64話 「拠り所」
扉を開けてすぐ、殺気にも似た冷たい視線が僕を射抜いた。
「オハヨウ、ゴザイマス」
よく声がでたな、と思う。
ルナの私室。その入り口で僕はただただ固まっていた。
ルナ・フレイムという少女が普段からどこかすました表情をしていることは知っている。
人によってはそこに冷たさを覚える人もいるであろうことも。
しかし、どうだ。
今日のルナの視線の冷たさたるや、ゴブリンも泣いて逃げ出すほどの迫力である。
「オ、オジョウサマ?」
見よ。この活舌を。
ルナの謎の迫力に、体が緊張していることをはっきりと自覚した。
「なにかしら? おはよう。いい朝ね」
そう言ってルナは優雅さを感じさせる足取りで僕を横から通り過ぎるようにして追い抜くと。
「今日は外で食べたい気分だわ」
などと言って廊下を変わらず優雅に歩いていく。
不機嫌、なのだろうか?
そうだとして、きっと僕が理由なのだろう。正直思い当たる節はある。
朝、ルナを起こすのが僕の騎士としての役割の一つである。
しかし、今日もそうだが僕が起こす前に、既にルナは起きているのである。
遅いと言われればそれまでだが……。
事実としてまだ日がのぼってすぐのことである。
これ以上早く、となると夜中のうちに起こしにこなければいけないことになる。
いや、けど、神々しく庭のお散歩をしている神様を眺める時間を削ればもう少しだけ早く……などと考えていると、ルナが僕をじっと見ていることに気が付いた。
「……?」
振り返るようにして、不思議そうに小首をかしげるルナ。
それから少ししてまるで面白いものを見たかのようにクスリと笑った。
「いくわよ。ついてきなさい」
「ハイ」
珍しいものを見た気分だった。
ルナのあんな笑顔など、そうそうお目にかかれるものではない。
なにがなんだか分からない気持ちを抱えつつ、僕もルナの背を追うようにして歩きだした。
それから少しして、ルナと向かい合うようにして、庭先にある白いテーブル席に腰を下ろしてすぐ、フレイム邸に仕える使用人たちがいそいそと動き回り、机の上に朝食が並べられていく。
やはり、というか。僕はそれをどこか落ち着かない気持ちで眺めていた。
当然、準備されているものはルナの朝食なのだがそこには僕のものも含まれている。
立場上、僕も従者にあたるのだが、ルナと席を共にするときはこうして僕のものも同じようにして準備されているのだ。
正直言って、まだ慣れない。どこか申し訳なさすらも感じてしまう。
しかし、そんな僕の心情など知ってか知らずか、優雅に紅茶をたしなむ僕のお嬢様。
音一つなく紅茶の入った茶器を手に取ると、美しさすら感じさせる所作でもって口へと運んでいく。
さすが公爵令嬢たらんその一連の気品あふれる動作に、さすがだなーなんて気持ちでいると、ルナが不思議そうに口を開いた。
「どうかしたのかしら?」
僕がじっと眺めていたことに気が付いたのだろう。
不思議がるのも当然だった。
「いえ、綺麗だなと」
カチャリと茶器がこすれる音が小さく響いた。
それから少しの間、何かを考え込むようにして瞳を閉じるルナ。
「………………茶器のことかしら?」
言って、自らが手にしている茶器へとルナが視線をうつす。
新雪のような白に金色の線で花が描かれているそれは確かに美しいといえた。
「いえ、それもですけど。お嬢様の動き? でしょうか」
僕がそう言ってすぐに、小さく息を吐いたルナは、片目を閉じて僕をからかうようにしてその顔に笑みを浮かべた。
「あなたもそう捨てたものではないわよ?」
思わずどきりとしてしまう。
分かっていたことではあったがどんな笑顔であってもルナのそれには破壊力があった。
普段からそうして笑っていれば、孤高の月なんて言われないだろうに。
それから少しの間、用意してもらった朝食を堪能していると、切り出すようにしてルナが口を開いた。
「それで、どうなったのかしら? 夜のお散歩は」
再び僕はどきりとしていた。
暗に問われているそれは、今日僕がルナに告げなければいけないことだった。
今日の夜から、僕の暗部での活動がはじまろうとしていたのだ。
とうぜん暗部の活動には秘匿しなければいけないことが多くある。しかし、体験といった形であろうとも、主であるルナにはあらかじめ伝えておくのが筋であると僕は考えていた。
「……しばらく、続けようと思います」
「そう」
それっきり、会話がぴたりと止んだ。
聴こえてくるのは庭を走る風の音ばかりである。
「あの、お嬢様」
「――知っているかしら?」
僕の言葉を遮るようにしてそう切り出したルナは、まるで心底喜ばしいかのように可愛いらしい笑みをその顔に浮かべた。
「闘技大会の優勝。そして生徒会への加入。あなたの華々しい功績は間接的に主である私の功績でもあるの」
「お嬢様?」
「だからその功績にはなにかしら褒美があってしかるべきだと思うわ。たとえあなたが騎士の身でありながら夜遊びをしていても私はあなたを咎めない」
いえ、夜遊びでは――
「けれど、忘れてはいけないこともあると思うの」
言って、まじめな顔をしてルナは続けざまに口を開いた。
「あなたは私の騎士。それはどんなことがあっても変わることはないはずでしょう?」
その不思議な問いだけは、本物だと思った。
功績云々と語るルナに、僕はらしくない、なんて違和感を覚えていたのだ。
しかし、そんな当たり前の質問だけには、ルナの真剣さが宿っている。
だから僕も正直に答えた。
「はい。お嬢様」
ただそれだけをルナへと告げた。
僕の言葉をきいて、ルナは満足そうに小さく頷くと、普段と変わらないすました顔をして再び紅茶をすすっている。
お互いに無言だ。
けれどそんな沈黙に不思議とどこか心地よさを感じていた。
満足そうなルナを見ることができたからだろうか?
それとも暗部の活動をルナに伝えることができたからだろうか?
「大切にしなさい」
そうぽつりと呟くようにしていったルナの言葉を僕ははっきりと耳にした。
今も隠すようにして懐に入れているそれが、ルナにとって大切なものであろうことを僕はしっかりと理解している。
「はい。お嬢様だと思って大切にします」
カチャリと茶器の音が小さく響いた。




