75話 「記憶」
「暗部『影の月』。その幹部のナンバーズ。その二人は今、そこに在る」
「……」
その言葉を最後に場に静寂が訪れる。
薄暗い視界の中で、月の光を宿すランスの瞳。
今はそれが少しだけ――不気味に見えた
「……今話したはほんの一端に過ぎない。一つ言えるのは、恐らく君が想像しているよりもずっと彼らはこの街の住人に恐れられているんだ。なんていったって伝説だからね。だからこそ、ともいえる。まるで英雄を追うようにして彼らの情報には事欠かない。今どこにいて、何をしているのか」
ランスは僕に向けたままの瞳を小さく細めた。
「そして人から人へと伝わっていく噂話。暗部の存在と、最強の幹部達。そんな話につながっていく」
「……」
……なるほど。元々が有名すぎるから秘匿しきれなかった……ということだろうか?
けれど、それは言ってしまえば想像の域をでない話でもある。
そんな僕の抱いた疑問はランスにとっては想定内だったのだろう。補足するようにして、ランスは続けざまに口を開いた。
「それだけじゃない。そんな噂話を事実に変えるだけの決定的な瞬間を、僕たちは知っている」
静かに瞳を閉じるランス。
「運が悪かったんだ」――そう絞り出すように口にして、ランスは記憶を辿るように語りはじめた。
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■
善い行いを積み重ねれば死の先に、それはそれは素敵な世界に行けるのだと、ボクらの育て親であるおばさんはよく言って聞かせてくれた。
両親を早くに亡くしたボクらにとって、その言葉は信じるに値するものだったし、なによりその考えそのものが素敵なことなのだと、ボクらは……いいや、少なくともボクは信じていた。
だからボクは――地獄に落ちたのだと思った。
何度かみ砕いても消えない砂の感触と土の味。
それがあまりにも不快で、ボクは瞳を開けた。
「…………え?」
真っ先に飛び込んできた光景に、思わず声が出る。
辺り一面に散らばる、元はなんであったのか定かではない数多くの残骸と、音を立てて爆ぜる緋色の炎。
それを視界に入れると同時に疑問を抱く。
なぜボクは、地面に転がるようにして横になっているんだろう、とか。
ここはどこだろう――なんて不思議なことを。
空を見上げてみる。
真っ黒だった。その中で輝く無数の星々と銀色の月。
「……」
記憶がつながらないのだ。
まだ陽のあるうちにクロエと共に、食料を探して街中を歩いていた――はずだ。
家々の影に隠れるようにして警戒も怠っていなかった。
常に死と隣り合わせであることは痛いほど分かっていたし、何よりこの街じゃ常識といえるものだったから。
次から次へと湧きあがる疑問。
それらを解決するよりも最初に、ボクは共にいたはずのクロエを探そうと決意し、体を起こそうと腕に力を込める、が。
「ッ……」
この時ようやく、体中にはしる鈍い痛みに気がついた。
同時に、視界の端で瓦礫を背に隠れるようにして横になっているクロエの姿を視界にとらえる。
「……」
月明りに照らされる青白いクロエの顔。
目が合った。
だが、それだけだ。
なんの感情も感じさせない、空虚な瞳。
それがまっすぐボクをみたまま動かない。
「……クロエ……?」
不安、焦り、そして恐怖。それらがボクを支配した。
恐ろしい何かが、起きたのだと不思議と理解できていた。
横になったまま、ボクは自分の体を引きずるようにしてクロエの元へと向かう。
そして声をかけようと口を開いた瞬間――恐ろしくも感じる速度でクロエの両手がボクの口を強くふさいだ。
カチカチと鳴る小さな歯の音と重なるようにして、口をふさいだクロエの両手が激しく震えている。
その尋常ではない様子にボクの体は、クロエと同じように震えだしていた。
「う、うご……いちゃ……だめ」
目と鼻の先で口をわずかに開けたまま、彼女は震える唇でそう囁くように言って、ボロボロと涙を流しはじめる。
なぜ――?
そんな疑問を口にするよりも最初に――ボクはとっさに瞳を閉じていた。
「ッ……!」
耳をつんざく爆音と共に、視界のすべてが白く染まり、遅れて土煙でふさがれる。
そこに混じるようにして、ボクは高らかに響く男の笑い声を耳にした。
「くハッ……テメェ今日は一人かよ? それともようやく気付いたか? 雑魚をどれだけ集めても意味ねぇってことによぉ……!」
それが、場違いにも、あまりに楽しそうな声だったから。嬉しそうな声だったから。
ボクは恐怖を押し殺そうと必死に歯を食いしばった。
息が、うまくできない。
心臓の音が、耳の奥で激しく鳴り響く。
何一つ分からないことだらけの世界の中でさえ、異常なものであるとすぐにわかった。
そして僕は確信に至る。
奴らだ――。
この街に生きる者ならだれもが知っている暴力そのもの。
とうとう巻き込まれてしまったという後悔。そして理不尽に対する怒り。
何度も葛藤を重ねながら、最後には僕の目は声のあった方に向かっていた。
「――――」
恐怖で体が固まる。
あれだけうるさかった心臓の音も聞こえない。
ただただ、動けないでいた。
クロエの言葉の意味をようやっと、本当の意味で理解する。
僅かでも動けば、終わってしまう。そんな錯覚を覚える程に。
自分の命のちっぽけさを知った瞬間だった。
土煙の中で灯る不気味に輝く黄金の光。
それが瞳であったことをボクは少し遅れて知った。
土煙が晴れてすぐ、月明りがその姿を鮮明に映し出す。
肩まで伸びた金色の頭髪。
その男は白い歯を口から覗かせて獰猛な笑みを浮かべていた。
――化け物。
雰囲気か、それとも恐怖からか。
どっちだっていいが、アレは触れちゃいけない存在なのだと理解ができる。
一目見ただけで、自分とは違う生き物なのだと分かってしまう。
そして、そんな化け物と相対する、もう一人もまた――。
「いい加減、決着はつけるべきだと思ってな。そうだろ? ハイネ」
そう言い放ち、その男は身の丈に迫る大剣を片手で軽々と持ち上げると、その大きな切っ先を、黄金の瞳を持つ化け物へと向けた。
その男も、異常。
見ただけで分かる。
――化け物だ。
「……ははっ」
乾いた笑みがこぼれた。
どうしようもなかった。
逃げたいのに動けない。いや違う。動きたくない。
少しでも僕らという存在を気取られたくない。
じゃあ、このままここでただ固まっているのが正解なのか?
それすらも、分からない。
ボクができたのは、ただ、ただ祈るだけ。
この地獄が夢であることを――
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■
「……」
僕はごくりと喉を鳴らした。
ランスの語るその内容は、聞いているだけで背筋が冷たくなるものだった。
真に迫るとはこのことだろう。硬い声色がそうさせたのだろうか。
彼らが体験したその恐怖の一幕を僕まで追体験している気分だ。
「……今でもたまに夢に見るよ。その度に思う。僕らが生きていられたのは奇跡だって」
ランスは閉じていた瞳を開けると、少し興奮気味に言葉を続けた。
「信じられるか? 奴ら、動いているはずなのに姿が見えないんだ。いや、理屈は分かってる。速すぎるんだ。その速度を僕の目はとらえきれなかった」
そうしみじみと語るランスの言葉にかぶせるようにしてクロエが小さな声でぼそっと言った。
「……音とかは、聞こえたよ。風もすごかった」
「……」
彼らの言う化け物。その二人を僕は知っている。
序列7位。黄金の瞳をもつ男ジース。
そして恐らくもう一人は、特徴的な大剣の話からして、序列6位のゼクスと呼ばれていた男のことだろう。
化け物、か。
……たしかに理解できる。そう呼ばれるだけの強さを彼らは秘めている。
「そしてここからが重要だ。僕の話した内容には続きがある」
仕切りなおすようにして、ランスは再び表情を硬くした。
「そんな彼ら、化け物を僕らの目の前で制してみせた人がいた。実際、僕の言った奇跡の大部分はこれに当たる。命の恩人と言ってもいいかもしれない」
僕はその人の名前を知っていた。
クロエは椅子から身を乗り出して言う。
「その人こそ、暗部『影の月』の頂点! ロイド様よ!」
だろうな、という感想と同時に、僕は少しだけ驚いていた。
彼らの語った内容は、全て過去の話だ。
「……」
ジースの刺突。それを止めた時の衝撃を思い返す。
当時のロイド先輩を僕は知らない。
もしそれが本当だとしたら、僕の想定している以上の戦闘力をロイド先輩は有していることになる。
本当に謎の多い人だな、なんてそんな感想。
「僕たちは身をもって知っているんだ。暗部を総べるロイド様の強さ、そして幹部たちの恐ろしさを。そして実際、噂の内容と照らし合わせるとロイド様に負けたその二人が幹部であることは間違いない」
そうまとめるように言うランスだったが、僕は疑問に感じていることもあった。
「たしかにその二人には気を付けた方が良いってのは確かだけど、それだけで他の幹部にも気をつけろ、とはならないんじゃないかな? 良い人かもしれないし」
実際、ジースには気を付けるべきだろう。
あの鋭い黄金の瞳を思い出すだけで、ぞくりとさせられる。
それよりも、一応、幹部の身になった僕としては他の幹部達の情報だけで恐れないでほしいというのが正直なところだった。
「違うんだ。何も知らない構成員たちにとっては意味の無い情報だけど、序列7位の男は黄金の瞳を持つ男だって話だ。そして序列とは、言い換えれば強さの順番ってことらしい。この意味が分かるかい?」
ようやく僕は、話の着地点。そしてランス達の言いたいことを理解した。
「僕らが知っている黄金の瞳を持つ化け物。その序列は7位。つまりだ。奴よりも上の位置に……6人もいることになる」
ランスの声は恐怖……だろうか。わずかに震えているように僕には聞こえた。
なるほど理解できない話じゃない。
僕は立場上、ランスよりも知っていることが多くある。
実際、ジースは自ら好んで7位を名乗っているって話だったけど、それを知らない彼らからすれば素性の知れない他の幹部たちを恐れるのはもっともな話だった。
「……たしかにそうだね。気を付けるよ」
僕はそう言って頷いてみせる。
するとクロエが少しだけ顔を引きつらせながら、ぼそりといった。
「序列1位って……どんな人なんだろ……」
ランスは即答した。
「どんなって――それこそ化け物だよ。幹部たちの中で一番強いってことだからね」




