地味で大人しかった俺の元カノが学校一の美少女になっていた件
『地味に生きる』をモットーに掲げる偏屈な高校二年生・水瀬渉。
東京から地元の高校に転入することになった彼は、そこで元カノ・文月奈々と再会する。
地味で大人しかったはずの奈々は、今をときめく華やかな美少女に変わっていた。
「いい? あんたと私が付き合ってたってこと、絶対バラすんじゃないわよ!」
「それはお互い様だ。俺も今のお前と付き合ってたなんて知られるのはごめんだからな」
今やクラスのアイドルである奈々と、陰キャぼっちを望む渉はお互いに過去を知られたくない。だから『契約』を結び、互いに干渉しないことで同意するのだが、なんと、渉の転居先は奈々が住んでいるアパートの隣だった。強制的に関わらざるを得なくなった二人は、喧嘩し合いながらも徐々にかつての感情を思い出していく――。
これはすれ違いで別れた元カップルが、もう一度恋をしてしまうじれじれラブコメ。
明るい茶髪が風でなびく。
ぱっちりと開いた目に、高い鼻。小ぶりな唇。白磁のように美しい肌。元より見目麗しい顔立ちを、薄い化粧がより際立たせている。
そして体躯も蠱惑的だ。白のワイシャツがぴんと張るほど膨らんだ双丘、丈の短いプリーツスカートから伸びるすらりと長い脚には、自然と目が引き寄せられる。
「――ねえ、そろそろ現実を受け入れてくれた?」
そんな少女の喉元から放たれる清冽な声音が、俺の耳を叩く。
秋の涼やかな風が緩やかに吹く学校の屋上にて。
俺こと水瀬渉の前に佇んでいるのは、紛れもない美少女だった。
率直に言って好みな容姿だ。まるで俺の妄想が具現化したような存在。危うく一目惚れするところだった。だからこそ――俺は、この女が語る現実を認めたくない。
「本当に……文月奈々なのか? 俺が知っている奈々?」
「だから、何度もそう言ってるでしょ。まあ、信じられない気持ちも分かるわ。自分で言うのもなんだけれど、私だいぶ変わったからね。……でも、仮にも私の元カレだった人間が、ここまで言われてもまだ分からないってどうなのよ?」
少女は不満そうに唇を尖らせ、じとっとした視線を向けてくる。
その表情には見覚えがあった。中学時代に、何度も間近で見てきたからだ。
それによく見れば、確かに顔立ちにもかつての面影がある。
……だったら、もう認めざるを得ないだろう。
この学校一と言ってもいい美少女は――俺の中学時代の元カノだということを。
「口調すら違うんだから、そりゃすぐには分かんねえよ」
「なら、あの頃みたいに呼んだ方がいい? ――どうですか、渉くん?」
「やめろ。昔を思い出すだろ」
首を振る。
脳裏に過るのは、いつも本を胸に抱えた地味で大人しい眼鏡の少女。
でも、目元を隠す髪をよけると可愛らしい顔立ちをしていて、常におどおどしていて挙動不審だけど、慣れた人にはよく笑う――それが、中学時代の文月奈々だった。
目の前にいるこいつとはあらゆる面でかけ離れている。
「これでも努力したのよ? 昔みたいな地味子から脱却するために。ファッション雑誌とか買い漁ったし、化粧も動画で学んで、笑顔の維持とか表情の練習もしたわ」
ふふんと奈々は鼻を鳴らして自慢げに腕を組む。
「お前……いったい何があった?」
どうしてこんなに変貌したのか、純粋に気になる。
百歩譲って容姿だけなら分からなくもないが、性格はもはやかつての面影もない。
俺の問いに、奈々はぷいと顔をそむけた。
「……別に、あんたには関係ないでしょ。ただ私はね、華やかに生きるって決めたのよ。自分の容姿や性格は嫌いだったし、全部変えたいって思った。だから昔の私を誰も知らないこの高校を受験して、いわゆる高校デビューってやつを成功させたわけ」
「……なるほどな。そこに俺が今日、転入してきた」
「だからわざわざ屋上に呼び出したのよ。余計なことを言わせないためにね」
だいたい話が掴めてきた。
奈々にとって、中学の同級生(というか元カレ)の俺は邪魔だろうな。
「あんたばっかり驚いてるけど……私だって同じ気持ちなのよ?」
奈々は俺の全身をなめ回すように眺めて、苛立ったような口調で告げる。
「何よ、そのクソださい眼鏡にボサボサの髪……いかにも陰キャって感じの恰好は。昔はそんなんじゃなかったでしょ。いったいどうしちゃったの?」
まあ、そういう反応になるよな。
今の俺は、昔を知っている奈々には信じられないだろう。
思わず笑みが零れる。
これでも印象を変えるために結構苦労したからな。
その努力が報われたと考えれば、罵倒とはいえ嬉しいものだ。
「ふ、そうかそうか。俺はいかにも陰キャって感じになっているか。ふふふふふ」
「な、なに笑ってんの……? 気持ちわる……」
普通にドン引きされた。
「よく分かんないんだけど、わざとやってるってこと?」
「ああ。俺は一人で過ごすことの魅力に気づいたんだ。もう友達と遊ぶなんて面倒なことはやらない。この恰好は、あえて人を遠ざけるためにやってる」
――俺の人生の目的『陰キャ道』を究めるために必要なことなんだ。
「は、はぁ? 何言ってんのあんた。馬鹿じゃない? 恰好なんか変えなくても、一人になりたいなら一人でいればいいじゃない。なんでわざわざ陰キャのフリなんて……」
「俺が俺のままでいたら、放っておかれるわけないだろ?」
「……出た自信過剰。あんた、本質は何も変わってないのね」
「そりゃこっちの台詞だよ。仲良い奴には口が悪いところ、変わってないんだな」
「――あんたとあたしが仲良いなんて、冗談はやめてくれる?」
「あ?」
「は?」
「……昔、『渉くんと、もっと仲良しになりたいです!』って」
「む、昔の話は卑怯でしょ!?」
かぁっと頬を紅潮させて反論する奈々。
「それを言うならあんただって、『もっとお前の傍にいたいんだ』って……」
「ぐ、ぐはぁっ!?」
腹に拳を食らったかのような錯覚に陥る。
蘇るは封印されし古の記憶。奈々が背を預ける壁に手をつき、歯の浮くような台詞と共に顔を近づける俺。痛い。痛すぎる。いや、あの頃の俺はもう消えたんだ。そうだ。
「……ねぇ、昔のこと持ち出すのやめない?」
「……そうだな。お互い無駄に傷を増やすだけだな」
話しているだけなのに疲れてきた。何をやっているんだ俺たちは。
「と、とにかく」
コホンと強引に咳払いで空気を誤魔化した奈々は、ビシッと俺に指を突き付ける。
「いい? あんた――私の過去、絶対バラすんじゃないわよ!」
「それはこっちの台詞だ。俺だって昔のことを知られるのはごめんだからな」
光り輝いていた俺の中学時代を知られたら、俺の陰キャムーヴがやりにくくなる。
何より今や学校一の美少女である奈々の元カレだと知られたら、否が応でも注目を浴びることになるだろう。ただ地味に生きたいだけの俺としては最悪の展開だ。
「どうやら利害は一致するようね。特に……つ、付き合ってたことは言語道断よ。今のあんたとそんな関係だったってバレたら、どんな反応されるか」
「ふ、ふふふ……俺の『全身モブ男』スタイルの完成度はそこまで言うほど高いか。何だか体がぞくぞくしてきたな。新鮮な感覚だ。ありがとう」
「褒めてないけど!? 急に新たな性癖開拓するのやめてくれる!?」
「お返しに、お前の新スタイルにも言及しておくか。ちゃんと可愛くなってるぞ。おっと勘違いはするなよ。これは客観的な話で、俺の好悪は関係ないからな」
「聞いてないわよ! もうあんたに褒められて舞い上がる私じゃないから」
……昔は舞い上がってたのかと思う俺だったが、それを指摘する気は起きない。
「話は終わりか? 一応言っとくが、もう学校で話しかけてくるなよ」
「それはこっちの台詞よ。この話さえ終われば、もうあんたと話す理由はないわ」
くるりと背を向けて奈々は屋上から去っていく。
……面倒なことになった。
俺は奈々の後ろ姿を眺めながらため息をつく。
東京から地元の群馬に帰ってきた高校二年生の俺・水瀬渉。
ここは今日から二年間通う転入先の学校。
記念すべき新生活の一日目。
それが、どうしてこんな最悪のスタートになってしまったのか。
――話は一日前に遡る。