33話 「窓辺にて」
「……重いな」
無論、僕からしたら大した重さではないけれど。
そう思わずにはいられない程度には、お互い成長したという事だろう。
背中には僕の幼馴染、マロ・バーン。小さい頃はアリスと一緒によく三人で遊んでいた仲だ。
それがいつからか疎遠になっていき、気づいたら手刀を打ち込む間柄に。
「……どんな間柄だよ」
と、一人でツッコミを入れている内に僕は学園の医務室の前に到着した。
フェリス魔法騎士学園は五階建ての趣のある外観をした校舎だ。
聖フェリス女学園程ではないにしろ、それなりに立派な景観を持つ学園だと僕は思っている。
その一階。正面玄関を入り、左右に広がる廊下の右側最奥に医務室がある。
闘技大会の準備期間は怪我をする者が多くいるらしく、基本的に誰もいないという事は無いという話だ。
その横開きの扉に手をかける前に、僕は一つ深呼吸をする。
「……ふぅ」
やはり、初めて、というのはどんな時でも緊張するものだ。
事実、僕はこれまで医務室に来たことは一度もありはしなかった
コンコン。
とりあえずノックする。しかし、それから少し経っても何の反応も無い。
誰もいないのだろうか? このまま突っ立っていても仕方がない。
「失礼しまぁす……」
僕はゆっくりと、扉を、開いた。
――瞬間、柔らかな風が僕の頬を撫でる。
不思議な香りが僕の鼻腔を埋め尽くした。
外から流れ込む草木の香り。少しきついツンとした香り。それから――血の匂い。
窓が開いている。
それを理解したと同時に、日の光と重なるようにして、一人の影を目に捉えた。
その男は窓枠の淵に背中を預けて、片膝を抱えて座っている。
綺麗な鼻筋と不思議と吸い寄せられる黒い瞳。そして珍しい黒髪を風になびかせたその男は、自らの腕に白い包帯を巻きつけながら、憂いそうな表情をして、視線だけを僕へと向けた。
「「…………」」
視線が重なる。
僕は、そのあまりにも整った容姿に完全に気圧されてしまっていた。
僕が知る限り一番イケメンなのはクライムだ。
そのクライムと同等……いや、比べる事に意味は無いか。
例えるなら、クライムは太陽。そして目の前のこの男は――月。
美しさの質が違う。けれど間違いなく、悔しいくらい、イケメンだった。
「……面白い。これもまた運命か」
男は低い声でそうぽつりと呟きながら、口の端を吊り上げる。
……ルシファーみたいな事を言う人だな。
なんて思いながらも、僕はぺこりと頭を下げた。
恐らくは上級生。僕より身長も高いし、なんだかとっても落ち着いた雰囲気だ。
「背中のそれは、お前がやったのか?」
男は僕が背負っているマロに視線を向けながらそんな事を聞いてくる。
「……まぁ、色々ありまして」
僕はそう答えながら、入ってすぐ近くにあった白いベットの上に、マロを下ろして横にする。
どうやら先生はいないらしい。念の為、呼んできた方がいいだろか?
僕がそんな事を考えている間、男はずっと僕を観察するように眺めていた。
……落ち着かない。これが上級生の覇気なのだろう。
「ケガ……したんですか?」
男から向けられる視線に肩身の狭さを感じつつも、男の右腕に巻かれた包帯を横目で見ながら、とりあえずそう口にしてみる。
「…………これの事か?」
男は自らの右腕を眺めながらそう言うと、最後に視線を僕に向ける。
「ええ」
僕は小さく頷いた。
すると、男の表情が酷く悲しい色を帯びる。
まずい。少し突っ込んだ質問だっただろうか……。
そんな僕の焦りを知ってか知らずか、男は悲し気な声色で呟いた。
「いいや、ケガではない。封印を……しているだけだ」
大ケガだった。
「そ、そうですか」
関わらない方がいい。
僕は瞬時にそう判断を下すと、部屋を出ようと男に背中を向けた。
「では、僕はこれくらいで」
そう言って部屋を出ようと、前に足を進める。
――その時だった。
「邪神ノア」
「――え?」
ドクン、と心臓が高鳴った。僕は思わず背中越しに男を見つめる。
「お前は見た筈だ。新たな神話とその神を」
男の鋭い視線が僕を射貫く。
「……何の……話ですか?」
この件に関しては緘口令がしかれている。だから僕の対応はこれで正しい。
「……忠実だな」
男は怪しげな笑みを浮かべると、綺麗な動きで床へと飛び降りる。
会話が続く事を悟った僕は、男の正面に体を向けた。
「俺の名は、ロイド・メルツ。聞き覚えは?」
ロイド・メルツ……。
ロイドという名前はなんとなくどこかで聞いた覚えがある。
しかもメルツ家といえば伯爵の位を持つ大貴族。
それに、国の重要な仕事を受け持っていると聞いた事がある。
「もちろん知っています。メルツ家は国の重役を担う一族だと聞き及んでいます」
「重役を担う一族……ふふ。どうやら深淵は覗いていないらしい」
男――ロイドはそう言いながら暗い笑みを零す。
僕はその顔をみて、恐ろしい何かに触れてしまったような気分になった。
「メルツ家はこの国で起きた全ての事を把握している。無論、その中には女神アスタロトと神獣が衝突したことも。そしてノアと名乗る邪神が降臨したことも含まれる」
……なるほど。どうやらメルツ家は想像以上にこの国の奥底に食い込んでいるようだ。
「それをふまえてもう一度、問おう。ユノ・アスタリオ――お前から見て、邪神ノアはどう映った?」
……当たり前のように僕の名を。
いいや、元から僕は無能として有名だ。知っていても不思議じゃない。
それよりも気になるのが、このロイドと名乗る男の目的だ。
「どう……とは?」
「……探り合いは好きでは無い。そのままの意味だ」
……どうやら頭は切れるらしい。
「……恐ろしかったですよ。王立騎士団がまるで赤子の様にあしらわれたと聞いています」
「姿は?」
「白銀の髪と、青い瞳の男神でした。身に纏っていたのは黒いローブ。背中には白い翼が」
僕は嘘偽りなくそう答える。あの場に僕がいた事は既に知っているのだろう。もちろん、それがフェンリルの擬態した僕である事まではさすがに気づかれてはいないだろうけど。
……そうだよね?
とても不安になってくる。ロイドの目を見ていると全てを見透かされたような気になって仕方がない。
「……そうか。それを見て、お前はどう思った? 美しいと感じたか?」
僕は、その問いに、少し迷って。
「……はい」
短く、そう答えた。
「そうか……それは良かった」
ロイドはそう言うと、その顔に浮かべた笑みを更に深くする。
「ノアの降臨。その話を聞いた時、俺は思った。ようやっと、俺が契約するに相応しい神が現れた……と」
そう言って何故か逆手で右腕を抑えるロイド・メルツ。
考えが読めない。本気で言っているようにも見えるが……。
「……ノアは、邪神です」
「そうらしいな。けれど、この退屈な世界でノアだけが際立って輝いている」
ロイドはそう言いながら僕の横を通り過ぎると、背中越しに僕を見る。
「それにあの神が一体何をした?」
僕はその問いの意味を理解した時、全身が粟立つのを自覚した。
「魔軍暴走の首謀者です」
「……お前は本当にそう思うか?」
その問いに僕は背中越しにロイドを睨みつける。
「では、何が真実だと?」
「神獣フェンリルが魔軍暴走の首謀者で、それを女神アスタロトが応戦。それが一番理解できる筋書きだ」
僕はロイドのその言葉に、酷く落胆した。
そうか。結局はやはり――。
「――そう言えばお前は落胆するか? ユノ・アスタリオ」
ロイドが笑う。
それを聞いて――僕も自然と笑みが零れた。
「綺麗すぎる筋書きを俺は好まない。神話とは難解で、苦しく、そして美しいものであるべきだ。その観点で言うと、首謀者はフェンリルではない。そして、恐らくは青い流星でも無いだろう」
「……つまり?」
体中が熱を持つ。
ああ。すごいな。
今ならこの人が最初に言っていた意味が分かる。
「女神――アスタロト。それが答えだ」
――――この出会いは、運命だ。




