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幕間 「ベルフェゴール」

2章31話の後ろあたりの話です。

 




 時は少しだけ遡る。


 神獣の森で激突した女神アスタロトと、謎の神ノア。

 最高神であるルシファー自らが事態の収拾に動いたとされるその一件は、現生の神々を少なからず動揺させた。


 神には総じて『力』があった。

 人間種はおろか、現存する生物のすべてを上回る圧倒的な力が。


 だから油断していたのだ。


 まさか、敵のいないこの世界で、自分たちに盾突く存在があろうとは――と。


 ある神は、無知故にそういうこともあるだろうと切り捨てた。

 ある神は、それよりも重要なことがあると己が利を優先した。

 ある神は、事態を重く受け止め、密やかに抹殺の命を配下に下した。


 そして――ある神は新たな敵の誕生に狂喜し、その口許に微笑をたたえた。


 それぞれの受け止め方は違えど、少なくとも『邪神ノア』という存在は、神々に認知されたのだ。


 しかし、新たな『神』の誕生を認知したのはなにも神々だけではない。


 数多の星が空を彩る月夜の晩。


 フレイム公爵家の館。その広大な屋根の上で、対峙する二つの影を月明りが照らしだす。


 その内の一つ。

 漆黒の衣装を身に纏ったその男は、時折吹く風に金色の頭髪をなびかせながら、初めに笑うように鼻を鳴らした。


「……なるほどな」


 男の血のような深紅の瞳。その視線の先には黄金の瞳を宿した獣が一匹。

 だが、それをただの獣だと侮る選択を男は最初から持ち合わせていない。



 神獣――フェンリル。


 神をも食らう神聖の類であることを男は理解していた。


「……まぁ、予想通りすぎて面白みが欠ける……ってのは俺の我儘(ワガママ)になるか」


 ひとりでに呟くように言って、肩をすくめると。


「だが、まぁ……なんというか。聞かせてくれよ。てっきり俺はお前の牙はとっくに抜け落ちたもんだと思っていたがな」


 そう軽薄そうに口にして男――ベルフェゴールは興味深そうに目を細めた。


「……」


 返答は、ない。

 神獣は黄金の瞳をベルフェゴールに向けたまま沈黙している。


 ――否


 神獣(フェンリル)愕然(がくぜん)としていた。


 決してベルフェゴールからの問いを無視しているわけではない。

 見開かれた黄金の瞳がその感情を如実に表していた。


(…………どういうことじゃ)


 邪神ノアに接触を図ろうとしている何者かの存在を神獣はいち早く察知していた。

 しかし、それがまさか悪魔であろうなどとは夢にも思っていなかったのである。


 それだけではない。目の前の存在が平凡な悪魔ではないことも神獣は既に理解していた。


 ――現存する中で()()()()の悪魔が、目の前にいる。


 その事実は、神獣の頭の中からいち早く『敵対』の選択肢を消し飛ばしていた。

 考えなしに攻勢にでれば、この()()もただでは済まないことは確実だ。


 しかし、だからといって警戒を解く、などという愚かな選択も考えられない。


 だからこそ訪れた、静寂の間。

 それを切り裂くようにして、ベルフェゴールの穏やかな声が闇夜に小さく木霊した。


「そう警戒する必要はないさ。その気ならとっくにやっている。分かってんだろ?」


「……」


 言われずとも神獣は理解していた。

 敵意を感じていなかったからこそ、接近してきた者の正体を今の今まで掴めなかったのだから。


 神獣は絞り出すようにして口を開いた。



「……何ようだ。悪魔」



 ベルフェゴールは可笑しそうに口角を吊り上げた。



「それも、分かってるはずだがな」


「…………」


 神獣は閉口する。図星だった。

 しかし、信じられないという感情が大きく勝る。


 そんな神獣の心中などお構いなしに、ベルフェゴールは愉快そうに言葉を続けた。


「で? どうなんだ? 最初にした俺の質問に答えてくれよ」



「……」


 神獣は答えない。

 いいや、違う。質問の意図を図りかねていた。


 そもそも明確な答えが存在していようと、それを正直に答える道理はない。そう考えて。


「だんまりかよ。まぁ、少し遠回しだったかな」


 ベルフェゴールはやれやれとかぶりを振る。


「じゃあ、質問を変えてやる」


 ため息交じりにそう前置いて。


「この状況は偶然の産物か? それとも……」



 ベルフェゴールの言葉に重ねるようにして――


 ――雲が月明りを遮った。



「お前が書いた筋書き(シナリオ)か?」



 暗闇に紅い二つの双眸が爛々と浮かび上がる。


 その視線を受けて、神獣の黒い体毛が反射的にぶわりと逆立った。

 神獣は低くうなり声をあげる。



「そうじゃとして、どうすると?」



 銀色の月明りが、再び闇夜を照らす。

 瞬間、手をたたく音が闇夜に小さく響き渡った



 ベルフェゴールは顔に笑みを浮かべたまま、愉快そうに声を弾ませる。



「良くやってくれたと褒め称えるさ。喝采ものだ。お前が望むなら頭をたれ、膝まづいてやってもいい…………が」


 ベルフェゴールは静かに瞳を閉じた。


()()()お前ではないようだな」


 その物言いに神獣は怪訝そうに目を細めた。


「……なぜじゃ?」


「言わせんなよ。俺一人に臆しているお前が書いた筋書きにしては、ちと壮大が過ぎるってもんだ」


 ベルフェゴールは呆れたように肩をすくめた。


「だが、驚くべきはそんなお前でもどうやら覚悟はあるらしい。そこまで良いのかよ? 今のご主人様は。そこいらの凡夫に飼われるお前ではないだろう?」


 その問いに神獣は少しの間をおいた後、呟くように口を開いた。


「……飼われてなどおらぬ。奴になら命を預けてよいと、そう思っただけじゃ」


「……」


 ベルフェゴールは悟られぬよう静かに目を見開いた。


 正直に答えが返ってきたことにも驚いたが、なによりも。


「……お前にそこまで言わせるとはな。それで? よだれを垂らしながら気持ちよさそうに寝ているあのガキがそうだと?」


 言ってベルフェゴールは視界の端に映った窓の先を流し見る。



 神獣はその視線を追うようにしてユノの姿を視界にとらえると、静かに首を縦に振った。


 ベルフェゴールは眉をひそめる。


「聞いていた姿と違うが?」


「…………わしのスキルで姿を変えておる」


「へぇ? おもしろいことをするもんだ。人間の真似事ってか。いや、逆か? それで? ガキのままでノアと名乗っているわけではないだろう?」


 その問いに神獣は迷うそぶりを見せて、瞳を閉じた。

 ユノの身を案じるのであれば、真名を告げることは得策ではない。


 しかし、そもそもの話だ。


 どういうわけか、この悪魔はユノ・アスタリオの元にたどり着いている。

 まだ神々すらも行方を知らないでいるというのにである。


 神獣は閉じていた瞼を静かに開いた。


「……ユノじゃ。ユノ・アスタリオ」


「ユノ・アスタリオ、ね。まぁ、愚劣極まる大人の人間どもに比べれば、あの姿は可愛げがあるってもんだ。好感はもてる」


 そうひとりでに呟くように口にすると、ベルフェゴールはその紅い瞳を神獣へと向けた。


「お前の最初の問いに答えよう。条件次第で俺はお前らの(がわ)についてやってもいいと……そう考えている」


「………………条件じゃと?」


「ああ」


 ベルフェゴールは頷くと、その顔に微笑をたたえた。


「別に難しいことじゃないぜ。あいつに……ノアに()()()()()力があれば、それでいい。俺が求めるのはそれだけだ」


「……」


 神獣は驚いたように目を見開くと、その後すぐに怪訝そうに目を細めた。

 その様子を見てベルフェゴールは可笑しそうに微笑む。


「……意外か?」


 神獣は呆れたようにため息をついた。


「…………そうじゃな。おぬしの考えがまるで読めん」


「そりゃ読めんだろうさ。この度し難い乾き。お前には一生分からんだろうよ」


 そう低い声色で呟いて、ベルフェゴールは自嘲気味に言葉を紡いだ。


「納得して受け入れた退屈だったはずなんだがな。やはり俺にはどうも合わん。俺でさえこうなんだ。未だ縛られ続けている()()の気が知れんな。それにお前が動かずとも、遅かれ早かれいずれ(はじ)けていたさ。……いや、そうか。弾けたから、ノアなんて神が生まれたのかもな」


 言って、ベルフェゴールは神獣に背を向けると、音もなく足を前へと進めた。ひとまずの終幕である。


「……」


 その黒い背中を眺めながら、神獣は迷い続ける。


 目の前の存在を、どうするべきかを。

 確かに戦力としては申し分ない。だが――。


「ああ、そうだ」


 言って、ベルフェゴールは背中越しに振り返るようにして神獣へと視線を送った。


「ついでに聞かせてくれよ。お前の目から見て、俺とノア、どっちが強い?」


 神獣は少しの間迷うそぶりを見せつつも、簡潔に告げた。


「……分からぬ」


 ベルフェゴールは満足そうに口の端を吊り上げて鼻を鳴らす。


「……そうかよ。なるほど……上出来じゃねぇか」


 闇夜に溶けるようにして、ベルフェゴールの体が足先から徐々に霞んでいく。


「他にも使えそうなやつに心当たりがある。まぁ、期待して待っててくれ」


 そう最後に言い残して、ベルフェゴールは闇夜に溶けるように消えた。



「……」



 神獣は大きくため息をつく。


 強張っていた体から力が抜けていく感覚を煩わしく思いながら。







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