幕間 「マルファス」
――豪華絢爛
まさにその言葉がふさわしい室内であるといえた。
卓上、その燭台には血のように赤い蝋燭が一本。
その炎が小さく揺らめくたびに、部屋中に飾られた色とりどりの宝石が怪しげな光を放ち、ほの暗い室内に幻想的な空間を創造した。
「……」
そんな美しい宝石たちには目もくれず、黒い貴族服に身を包んだその男は椅子に座り眼前の卓上に頬杖をついたまま、何をするでもなく瞳を閉じている。
――否。
その男――英雄神の一柱であるマルファスは思考していた。
マルファスは利発な神であった。
戦闘力という一面においては他の神々より一段劣るものの、頭脳においてはとびぬけている。そういっても過言ではない程に。
そんな彼の頭の中を埋め尽くしていたのは、自らの仮定が正しかったという大きな喜びと、わずかな不安。そして己の向かうべき指針であった。
【野良神】
その存在が確認された瞬間にマルファスは真っ先に興味を抱いた。
自らが【神】と呼ばれるようになった時とほぼ同時といっていいほどの速度でだ。
新たな神の誕生。
その事実。それだけでマルファスが興味を抱くには十分である。
マルファスは利発な神であったが、しかし、同時に臆病な神でもあった。
だからそう、できるならば不安の芽は摘まなければならなかったのだ。
――――自らの安息を少しでも長く、保つために。
「これは珍しい……本日はどういった御用で?」
マルファスはひとりでにそう言って閉じていた瞳をひらくと、目の前の机を挟んで向かい側の暗闇に視線をやった。
瞬間、赤い蝋燭に灯っていた炎が風を受けて小さくゆらめいた。
「やぁ。ひさしぶりだねぇマルファス? 元気してたぁ?」
闇の中で薄紅のツインテールがふわりと揺れる。
空席だったはずの椅子に優雅さを感じさせる様で座っていたのは美の女神と名高い、英雄神アスタロトである。
「ええ、まぁそれなりに。お久しぶりです。アスタロト様。御身もお変わりないご様子」
「いやだなぁ、そんな格式ばった物言いはよしてくれよ。僕と君の仲じゃないかぁ」
そう、からかうように笑うアスタロトの視線から逃れるようにして、マルファスはぎこちなく笑みを浮かべた。
冗談ではない、というのがこの時のマルファスの正直な感想だった。
至高と呼ばれる神々にも格というものが存在する。それこそずっと古の時代からそう変わるものではない。
目の前の女神に軽口をたたける存在が果たして今の世界にどれほど存在しうるのか。
その数少ない存在の名をいくつか思い浮かべたことろで、マルファスは思考を中止した。
「……それで、アスタロト様」
「うーん?」
「私になにか?」
そのマルファスの問いに、アスタロトは愉快そうに笑みを浮かべた。
「またまたぁ。わかってるくせに」
言ってからかうようにして薄く開かれたアスタロトの視線に、マルファスは身を固くした。
図星である。
どこか予感めいたものはあったのだ。
マルファス自身、遅かれ早かれアスタロトに接触する必要性は感じていた。
しかし誤算もあった。
こんなにも早く、それもアスタロトほどの存在がわざわざ自ら赴いてくるとは想像もしていなかったのだ。
「やっぱ、まぁ、きみはさすがだよね。昔っからそうだったけどさ。もしかして未来予知とかできちゃったりするの?」
「まさか」
マルファスは小さく首を横に振った。
「そんな身に過ぎた力はありませんよ」
「だとしたら、やっぱりすごいね。きみは」
マルファスに向けられたアスタロトの視線。声色。
表情にはでないまでも、そこには確かな感嘆があった。
それに気づかないマルファスではない。
全てをそのまま受け取るほど迂闊な性格ではなかったが、当初アスタロトに対して感じていた緊張が薄くなったのは確かだった。
「で、実際のところいつからなんだい?」
その確信的な単語が抜け落ちた問いに、マルファスは即答した。
「最初から、ですかね」
今度こそアスタロトは驚きを隠さなかった。
「最初っからぁ!? うそだぁ」
「あいにくと。あなたにつける嘘など私にはありませんよ」
事実である。
――野良神とは?
その疑問に真っ先に向き合い、そして今、限りなく答えに近い回答をマルファスは導き出していた。
「そもそも、疑問を持つな、という方が難しいのです」
パチン。
指を鳴らす音が室内に響く。
瞬間、マルファスの手に液体入りのボトルが出現した。
そして血のように赤いソレをグラスに注ぐと、アスタロトの前に置き、静かに語り始める。
「私たちは神です。つまり今、私たちこそ全知全能の頂にして、絶対的な存在なのです。既に我らを邪魔する者はおろか、対等に並び立つ者すらいないこんな世界に生まれた逸話なき【野良神】という存在。一体やつらは何者なのか」
まるで自らのこれまでの疑問を思い返すように。言葉を重ねるごと、マルファスは興奮を高めていった。
「私たちの同胞が創り出した存在? ……否。あのような出来損ないを少なからず必要であろう代償を払ってまで造る必要性がまるで無い。意味がないのだ。自らを愛し無駄を嫌う我らがそのようなことするはずが無い。では、超自然的に発生した可能性……否。いや、強いてあげればこの可能性が最も理解できるものになる。しかしだとしたら――」
疑問からくる興味。
自らの頭脳を称える歓喜。
許されざる可能性からくる怒り。
そして、――恐れ。
「ああ……。やはりどう考えても答えは一つ。いいや私にはそうとしか考えられない」
まるで檀上に立つ語り部のようなマルファスの様にアスタロトは目を輝かせる。
そこには退屈しがちなアスタロトを惹きつけるだけの確かな迫力が存在した。
「つまり? つまりマルファス! なんなのさ!?」
だからアスタロトは道化のように無邪気に、そして楽しそうに笑うのだ。
きっと次の言葉を聞いたとき、歓喜から逃れることはできないと知っていたから。
「私たちの聖戦は――終わってなどいない」
「――――」
静かに、簡潔に告げられたその言葉を噛みしめるように、アスタロトは自らの体を強く抱きしめ、恍惚とした表情を浮かべた。
「私が言わずとも、あなたも既に気づいていたはずだ。ある一つの事実によって。それがすべての疑問に回答をくれたのです」
「…………女神、アテナ、だろ?」
そのアスタロトの問いに、マルファスは小さく頷くと不敵に笑った。
「偶然にしてはできすぎている。さすがというべきなのでしょうね。しかし、いずれにしても私がなすべきことは変わらない」
「……例の野良神狩りのことかい?」
「狩り、だなんて野蛮なものではありませんよ」
言ってマルファスは席を立つと、アスタロトへと背中を向けた。
「研究ですよ。興味本位の」
「ふぅん。……あ、でも大丈夫なのかい?」
「……?」
既に会話を終えたと考えていたマルファスはその問いに進ませようとした足を止めた。
「野良神の名がアテナになったってことは、契約者がいるってことだろ? どれから始めるかは知らないけど、これが仕組まれたって言うんだったら一筋縄じゃいかないんじゃない?」
「どちらがそう名付けるよう仕向けたのかは定かではありませんがね。まぁなんにせよ問題はありませんよ。確かに人間にしてはよくやる方でしたが……」
マルファスは背中越しにアスタロトへと視線を向けた。
絶対の自信を感じさせるほどの笑みを携えて。
「私の敵にはなり得ませんよ」
そう最後に言い残し、マルファスは瞬き一つの間に闇へと溶け消える。
誰もいなくなったその空間にアスタロトの小さな笑い声が遅れて響いた。
「……人間にしては……か。強すぎるってのも考えもんだよねぇ」
そう一人呟き、アスタロトは何かを考え込むようにして椅子の背に体を深く預けると、
卓上にあったグラスを手に取り、マルファスの消えた暗闇に掲げた。
「君にしてはあまりにも迂闊じゃないか……知っているはずだろう? 新たに出現した謎の神のことは、さ」
血のように赤いその酒を、アスタロトは一気に飲みほすと、美の女神らしからぬ醜悪な笑みを浮かべながら――
「……ばいばい。マルファス」
言って、蝋燭の火を優しく吹き消した。




