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71話 「思惑の果てに」

 



『問題は、ない』


 ロイド・メルツの声。

 それがフィーアの頭の中で、記憶から浮き上がるようにして再生された。


 伸ばした腕が、指先が宙を彷徨う。

 目的を無くした手のひらの隙間。その先に、少年はいた。


 この部屋に一歩足を踏み入れたその瞬間から、今に至るまで気を抜いた瞬間などフィーアには無い。


 序列1位の新たな幹部。

 なにが起こるかなど考えるまでもなく、状況は予想の範囲内で進行していたはずだった。


 ユノ・アスタリオ。

 ロイド・メルツのお気に入り。そして、守らなければいけない男の子。

 それが当初からのフィーアの認識であり、自らに課した責任だった。


 そのはずなのに。


「――まって」


 口にした言葉は、伸ばした腕と変わらずに行き場を失っていた。


 焦りの感情など、目に映った現実を理解すると同時に消え失せた。


 驕りか、杞憂か。


 恐らくそのどちらでもあったのだろうと、フィーアは悟る。


 ツヴァイに向けて放たれたジースの一撃。

 その破壊力をフィーアは正しく理解していた。


 明確な殺意をもって放たれた必殺の刺突。

 一騎当千の猛者ばかりである暗部『影の月』。その幹部であってもあれを正面から止められる者が果たしてどれほどいただろうか。


 例えば、それが自分であったなら――そんな思考が頭の中を埋め尽くしていく。


 口を閉じることも、忘れたままに。



 ◆



 違和感を覚えなかったと言えば嘘になる。


 ゾッとするような目で僕を見ながら嬉しそうに笑うツヴァイ。


 試された……いや、この場合まんまと釣られたというのが正しいのだろう。


 永遠に続く。そんな感想すら抱いた死闘に、突如として訪れた終わり。

 なんらかの意図があったと考える方が自然なはずだ。


 しかし、今意識を向けるべきはツヴァイではない。


「……」


 僕を向いたまま動かない黄金の瞳。


 殺気はない。敵意も不思議と感じられない。

 それでも恐ろしいと感じてしまうのは、受け止めた一撃の重さを知っているから。


 直撃を許せばただではすまなかっただろう。


 そんな僕の心情を知ってか知らずか、無表情だったその顔にうすく笑みが灯る。


 ――おもしれぇ。


 そんな声が聞こえてきそうな笑みだった。



「…………やめだ」


 意外にもそう囁くように言って、ジースは僕の手を振り払うと気だるげにツヴァイを睨みつける。


「テメェ、知ってたのかよ」


 その問いに、ツヴァイは悪戯な笑みを浮かべた。


「ユノ君を見るの、今日で三回目なんだよねぇ」


 笑うように言って、ツヴァイは僕に両手を伸ばした。


「……」


 僕はその手をとって立たせるようにして引き上げる。まではいいのだが。


「……ッ」


 ぎゅっと体がツヴァイの両腕に包まれる。形だけでいえばハグである。

 ふわりと香る甘い匂いに、僕は少しだけ、ほんの少しだけ動揺していた。


 額がくっつくような距離で、ツヴァイは僕の耳元に顔を寄せる。


「ありがとう。()()()助けちゃうんだね」


 そう囁くように言って、体を離すと、後ろ手を組んでニコニコと笑うツヴァイ。


 言葉の意味を理解しようとテンパる僕をよそに、ジースは不機嫌そうに鼻息を鳴らした。


「……気に入らねぇな。だがテメェに乗せられたとは思わねぇ」


 言って、ジースは再び僕を見ながら、ニィと口角を吊り上げる。

 意外にもその笑みには、僅かではあるが親しみの色がにじんでいた。


「災難だったな。俺もお前もまんまと手のひらの上ってわけだ」


 笑うように言って、ジースは顔を横に向けた。

 釣られるように僕もジースの視線を追う。空間の中心にある円卓。その席にある人影。


「……」


 僕は言葉を失った。


 いつからそこに座していたのだろうか。

 ジースの言葉の意味をたった今、理解した。



「素晴らしい」



 感嘆をにじませた声。

 同時にパチパチと手をたたく音が小さく響き渡った。

 驚けばいいのか、呆れるのが正解なのかは僕には分からない。


 けれど少なくとも、ロイド・メルツの登場によって、場の空気が変わったのは確かだ。


「どうだユノ・アスタリオ。これが暗部だ。気に入ってくれたかな?」


 言ってロイド先輩は自信満々の表情をして、両肘を机にあげて組んだ両手に顎をのせた。


 その芝居じみた仕草すら似合って見えるのは、僕自身がロイド先輩を只者ではないと認めているからだ。


「……」


 傲慢と切って捨てるには、暗部の優秀さを僕は知ってしまった。

 それに、これだけの戦力だ。もしもの備えとしては十分すぎる。


「……はい」


 だから僕は、そう言って苦笑した。


 そんな僕の様子に満足したのか、クク、と小さく笑うと、この場にいる幹部たち全員に視線を巡らしていく。


「優秀な諸君らのことだ。既に答えは出ているだろうが……」


 そう切り出して、ロイド先輩は少なくない魔力をその身に纏いながら、楽しそうに口角を吊り上げた。


「この男の『影の月』幹部への就任。そして序列1位の継承。反対の者はいるか?」


 訪れたのは静寂。


 反対はなかった。



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