推しメンとユニットを組んだからには、アリーナを目指すっきゃない!
過激な言動とパフォーマンスで注目されているロックシンガー、朱音。彼女は事あるごとに、人気パンクアイドルグループ、CASCADEのことを、槍玉にあげてディスりまくる。
だが、それは尖っていたデビュー当時の彼女を業界に売り込むために、事務所が要請したキャラ付けに過ぎない。世間も事務所も知らない、彼女の今の本性は、CASCADEの推し活に勤しむドルヲタなのだ。
メディアでは、宿命のライバルとして描かれてきた朱音とCASCADEの運命は、CASCADEの突然の解散宣言により、全く予想できない形で交叉する。朱音とCASCADEの元メンバー、ヒナタが、デュオ・ユニットを結成したのだ。
「朱音さん、最近の音楽シーンについて思うことはありますか?」
しわくちゃのメモ帳の上でペンを滑らせる男を前にして、煙草に火を点ける。記事に使う写真を撮るため、フラッシュが焚かれた。私が煙草を吸う姿は、フォトジェニックらしいが、部屋の窓には汚らしい金髪のふてぶてしい女が映っているだけだ。
「つまんないですね。流行のバンドが鳴らす音って、どうも優等生という感じで」
男は興奮気味に頷く。
私のところに来るライターは、こういう発言が好きだ。
「特に、あのCASCADEとかいうグループ。アイドルがパンクをやるなんて、ナメてますよね? 映りの悪い写真を一緒に撮るだけで数千取ったりと、せこいやり口で目障りですね」
ここ半年ほどシーンを騒がせている三人組パンクアイドルグループ、CASCADE。
結成時期が私のデビュー時期と重なるため、音楽情報誌はこぞって比較したがる。結果はというと、私の惨敗。さっき吐いた薄っぺらい批判なんて、負け惜しみでしかない。それが雑誌に掲載されると思うと、うすら寒ささえ覚えてしまう。それを紛らわしたくて煙草が進んだ。取材が終わるころには、部屋が煙で霞んでしまうくらいに。
疲れきった身体と重たい機材を引きずって、人のごった返す電車を乗り継いで辿り着いた玄関口。履を脱いだ瞬間に、緊張が解けて疲れがどっと押し寄せた。そのままフローリングに倒れ込みたいぐらいだけど、ぐっとこらえる。
疲れを癒してくれるとっておきの代物が、ベッドの上にあるから。
「ただいまー! 疲れたよおおっ!」
勢いよくフローリングを蹴って跳び上がろうとしたところで、つるりと足を滑らせる。
CASCADEの推しメン、ヒナタちゃんの等身大抱き枕。彼女の唇にキスをするはずが、太ももの位置になってしまった。軽い変態だ。そこから彼女の身体をよじ登って唇まで辿り着く。
「ヒナタちゃん、今日もひどいことばかり言ってごめんね!」
自分のヤニ臭い唇でキスした時点で重罪に値する。抱き枕に裁判を起こす能力が無くて、本当に良かった。思う存分推しの抱き枕を吸った後、冷蔵庫からキンキンに冷えたストロング酎ハイ(9%)を取り出して、今日配信されていたライブ映像のアーカイブを肴に酒盛りを始める。
「これを見るために、今日は生きてきたんだよなあ」
観客と一緒にクラップをすること数分、モノトーンの衣装に身を包んだメンバー三人がテージに登場した。一番背の低い黒髪ツインテールのコが、私の推しメンのヒナタちゃん。今日もトンでもなく可愛い。
髪を振り乱して踊り狂うメンバーとともに、熱狂しながら流し込む酒は最高に美味い。座卓の上に空き缶が四杯ほど並んで、酔いが回ってきたところでМCが入った。
何故か急に酔いが醒め始める。――そういえば、重大発表があるとか言ってたっけ?
リリースのたびにオリコンチャートを賑わせるほどのグループなのだから、悪い知らせではないだろう。デビュー当時からの夢だと言っていた二万人キャパを誇る湊アリーナでの公演が決定したのか。
そう思いかけたところで、気づいてしまった。メンバーの声が震えていることに。
悪い予感がして、酒臭い生唾をごくりと飲み込む。
リーダーのリナが、アップで映された。
銀髪の目隠れで口元だけしか見えないが、奥歯を噛みしめているようだった。
『CASCADEは二週間後、中山ムーンパレスホールでの公演を以て解散します』
ばしゃり。五杯目の缶酎ハイの中身が、カーペットを濡らした。部屋着のスウェットも濡れてしまったが、動けない。数秒してやっと動けるようになった身体がとった行動は、六杯目の缶酎ハイを一気飲みすることだった。
最年少のマリカは学業専念のため卒業。リーダーのリナも芸能界を引退する。メンバーの中で活動を続けるのは、ヒナタだけになってしまった。
つまらないライターの取材を受けている間に、五年間ずっと追いかけ続けてきたグループの解散宣言がされていたなんて。
二週間後、それまでに残された公演数は、両手で数えきれてしまうくらいしかない。
震える親指をスマートフォンの上で滑らせて、買えるだけのチケットを購入した。
五万は優に使ったけど、行かなかった後悔だけはしたくない。
最後までCASCADEのの活動を目に焼き付けるんだ。心の中で誓ったところで、あるイベントが目に留まった。
“CASCADEラスト交流会 参加費5万円+飲食費5000円(別途)”
そこから先は、酔い過ぎてよく覚えていない。
***
二週間後、私は再びライターから取材を受けていた。正直、この日は丸一日オフにしたかったが、ここのところCASCADEのライブを優先していたせいで、今日入れるしかなかったのだ。
「CASCADEが今日解散しますが、何かコメントはありますか?」
「清々した気分ですね。この前、交流会とかやってましたけど、唐揚げとサラダと焼きそばが出てくるだけの大学生の合コンみたいな内容で、五万もかかるとか」
「あの、朱音さん?」
「何ですか?」
「もしかして、交流会……参加しました?」
「何言ってるんですか。するわけないでしょ」
「食事の内容は、サイトで告知されてませんよ」
……完全に失言した。ちなみに交流会は、死ぬほど楽しかった。
「朱音さん、前から思ってましたけど、CASCADEのこと、結構詳しいですよね? 本当は、彼女らのこと、どう思っているんですか?」
どう思っているかって? 大好きだよ。初めて対バンしたその日から、ずっと五年間追いかけてきたんだぞ。
ギターも歌も下手くそで、尖っていることぐらいしか取り柄がなかった私にとって、激しいダンスと歌唱を両立させた彼女らのパフォーマンスが、どれだけ鮮明に映ったか。私は、一目見た瞬間にドハマりしてしまった。でも事務所や世間が求める自分のキャラを壊せなくて、解散当日の今日まで心にもない発言を続けてしまっている。なんて格好悪い。こんな自分、クソがつくほどダサい。
だから思った。最後の日くらいは、正直になろう、と。
「好きですよ」
「へ?」
流石にきっぱりと言われるとは思わなかったのか、ライターが間抜けな声を出す。
「CASCADEは、私には絶対にできないことをやってのけています。しっかりとしたパンクを鳴らしながら、衣装が映える激しいダンスとブレない歌唱を両立させるだけでなく、観客を熱狂させる煽りや、コール&レスポンスもしっかりやっています。眉間に皺を寄せて歌ってるだけの自分が、恥ずかしいくらいです。正直、めちゃくちゃ憧れています」
立て板に水のように語る私を、ライターは口をあんぐりと開けて見つめていた。
「さっき言ったこと、全部記事にしていいです。いいネタになると思いますから」
質問はそこでぴたりと止んだ。掘り下げてくるかとも思っていたが、所詮、安いキャラ付けしか、私に求めていなかったということか。
さっさと取材を切り上げてもらって、会場の中山ムーンパレスホールに四時間近く早入りした。
「結局、最後まで私は、嫌われ役だったな」
余った時間を潰すために入った館内の喫煙室で、独り言を放つ。
あのライターの書いた記事が、世に出る頃には、もうCASCADEはいないのか。
「やっと、私がデレたってのに。なんで解散なんかするかな。」
ため息とともに吐いた煙が、分煙機に吸い込まれていった。
ちょうど二本目の煙草に火を点けようとしたときだった。
目深に帽子をかぶった女性が、喫煙室の前で立ち止まる。そして、その女性は、室内に入っててきたかと思うと、私に詰め寄ってきたのだ。
「な、何か用ですか?」
「朱音さんですよね」
言い当てられてドキリとしたところで、向こうが帽子のつばを上げて素顔を露わにする。
「ヒナタちゃん?」
私は大きく後ずさりして喫煙所の壁に張り付いた。
煙草も吸わないのに、なぜ喫煙室の中まで尋ねてきたのかは疑問だけど、それよりも今までの数々の言動を謝りたくて、頭を下げた。
「謝らなくていいです。パフォーマンスだって分かってましたから。ライブにも結構来てくれましたし、匿名で差し入れもしてくれましたよね?」
全部バレていたのか。
仕事だけでなく人間性でも敵わないとは。心底自分が情けない。
「一度ちゃんとお礼を言いたくて。朱音さんがいなかったら、今のCASCADEは無かったですから」
そのまま同じ言葉を返したいくらいだ。
けど、言葉に詰まってしまって、だんまりになってしまう。
沈黙が気まずくて、今後の活動予定を尋ねた。
これからも彼女のことを追いかけられるのか、知りたかったから。
「迷っています。正直、ソロで続けても、これ以上人気にはなれないかなって」
そんな寂しいこと言わないで欲しい。
二万人を熱狂させるって言ってたのは、ヒナタちゃんでしょ?
「湊ホールでの公演目指してましたけど、ここが潮時かなって」
「それは違います!」
ネガティブな言葉を叩き落としたかった。どれだけ彼女が無理だと思っていても、全力で否定したかった。
どうしても彼女に夢を諦めて欲しくない。
その想いで頭がいっぱいになった私は、彼女を壁際に追い詰める。彼女を逃げさせたくない。夢からも、私からも。
冷静さなんて、ぶっ飛んでしまっていた。
「独りじゃ無理だって言うのなら、私と一緒にその夢、叶えませんか?」
そんな、トンでもない言葉を口走ってしまうくらいに。