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81話 「翼があったなら」

 



 白く美しい翼が、バサバサと音を立てた。

 いや、パタパタと言った方が相応しい。


 草原を駆ける爽やかな風が、その美しい白い長髪をなびかせた。


「うぅ~!」


 晴天。


 青空の元、顔を赤らめながら歯を食いしばる少女の姿。


 背中から生やした手のひらより一回り程大きなその翼を、女神アテナは瞳を閉じたまま必死になって動かしていた。


 パタパタ。


 その羽ばたきが生む風は、緑を駆ける風に比べれば、あまりにも小さなものだった。


 しかし、それがなんだというのだろう――と、女神アテナの傍らで、ティナ・バレットは祈るような気持ちで固唾を呑んだ。


「……っ」


 額から汗が一筋、滴り落ちる。


 もう、決して少なくない時間、同じ光景が続いている。


 しかし、それを苦とはティナは思わなかった。


 理解しているのだ。


 女神アテナは――機をうかがっているのだと。


 そしてそれは唐突に訪れた。



 吹いていた風が、勢いを増す。

 草原ばかりか、この地を囲む木々すらも音を立てて揺れる程に。


 瞬間、女神アテナは閉じていた瞳を開くと、決意に満ち溢れた表情をした。

 深紅の瞳に宿る情熱の炎が、より一層強く輝く。


「ゆきますっ!」


 ダっ、と女神が草原を蹴るようにして駆け出す。

 背中にある翼は、変わらずパタパタと躍動していた。


「っ……!」


 ティナは思う。

 追い風のおかげか少しばかり、いや、たぶん、おそらく普段よりも速い。


「アテナ様!」


 だから、あとは応援あるのみ。

 ティナは、吹く風に負けないように大きな声で叫ぶ。


「いっけぇぇぇぇ!」


 ティナの叫びが風に混じって草原を吹き抜ける。

 それが合図になった。


「……てゃ!」


 自らを鼓舞するような声をあげて、アテナは地を強く蹴り上げ、大空めがけて飛び上がる。

 瞬間、背中の翼がいつもより速くパタパタしていることにティナはしっかりと気づいていた。


 ――いける。



 と、ティナが思ったのと同時に、女神アテナは着地すると勢い余って、前に倒れこむようにして転んだ。


 爽やかな風が草原を再び駆ける。


「……」


 女神アテナは動かない。

 頬を草原につけるようにして、沈黙していた、


 ティナは駆け出す。


「あ、アテナ様!」


 その声に応えるようにして、アテナはむくりと立ち上がると、少し誇らしげな表情をしてティナに視線をやった。


「……どう、でしたか?」


 祈りにも似たその声には、確かな期待が込められている。


 ティナは瞳を閉じると、先ほどの光景を思い返した。


「……」


 そして結論に至る。


「……いつもより、高く浮かんでいたように思います……!」


 瞬間、女神アテナの顔に、ぱぁと笑顔が浮かんだ。


「ほ、ほんとですか!」


「ほんとうです! やりましたねっ!」


 先ほどまでの緊迫した雰囲気とは打って変わって、和やかな空気が二人を包む。


 アテナは、心底ほっとしたような表情で胸の前で両手をぎゅっと握りしめた。


「良かった……一歩前進ですね。せっかく羽があるのに、高く飛べないのでは……」


 アテナは自らの翼を眺めながら、そうぽつりと呟いた。

 心なしか寂し気に白い翼がバサバサと小さくはためく。

 瞬間、ふわりと体が浮かび始めた。


 その可愛らしい動作に、思わず頬が緩みかけるティナだったが、努めて真面目な表情をして、語りかけた。


「いや、いきなりは高く飛べないですよ。少し想像してみたんですけど、いきなり羽が生えても、わたし飛べないと思います」


 うんうん、とティナは頷いた。


 そもそも動かし方が分からない。

 それがティナの本音だ。


 それに比べて、僅かでも浮かんだままでいられるというのだから、責められることではないはずだ――と。


「だから、少しずつ高く飛べるようになればいいんですよ! 一緒に頑張りましょう!」


「……そうですね! 努力あるのみです!」


 やる気まんまんといったアテナの様子を見て、ティナはようやく頬を緩めた。


 本当に、女神アテナと契約して良かったと思わずにはいられない。

 頑張り屋で、ここまで純粋な神が他にいるのだろうか、と。


 行動も、言動も、なにもかもが、ティナにとっては好ましい。


 もちろん野良神と呼ばれる神との契約にリスクがあるということは理解している。

 しかし、それは今のティナにとってはまるで問題にはなっていなかった。


 成長。


 それをティナは実感している。


 自分でも驚くほどの奮戦を、ティナは闘技大会で演じてみせた。


 その事実が、ティナ・バレットに確かな自信をつけたのだ。

 他の生徒たちがまだ神との契約に至っていない事実は、この際関係は無い。


 確かなのは、女神アテナとの契約があったからこその結果であり、その恩恵だった。


 その一つともいえるユノ・アスタリオとの出会い。


 自らの危機を救ってみせた少年の顔が脳裏にキラキラと輝いて浮かぶ。


 まるで物語の英雄に重なってみえるその横顔を思い返しては、ティナはいつも顔を赤くして、首を横にブンブンと振った。


(気のせい気のせい)


 ユノもまた、女神アテナとの契約によって大きく躍進した一人だろう。


 自分と同じく、元は無能などと呼ばれていたのにも関わらず、闘技大会を優勝して見せたのだ。


「……あれ?」


 僅かだが、何かが引っかかる。

 しかし、その先を考えることは、ティナはしなかった。


(ま、いっか)


 思考を断ち切ると、ティナは笑みを浮かべたまま、女神アテナに視線をやった。


 そういえば、まだ翼を触らせてもらってないな、などと思いながら。


 しかし、開きかけた口を、ティナは(つぐ)んだ。


 間違い探しをするように、ティナは視線を巡らせる。



 ――風が止んでいる。


 いつからそうだったのだろう。

 草木を揺らしていた風の音が、ぴたりと消えていた。


 ただ、それだけのことだ。そのはずだ。

 しかし、自然に生まれたはずの静寂に、ティナは僅かに胸騒ぎ覚えていた。


 それに。


「……アテナ様?」


 怯えるように、ティナを見るその表情にはっきりとした違和感を感じ取る。


 ……いいや違う。


 ティナは気づいた。

 深紅の瞳。その視線の先に私はいない――。


「……っ!」


 背後を振り返るより先に、男の声がティナの鼓膜をたたいた。



 ――「なにか、お困りですか? 女神アテナ」



 




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