働かせば寄付でどうにか食わせていける。
この雑務が減るなら俺が、稼ぎに行ける。
あの無能……いや、腕はあるけどやり過ぎな勇者どもよりは俺の方がましなはずだ‥‥‥」
そう、一万年前の魔法だの精霊だの、超能力だの……
彼らは強いが、強すぎる。規格外過ぎてーー
「また、修理費の請求書かよ!!?」
と叫ぶ毎日だ。
でも、もう紋章庁には戻れない。
「よし、下僕だ。
読み書きと算数さえ教えりゃまともな秘書のできあがりだ‥‥‥くれば、だけどな」
そして、アルザス市の仕事募集掲示板にラーズは広告を出した。
内容は
教会の雑務兼庶務を学ぶ気のある、助手募集。
住み込み手当あり。ただし、素人、14歳以下。
男子に限る。補足。生命の危険あり
だったはずなのに。
「おい、なんでこうなった!?」
ラーズは虚しく叫び声を上げていた。
面接指定日は誰も来ない。
教会の仕事なんて危なくて誰もやりたがらない。
何より、紋章なんて言葉がみんな怖い。
諦めて、面接会場をラーズが教会を閉めようとしていた時だ。
一人の小さな人影が現れた。
「あの、すいません!」
柔らかい声。
十四歳以下なら声変わり前の可能性もある。
ようやく、俺の人生にも光が差し始めたか?
ラーズは夕暮れ前でくらい室内だからその戸口に立つ彼が、よく見えなかった。
「ん?
面接希望者か?」
とりあえず、問いかけてみた。
「はい、今日からでも働きたいんです」
今日から?
また急だな‥‥‥?
「なんで今日なんだ?
そのー‥‥‥こっちからじゃ暗くてよくわからんが、名前はーー」
「あ、はい。レイです。
レイ・フェイダーリンク。十四歳です。
駄目ですか?」
フェイダーリンク?
まともな名前、貴族の子弟か?
「なんで、今日からなんだ?
まあ、入れよ」
しかし、レイは入ってこない。
「おい、なんで入ってこない?」
「だって、駄目だと言われたら歩くのが無駄になる」
ふうん、まあ妥当な考えができる。
悪くはない。ラーズはそう思った。
「今日からでもいいが、なんで、今日からなんだ?」
理由によっては即、お断りだ。
トラブルはしょいこみたくない。
「あの……先週、両親がゲッサムの遺跡の事故で亡くなって。
その、家も近所だったからーー」
あー……。あの紋章庁のヘタクソどもが起こした暴走で死んだのか。
何となく、ラーズは負い目を感じてしまった。
俺がいればどうにか出来たかもしれない。
知り合いのシスターがくれた事故の報告とその詳細書を読んだ時、そう、思っていたからだ。
「そっか。
そりゃ、気の毒だったな。
だが、多少金はいるぞ?」
あの辺りの貴族子弟なら、少しくらいは持ってるだろ?
寄付に巻き上げて、その分をこいつの手当てと食費にすりゃ数か月はもつ。
そんな打算が脳裏をよぎったからだ。
「寄付、ですか?」
「そりゃ、両親もいない。身元保証人もいないんじゃ。
一応、預り金はいるだろ?」
十四歳なら知らないだろうが、それが世間の常識だ。
そう言いくるめたら、見事に釣れた。
「あの……金貨五枚くらいしかないですけどーー」
おい、マジかよ。
手当二年に食費をつけてもお釣りがくる。
俺も遊べる。あのバカ勇者パーティーの食費も出せる‥‥‥
「よし、即採用だ!!
こっちに来いよ、レイ。
顔を見せてくれー‥‥‥え?」
そこにいたのは少年か少女か。
まあ、どう見ても少女だ。胸もあるし、銀髪に緑の目。白い肌。
何よりここ数日さまよったからだろう。
かなり汚れているがスカートを履いている。
それだけなら、まだ良かった。
「レイ・フェイダーリンクです!!
お世話になります!!」
「あ、え、いやーー」
言ってる間に、用意していた書面にサインされて、寄付です、と。
金貨五枚が手に握らされる。
「よろしくお願いいたします。マスター!!!」
この地方じゃ、牧師様とは呼ばない。マスターで通る。
問題はー‥‥‥
「なあ、その赤ん坊は‥‥‥なんだ、レイ?」
そう、少女は産まれて間もない赤子を抱いていた。
布に包み、肩から下げて抱いている。
「わたしの子供です!
だめ、ですかー‥‥‥?
もうここを捨てられたら、行くところがーー」
いきなり涙目ですがられて、足元でお願いします、お願いします。
なんて何回も頭を下げられたら。
ラーズの性格では断り切れない。
「いや、だがなあ……」
言葉を濁していると、レイはラーズの手から金貨を奪い取った。
「あ、おい、なにをする!?」
言い終わる前に、寄進箱にその五枚が放り込まれる。
机の上の書類を目の前に突きつけられた。
「お金は払いました。
サインもしました。
あの広告には男子のみってあったけど‥‥‥」
あ、しまった。その一文を入れていない。
事務仕事が苦手なラーズはこの時、その事実に気づく。
時すでに遅し。
少女は涙目のまま、書類を突き付けてくる。
「これで、文句ないですよね!?」
「あ、ああ‥‥‥はい」
してやられた。
もう、後戻りは出来ない。
「良かった!
これでこの子も助かります。
マスターの慈悲に感謝します‥‥‥」
「え、おいーー」
床に膝をついての正式な礼拝。
もうだめだぜ、これは。
「はあ。
わかったよ、レイ。
部屋に案内する」
これで居候が九人と二匹から、十二人と二匹に増えた。
「あーもう!!
悪夢だ!!!」
その夜、レイが与えた部屋で寝たあとにラーズは神像に向かって叫んでいた‥‥‥