いつか硝煙のホライゾン
「射撃点観測、気温24度、南南西風速3メートル。マナ濃度32パーセント、ターゲットとの距離720。射点から標的間のイレギュラー無し、着弾地点の座標誤差予測10センチメートル。いつでも行けるわリッカ」
耳元で聞こえる鈴なりのような声を反芻しながら、リッカ・マークスマンはそっとトリガーへと指をかけた。
「なぁミーシャ、俺たちはどうしてこんなことをしてるんだ?」
ぼそりと呟いたリッカに向けて、ミーシャと呼ばれたその少女は呆れ声でそれに応える。
「あのねぇリッカ、これは入学試験。私たちはここで結果を出して、それで晴れてアストンベル魔法学校に特待生として入学する。それが私たちのやるべきことへの一番の近道なの」
スコープの向こうで呑気に獲物を食んでいる魔獣を見ながらリッカはミーシャの言葉を脳内で反芻する。
確かに彼女の言うことは間違っていない。自らの目的のためには彼女の言うようにこの試験で結果を残してマークスマン家の名を売ることが一番の近道だということはリッカ自身もよく分かっていた。
「でもそれはお前が俺に付き合ってくれる理由にはならないだろう?」
「そ、それはその……、そ、狙撃手には観測手が必要じゃない!? それよりも!」
「あ、ああ……っ」
なぜか隣で頬を染めるミーシャをよそにリッカは静かにトリガーにかけた指を弾いた。
ずどん、と鈍い衝撃が地面へとうつ伏せになったリッカの体を駆け抜けていく。魔導噴進式狙撃銃の銃口から放たれた魔導弾が空を切るように音よりも速くスコープの先の魔獣の頭を吹き飛ばした。
「ターゲットブレイク。これで12体目?」
「だな。それよりもお前が付き合ってくれる理由ってのは……?」
鼻先を付く硝煙の香りを気にも留めず、リッカは先ほどの幼馴染の言葉を掘り下げにかかる。
「い、いいじゃないっ! 今は試験中なんだからそんなこと気にしてる場合じゃないわ!」
「そりゃそうだけど」
銃の右側に出っ張るように取り付けられてるチャンバーを勢いよく引き抜くと、乾いた金属音と共に大型の薬莢が狙撃銃の体内から吐き出された。
「次弾装填。次行けるぞ」
その声と同時に先ほど獲物を仕留めた地点よりさらに手前の森で爆炎が上がった。
「ありゃ10体は同時に吹き飛んだな」
「同感ね。さすがは魔法使いといったところかしら?」
そう言ってミーシャはリッカへと意味深な笑顔を向ける。
「それは俺に対しての嫌味か?」
「どう受け取ってもらっても構わないわよ?」
によによと頬を緩めるミーシャをよそにリッカはスコープを覗き込むと次の獲物の捜索に戻る。特待生を勝ち取るためには少なくともこの試験で20体の魔獣の討伐が必要と言われている。
こんなところで幼馴染といつまでも雑談に耽っている訳には行かなかった。
「見つけた。ミーシャ、11時の方向距離約600」
「こっちでも捕捉したわ」
隣では同じく地面にうつ伏せになったミーシャが顔の前に浮かべた小さな緑の魔方陣に何やら術式を書き加えている。
「射撃点観測、気温風速共に先と変わらず。マナ濃度28パーセント、ターゲットとの距離590。射点から標的間のイレギュラー……倒木が見えるわね、狙えそう?」
「誰にものを言ってるんだか」
直後、再び乾いた砲声と共にリッカの体を衝撃が襲う。と同時に隣のミーシャの体がびくりと震え、二人にとってはすっかりと嗅ぎ慣れた酸えた臭いが辺りを包んだ。
スコープの向こうでは顔だけを倒木の向こうから覗かせていた四足の魔獣が頭だけをこれまた的確に吹き飛ばされながら倒れていくのが見て取れる。
「わお、お見事」
嬉しそうに声を上げる幼馴染に思わず照れ臭さを覚えてしまい、リッカは小さく右手で自らの頬を掻いた。
「それにしてもアイツら濃度に露骨に変化出るほど周辺のマナ消費しやがったのかよ」
「そりゃあれだけ派手に魔法を使えばねぇ。まぁ、高燃費過ぎて実戦向きじゃないわ」
「でも試験向きではある」
「言えてる。結局派手な魔法が使えるほうが見栄えも評価も良いのよ」
思うところがあるのだろう。そう言ってのけるミーシャの声は心なしかどこか疲れたようにも聞こえる。
「お前もそうなればよかっただろう?エルトライヒ家のご息女様は風魔法の扱いに関してはレストア王国一とも言われてるんだろ?」
「全くよ。何処かの誰かにそそのかされちゃったせいで私の富と名声と栄華に溢れたサクセスロードが台無しだわ。まさかこうして地面にうつ伏せになりながら地道に魔獣を倒してるだなんて夢にも思っていなかった」
「それは悪かった。でも……こういうのも悪くないだろ?」
笑顔を向けるリッカを見て思わず熱くなってしまった頬を隠すようにミーシャは視線を逸らした。
「ほっ、本気でそう思ってる?」
「ちょっとだけ。どちらかというと罪悪感の方が大きい」
「……そ。まぁ……私はちょっとだけ悪くないなって思ってるわ」
素直じゃない幼馴染の返答を耳に収めながらリッカは再びスコープの中を覗き込む。
「居た、12時方向距離920」
「遠いわね、行ける?」
「当然」
自分の我が儘に付き合ってくれる隣の女の子に相応しい男でありたい。
そんな純粋な想いだけが今は彼に引き金を引かせるのだった。
――――
十年前、大陸で大きな戦争があった。
大陸一の国土を持つレストア王国に向けて、隣国であるガルカ宗主国が宣戦を布告したのだ。レストア王国南方の鉱脈資源を巡っての戦争は両国に多大な損失をもたらし、そんな不毛な戦争の最中でリッカの生家であるマークスマン家は没落していった。
「ねぇリッカ、あなたがこの世界を憎んでいることは分かっているわ」
そんなマークスマン家に力を貸したのが、古くからマークスマン家と親しい付き合いがあったエルトライヒ家、ミーシャの生家であった。
「でも、きっとこの世界はそんなに悪いことばかりじゃない。だから泣かないで」
「ぼくは……」
「分かってるわ。だけどきっと大丈夫よ! だってわたしがついてるんだから!」
暖かい温もりがリッカの両手を包み込む。
「それに、あなたが見返してあげればいいのよ!あなたのことを馬鹿にしたみんなにざまぁみろって言ってやるの!」
「……ミーシャはぼくとはちがうからそんなことが言えるんだよ。ぼくは落ちこぼれだから」
「いいえ、リッカはすごいわ、だっていろんなことを知ってるんだもの。それにわたしは――」
――――
「……夢か」
春の陽気にほだされてリッカは思わず眠ってしまっていたようだ。辺りを見回すと教室は昼休みの喧騒に包まれ、多くの生徒たちが各々貴重な休み時間を貪っていた。
「よう」
リッカが今だぼんやりとする頭をなんとか起こそうと手元の魔導具へと手を伸ばしたその時だった。
ふとリッカの座っていた机が誰かに蹴り飛ばされ、衝撃でその上に乗せられていた魔導具が床へと転がり落ちる。
「上級貴族様である俺を無視とはいいご身分じゃないか?」
床の魔導具に手を伸ばしたリッカの目の前に勢いよく足が振り下ろされる。呆れた様子でその足の主を見上げれば、そこには険しい表情を浮かべた赤髪の男が立っていた。
「没落貴族の分際でよぉ」
卑下た笑いを浮かべるその男に向かってリッカはただ一瞥するのみ。
「はっ、言い返すこともしねぇってか。後ろから卑怯におもちゃを飛ばし続けることがお前の出来る精一杯か!?」
ぐいと襟元を掴まれ力任せに立ち上がらされるリッカ。魔法使いの割りに筋力もそこそこあるんだな、そんなことを思いながらも相変わらずリッカはその男に微塵も関心が湧かなかった。
元よりリッカ自身入学当初からこんなことは珍しくない。
このアストンベル魔法学校には将来を周囲に期待されて入学してくる魔法使いが大勢いる。
そんな中、リッカに侮蔑の視線が多く向けられるのはある種当然のことであった。
「リッカ」
そんな時だった。何とも言えない空気に包まれていた教室の視線が入口の方へと集まる。観衆の視線の先にいたのは一人の少女。風魔法の使い手として校内に名を馳せている期待の新入生、ミーシャ・エルトライヒその人の姿だった。
「ちっ、なんでお前みたいな奴がミーシャ嬢と……」
リッカの襟元に掴みかかっていたその男はミーシャの姿を一瞥すると何かを諦めたようにその場から姿を消す。残されたリッカはというと一つため息を吐くと席を立ち上がり、ミーシャへと先ほどまで腰を掛けていた椅子を譲る。
「全く、いつもあの調子なの?」
ミーシャは人づてに彼の教室での様子を聞いていた。才能もなければ家柄だって過去の僅かな栄光のみ。そんな彼が蔑まれるのはミーシャも納得は出来ずとも理解はできた。
だが彼女は知っている。レストア王国では軽視されがちな魔導具研究。その最先端を良く知る男の名前を。だからこそミーシャはそれ以上何も追及しなかった。
「そんな顔するなよ。俺にはこいつがあるから大丈夫だ」
彼女にとって見慣れた笑顔を浮かべる彼の手には、小さな弾丸が握られていた。
「それにミーシャもだよ」
その返答にその年の主席入学者である風魔法使いの少女は満足そうに頷いた。
「そ、調子はどう?」
「絶好調だ。魔法が使えなくたって魔導具さえあれば俺は戦える。それをどうやって証明してやろうかって楽しみにしてたところさ」
これは魔法が飛び交う世界でその才能を持たぬ少年が、鉄と硝煙にまみれながらのし上がっていく物語である。