84話 「振り返る」
ルナ邸への帰り道。
僕はしみじみと今日一日を振り返りながら歩いていた。
「……」
普段は何の気なしに美しいと思える赤い夕日が、今はなんだか不気味に映って見える。
わきあがってくる焦燥感がそうさせるのだろうか。
いや、焦燥感とも少し違うのかもしれない。
野良神の失踪。その原因。
どんな意図があるにせよそれが故意的であることが決定したことへの…………不安。
そう。不安なのだ。僕は。
なにかが。決定的な何かが動き出したような、そんな予感。
……おかしいな。
生まれながらに異常だったとはいえ、べつに僕は預言者めいた能力は持ち合わせてなどいない筈なのに。
不思議と、それを否定する気には、なれないでいる。
ただ、前向きに考えられることがあるとすれば、今回の事件が神様には無関係である可能性がまだ残っているということだ。
野良神だけを狙っての犯行なら、僕の神様は当てはまらない。
だって神様は。女神アテナはもう野良神ではないのだから。
……だめだな。
ほんとうに僕はどうかしてしまったのだろうか。
そんな希望的な願いすら、僕の何かが否定していた。
――「なにかあったの?」
そんな言葉と共にルナの顔が、僕を横から覗き込むようにして目の前にあった。
どことなく普段より幼く見えるルナの顔。
風になびく白銀の髪。
それが夕日の光を反射させて、薄く輝く。
僕をじっと見つめるその紫の瞳に、すべてを見透かされてしまう、そんな錯覚を覚えて僕は思わず視線を宙に逸らした。
……ほんとうに。こうやって不意打ちを受けるたびに思う。
あと五年ぐらいしたら、僕のドストライクだな。
「……いえ、特になにも」
少しだけドキリとしつつも僕はそう口にした。
なにかあったのか。
その質問への答えはそれしかない。
「そう」
ルナは視線を前に戻すと変わらぬ歩幅で足を進める。
だが、少し経ってその歩幅が不意に遅くなった。
「だったら、その顔はやめなさい」
……え?
口よりもまず目が先に動いた。
横を歩くルナは前を向いたままだ。
「そんな顔はあなたには似合わないわ」
言って、ルナは僕の方を向いた。
その顔に薄く笑みを浮かばせながら。
「だから、いつものようにニヤついていなさい」
そう最後に締めくくると、ルナはすました顔で前を向く。
いや、普段の僕どんな顔してるんだろ、なんて思いながらも。
「ありがとうございます」
そう言葉にして、僕も前を向く。
遠回しなものであっても、その言葉が僕を案じてのことであることは分かっていた。
ルナ語とでも名付けようか。
暗に『あなたには笑顔が似合う』
そんなことを言ってくれているのだろう。
……なんてね。
「まぁ、別にあなたにだけ言いたいことではないけれど」
ルナはそう囁くように口にして、ちらりと背後へ視線を送った。
その視線を追うようにして、僕も後ろへと目をやる。
「……」
視線の先では神様がうつむいたまま、僕らの背中を追うようにして歩いていた。
僕の視線に気づく様子はない。
ルナの言いたいことは理解しているつもりだ。
合流してから今まで、神様の表情が……なんというか、暗いような気がしている。
もちろんそれとなく理由を尋ねてはみたが、返ってきた言葉は、先ほどの僕と同じ言葉だった。
『なんでもありません』
そう口にして笑った神様が無理をしているように見えたのはきっと僕の気のせいではないのだろう。
だが、それまで神様と一緒にいたティナに聞いても、同じような言葉が返ってきただけだった。
「……」
もちろんその言葉をすべて信じるわけではないけど。
……こんなとき僕はどうするのが正解なのだろうか。
ちょうどさっきルナから同じような質問をされたから、というわけではないけれど。無理に理由を聞き出そうとするのは、少し違うきがしている。
……ただ、まぁ、色々あって神様とティナを呼びにいってくれたアリスも、特になにもなかったって言っていたし。
……うん。今は、様子をみるくらいでいいのかもしれない。
それよりも僕が気にしなければいけないのは。
僕は、ロイド先輩たちとの会話を思い返した。
――――――――――――――――――――――――――――――
「女神アテナの護衛?」
「ああ」
セレナさんの言葉に同意するように、ロイド先輩は首を縦に振った。
「それが生徒会への依頼、ということかな?」
「いいや」
ロイド先輩は首を小さく横に振ると、鋭い視線をセレナさんへと向けた。
「生徒会長であるセレナ・バレットへの依頼だ」
「……」
その言葉にセレナさんは眉をひそめると、考え込むようにして黙り込む。
僕もセレナさんと同じく、その言葉の意味を理解しようとあれこれ考えていた。
神様の護衛。
それ自体はとてもありがたいことだと思う。
ただ、自惚れるわけではないけど。
「あの、ロイド先輩――」
そう始めに口にした時、ロイド先輩の目が既に僕に向いていることに気が付いた。
…………。
神様のことは僕が守ります。
そう言葉にしようとして、代わりに息を飲みこんだ。
神様の傍には、基本的には僕がいる。
そんなことはロイド先輩も知っているはずだ。
だから考えるべきは、どこで護衛が必要なのか、という点だろう。
神様と遠く離れるタイミングとしては僕が暗部の活動をしている時になるわけだけど。
フレイム家の執事であるクロード。そして神獣ポチ。
警備としては他に望みようがないほど盤石なものだと自信をもてる。
……いや……そうか。そもそもルナ邸の警備が安心できるという材料をロイド先輩が知らない可能性もあるのか
それを確認しようとした時、セレナさんが先に口を開いた。
「……つまり私個人への護衛の依頼、という認識であっているかな?」
その問いにロイド先輩は静かに首を縦に振る。
セレナさんは少しだけ困ったような表情を浮かべた。
「もちろん私も協力を惜しむつもりはないけど、四六時中張り付いているわけには――」
「分かっている。手が空いている時だけでいい。だから代わりに、というわけでは無いが生徒会長の権限において、生徒会であるアリス・ローゼへ協力を要請したい」
……え?
「アリス?」
僕が驚いていると、セレナさんは再びその顔に困惑の表情を浮かべた。
「…………彼女は確かに優秀だけど、相手は暗部ですら手を焼いた相手でしょ? それに彼女はローゼ家の人間だよ? 立場もあるしさすがにフレイム邸での護衛をローゼ家が許可するとは――」
言葉を止めるようにして、ロイド先輩が手の平をセレナさんへと向けた。
「いや、フレイム邸は心配ないだろう。知っての通り、あそこにはかの御仁がいる」
ああ、知っていたのか。と僕が納得するのと同時だった。
セレナさんはどこか鋭い視線をロイド先輩へと向けた。
「ロイド、あなた、どこでの話をしているの?」
低い声色で放たれたセレナさんの問いに、ロイド先輩は即答した。
「学園内での話だ」
当たり前だと言わんばかりの自然さで放たれたロイド先輩のその言葉。
まさか、なんて思うと同時に、どこか気づかされたような気分になる。
学園は安全なものであると勝手に決めつけていた。
同じ、なのだろうか、セレナさんは驚いたように目を見開いたかと思うと、更にその顔にある困惑の色を強くした。
「ありえない」
小さな声で放たれたセレナさんの言葉。
「……ありえない」
まるで自分で確かめるようにして、セレナさんは同じ言葉を繰り返した。
そんなセレナさんの様子を少しの間眺めたあと、ロイド先輩は説明するように口を開いた。
「たしかに。可能性は限りなく低いだろう。だが、フレイム邸での警備、そしてユノ・アスタリオという強者が傍にいる状況よりは隙がある」
「隙なんてないよ。あなたもこの学園の警備体制は知っているよね?」
「ああ。そのうえでの話だ。現に今、女神アテナはどこにいる? ユノの隣にも、俺たちの目が届く範囲にもいない」
「それが問題ないほどの警備だということを言っているの。この学園に悪意をもって侵入なんて、あなたにもできないでしょ?」
そのセレナさんの言葉を受けて、ロイド先輩は顔に笑みを浮かべた。
悪戯な笑みを。
「ああ。できないな」
「だったら――」
「――侵入は、できない」
「……っ」
静かに告げられたその言葉の意味を僕が考え込むより先に、セレナさんは戦慄したかのように小さく息を漏らした。
「……」
ここまで動揺しているセレナさんを見るのは、はじめてのことだった。
「意味を理解したか? セレナ・バレット。ここに自らの意思で来たお前なら分かるはずだ」
……ちなみに僕には分からなかった。
ただ、セレナさんの様子からして、二人の間でのみ通じる何かしらがあるのだろう。
「……なぜ、アリスさんなの? 生徒会の二年生じゃダメなわけ?」
しばらくの間、黙り込んでいたセレナさんは話題を変えるようにそうロイド先輩へ質問を投げかけた。
「まず第一に、今回の件については関係者を絞るつもりだ。よって元から護衛対象である女神アテナを中心に既に信頼のある者が適任だと考えた。それを軸にするとユノの友人であり同級生。そして学年主席という高い能力を有するアリス・ローゼが最も適任だ。……わずらわしい説明も比較的容易だしな。ちなみに、逆にあからさまに警備を固めるという手もあるが……」
ロイド先輩はそこで言葉を止めると、意味あり気にセレナさんへと視線を送る。
セレナさんは無反応だ。
ちなみに僕はロイド先輩の言葉に納得していた。
あまり交流のない先輩方よりもアリスの方が安心できる。という点で。
「まぁ、そういうことだ。そしてこれが最も重要だが、脅威に対して武力をもってそれを排除しろ、などと言うつもりはない。護衛……というよりは監視と言い換えてもいいだろう。求めるのは迅速な報告のみになる」
「……危険は少ない、ということね」
「ああ。重ねて言うが、保険のようなものだ。ユノが傍にいればそれでよし。ユノでなくても、俺や生徒会長。更にフィーアもいる。だが、備えておくことが無意味だとは思わない。現に今のよう状況や、急な任務に赴く……なんてこともあるかもしれない」
ロイド先輩はそこで一度言葉を止めると、その顔に浮かべた笑みを深くした。
「備えあれば、憂いなし、というやつだ」
――――――――――――――――――――――――――――――――
……なんてことがあったわけだ。
もちろん既にアリスから了承はもらっているし、神様もティナも知っている。
理由については、そのままというわけにもいかなかったけれど。
ロイド先輩の家業を手伝う際、神様の傍を離れることを憂いた僕に納得してもらうため、という説明がアリスにはされたらしい。
言葉は濁しているが、嘘にはなっていないはずだ。
……それにしても、と、改めて思う。
学園が危険なんて考えは僕には浮かばなかったことだ。
教訓としては固定概念というか、常に危機意識は持つべき。といったところだろうか。
たとえば……こうしていつもと変わらない道を歩いている今、とか。
「……」
周囲を見渡してみる。
神様に向けられた怪しい視線はない、ように思う。
もちろんカンナの街を歩いているときのような敵意も感じられない。
そもそも夕暮れという時間もあってか、人通りも少なくなってきていた。
だから、というわけではないが、意識せずとも周囲の人影に自然に目が行く。
前から肩を並べて歩いてくる身なりのいい男女。
黒い貴族服を身に纏った長身金髪の男と……あれはドレスだろうか。
男と同じく黒いそれを優雅に身に纏った、縦に巻かれた髪が印象的な可憐な少女。
幼くも整った顔にあるその瞳は、夕日を映して赤く輝いていた。
貴族……だろうか。
その煌びやかな容姿もさることながら、なんというかオーラのようなものを感じる。
しかし、敵意などは感じられない。
「……」
僕はその二人とすれ違うその瞬間まで、気を抜かなかった。
少し歩いて、振り返ってみる。
小さくなっていく背中。
そこに怪しい点は感じられない。
まぁ、当然だ。
別に怪しいから注視していた訳じゃない。
こういった意識が大事、ということだ。
「……ああいうのがタイプなのかしら?」
言ってルナが薄く笑みを浮かべながら、小首を傾げた。
さらりと揺れる白銀の髪。
それを視界に入れながら。
「いえ、もっと色気のある女性が……」
などと正直に口にして、僕は再び歩みを進めた。
「かっちーん」
という声が遠くから聞こえた気がした。




