38話 「ティナ・バレット」
「お断りします」
セレナさんよりも二回り程小さな少女――ティナ・バレットが不快そうな表情をしながら口を開いた。
淡い赤色の双眸が僕を鋭く睨みつける。
そしてティナのその言葉を聞いて、セレナさんが焦ったように言葉を紡ぐ。
「ど、どうして? きっと良い練習相手になると思うよっ?」
セレナさんはそう言って僕をチラチラと横目で見ながら引きつった笑みを浮かべていた。
「……」
僕はというとこの状況にため息をつくばかりである。
――今に至るまでの流れはこうだ。
セレナさんのお願い事、それは闘技大会で優勝を狙っている妹さんの練習相手になって欲しいというものだった。
なんで僕? なんて思ったりもしたが、どうやらこの妹さん――ティナ・バレットは剣の才が無いらしい。
『実は……剣がね、あまり得意ではないの……ティナは』
そう言い、困ったような笑みを浮かべたセレナさんの顔を思い出す。
確かに。さすがの僕もブレブレの重心でどっちが振られているのか分からない素振りを見ては、納得せざるを得なかった。
つまりは練習相手として無能と名高い僕が丁度良い……という事なのだろう。
…………泣いていいかな?
「お姉さま、私の目標は闘技大会で優勝して生徒会に入る事です……! その目標があったから私は今まで頑張ってこれました! それなのに練習相手がこの男では意味がありませんっ!」
グサリ、とティナの口から放たれた言葉が僕の心に突き刺さる。
けれど、確かに高い目標を持ちながら鍛錬を積む人間にとっては無能で有名な僕は悪印象だろう。
……帰っていいかな?
そんな事を思っている時、セレナさんが突然、僕の肩に手を置いてニヤリと笑う。
「ティナ。聞きなさい。このユノ君は今、一番生徒会入りに近い男の子なの」
「「えっ?」」
セレナさんの口から突然飛び出たその言葉に僕は動揺した。
そしてそれはティナも同じ様子。
「そんな筈がありません! 私、知ってるわ! アスタリオ家の三男、ユノといえば剣も魔法も使えない出来損な……剣も魔法も苦手だって……」
気遣いが痛い。そこまで言ったら意味無いケドネ。
けれど、どうやらこのティナって子は思っているよりも優しい性格をしているのかもしれない。マロを基準にしたら、だけど。
それよりも僕が気になるのはセレナさんだ。
さっきの言葉……どういう意味だろう。
「ふふ……ティナ。そう言うなら試してみたらどうかな? ユノ君が本当に練習相手として相応しくないのか、一度手合わせしたら分かるんじゃない?」
……セレナさんの考えが読めない。その言い方だとまるで僕の実力を知っているみたいだ。
「……お姉さま。一つ聞かせてください。先程このユノ・アスタリオが一番生徒会入りに近いと言っていましたが、それはお姉さまの考えですか? それとも生徒会長としてのお言葉ですか?」
ちょっと待って。今なんて言った? 生徒会長?
僕の頭の中で点と点が結びついた。
十中八九、ロイド先輩が絡んでいる。
「さぁ、どうだろうね。けれどロイドはそう思っているみたいだよ?」
「……ロイド様が? そうですか……」
ティナは指を顎に添えると何やら下を向いて考え込んでいる様子。
ちなみに僕もティナと同じだ。
……この先の流れは容易に想像できる。たぶんティナと戦う事になるだろう。問題はその時僕がとるべき行動である。
恐らくセレナさんはロイド先輩から医務室での出来事を聞いたのだろう。で、あれば僕の選択は一つ。
――生徒会長様に、僕の槍さばきを見てもらおうじゃないか!
そう僕が結論に至った時、ティナの視線が僕を射貫いた。
「いいわ。勝負よユノ・アスタリオ。練習の成果を、全てあなたにぶつけてあげる!」
そう言ってティナは腰に差していた剣――ではなく、足元に転がっていた粗く削られた木剣を拾い上げると、腰に差していた剣を鞘ごと地面においた。
「その剣は使わないの?」
少しだけ疑問に思った僕は、地面に置かれた剣に視線を送りながら、そうティナへと問いかける。
すると、これでもかというどや顔をしながらティナがニヤリと微笑んだ。
「ふふん? やはり、気になるわよね? いいわ。教えてあげる。これを持ってみなさい」
ティナは地面に置いた剣を再び持ち上げると僕へと寄越す。
それを鞘ごと受け取った瞬間、僕は少しだけ驚いた。
「……重い」
想像していたよりもずっしりとした重みを感じる。
「何度か振ってみて」
鞘を腰に差し剣を抜く。
そのまま上段に構えた僕は、ティナに言われるままに剣を三度振ってみた。
するとティナが今度は木剣を僕へと差し出してくる。
「今度はこれを振ってみて」
……一体何をさせたいのだろう?
とりあえず交換するように木剣を受け取った僕は、同じように振ってみた。
その様子をじっと眺めていたティナが、どや顔で僕へと告げる。
「――どう?」
なにが?
「軽く……感じるでしょう?」
「――――」
「その顔……気づいてしまったようね。そう……私は素振りをする時、いつも魔法で重くした剣を使って練習をしていたの。けれど、あなたとの立ち合いで使うのは、羽のように軽いその木剣……つまり、私の真の実力が発揮されるよ!」
面白いなこの子。
しかし、実際確かに軽く感じる。もしかして僕が思っているよりもティナは強いのかもしれない。
「……はは」
僕の横からセレナさんの乾いた笑い声がきこえてくる。
「お姉さま見ていてください! 練習の成果をお見せします!」
ティナは瞳を輝かせながらそうセレナさんに言うと、固まったまま動けないでいた僕の手から木剣を取ると、間合いを離すように距離をとり、剣を構えた。
ピンとまっすぐ両腕を空へと伸ばし、剣先を上にして。
「……儀式かな?」
思わずそう呟いてしまう程の珍妙な構え。
羽の様に軽いとはよく言ったものである。今すぐにでも木剣が空へと飛んでいきそうだ。
僕はセレナさんを見つめる。
「あの、セレナさん……」
「ティナは真剣よ。どうかお願い」
お願いされてしまった……。
「どうしたの? 来なさい!」
ヤル気満々のティナさん。
僕は仕方なしに、地面に落ちていた適当な長さの棒を拾い上げると、その棒先をティナへと向けて構えた。
すると、後ろへと下がったセレナさんがポツリと呟く。
「……なるほど」
背後から聞こえててきたその声を耳にした瞬間ーー。
「はぁぁ!」
威勢よくティナが突っ込んできた。あの構えのままで。
「せいっ! やぁ!」
力の無い斬撃が僕を襲う。
木剣を振る度に揺れるティナの赤いサイドテールを眺めながら、僕はどうすれば良いかを考えた。
負ける、という選択は論外だ。
かといってティナ相手では、特別な事は何もできない。
チラリと背後にいるセレナさんを流し見る。
「…………」
セレナさんが僕を真剣な眼差しで見ているのが分かった。
それに――。
少し先の場所で未だに大木の前で腕を前へと突き出しながら光を放つ女神アテナ。
そう。僕はまだ神様に話しかけられないでいたのだ。
そして神様も僕に気づいていない。それだけ集中しているという事だろう。
「どうやら避けるのだけは上手なようね!」
ティナはそう言うと、間合いを外すように一度後ろへとさがると、剣先を僕へと向ける。
「けれど、これで終わりよ。私が編み出した最強の必殺技【ライトニング】を喰らいなさい!」
そう言ったティナの体に淡い青色をした電撃が走る。
その瞬間、ティナの赤い髪がぶわりと逆立った。
雷魔法……か。
使う人があまりいない……という意味では廃れつつある魔法だが……。
――何故だろう。体中の血が沸き立つ感覚を僕は覚えていた。
「はぁぁぁ!」
ティナは僕へと電撃を纏った剣先を突き出し、走り出す。
意外にも、その刺突はとても様になっていた。
「……なるほど」
だから――僕も走り出す。
同じように槍に見立てた木の棒先をティナへと向けて。
そして――互いに得物を突き出したままの格好で、僕とティナは動きを止めた。
ティナの突き出した剣先は宙を突く。それとは対照的に僕の槍先はティナの喉を捉えていた。
「そこまで。勝負ありだね」
セレナさんのそんな宣言と同時に、ティナががっくりと両膝を地面に落とす。
「嘘……負けた……?」
潤んだ淡い赤色の瞳が僕を見つめる。
今回の勝敗を分けたのはたった一つ。武器のリーチ差に他ならない。
同じ刺突なのだから、武器が長い方が勝つのは当然だ。無論、剣士であればそれを理解して対処をしなければならないのだが――。
「私の……必殺技が……ぐすっ……【ライトニング】が……ぐすっ」
そう小さな声で呟きながら更に瞳を潤ませるティナの姿に動揺した僕は。すぐさまフォローに入る事を決める。
「ティナさん! 僕――」
「負けたぁぁぁ」
顔を上にして、瞳からポロリ、ポロリと涙を流すティナ・バレット。
「……」
僕は、セレナさんへと視線を送る。
すると――。
「ユノ君、ファイト! 女の子を慰めるのは男の子の仕事だゾっ」
などと言いながら片目を閉じるお姉さんもとい、生徒会長。
「……どうしろと……」
僕のそんな呟きは、ティナの泣き声と、響いてきた「えいっ!」という神様の可愛い声に重なって消えた――。




