28話 「本当は泣きたくて」
頭の中で描いた新たな物語。それは確かに存在を確認された【青い流星】を利用しての筋書きの改竄だった。
もしかしたらもっと良い案が他にあるのかもしれない。けれど、それこそが最善だと今は信じる。
この世界における神の力は絶対だが、平等ではない。
世界中から名を知られる神ともなればその力は様々な面において絶大な効果を発揮する。
例えば今回の件。魔軍暴走を先導したのは英雄神の異名を持つ女神アスタロト。そしてそれを止めようとしたのが神獣フェンリルというのが事実であり、真実だ。
しかし、現実はどうだ。魔軍暴走を引き起こしたのは神獣フェンリル。そしてそれを止めようとしたのが女神アスタロトだという正反対の物語が人々の信教と、同じく高名な神々によって創られた。
胸糞の悪い話である。それではフェンリルがあまりにも可哀そうだ。
恐らくだが、これを機に神獣を亡き者にしようと企む何者かの意思が働いているのでは無かろうか。
何故ならフェンリルは【神喰い】の二つ名を持つ、神にとっては天敵ともいえる神獣だ。
……と、僕は考えたが、確証はない。それに関しては僕の妄想の域をでない推測だ。
だが、どんな理由があろうとも、森の主たらん働きをした神獣が陥れられた事実は変わらない。
偽りの物語がフェンリルの討伐という結果で終幕を迎えようとしているのだ。
――そんなのは間違っている。
しかし、僕の言葉ではそれを正せない。ならば、第三者の犯行として僕は偽りの物語に更に嘘を上塗りする事で新たな物語を創り出そうと考えていた。
魔軍暴走を引き起こしたのは、突如現れた神『青い流星』
細かい事はさておき、そう思わせる事ができたら僕の勝ちである。
やろうとしている事は決して褒められた事ではないのだろうが、そんなのは今更だ。
目には目を歯には歯を、というやつである。
だから、僕はまずは伝えなければいけない。
僕の考えた、この計画には、今僕には備わっていないスキルの力が必要不可欠。
それはつまり僕が新たな力の獲得の為、新たな契約を望んでいる事に等しかった。
……神様は怒るだろうか。僕のしようとしている事を。
「……いいや。それでも」
僕は覚悟を決めて、神様の元へと向かう。
体が震えた。それを隠すように前のめりに口を開く。
「神様、僕――」
「――ユノさん。私なら大丈夫です」
強い覚悟を感じさせる真紅の瞳が僕を見つめる。
月の光に照らされたその姿は、正に女神そのものだった。
「それは私の願いでもあります。だからどうかフェンリルを助けてあげてください。私は最初からユノさんを独り占めできるなんて思っていません……!」
……まだ僕は何も言っていない。
それなのに、まさか伝わったとでもいうのだろうか。
「……ユノさん。あなたは私に光をくれました。だからどうか、迷わないでください。ユノさんの優しさは、皆を幸せにできる素敵なものです……!」
「……っ!」
心が熱くなる。僕はなんて幸せ者なのだろう。
「で、でも……忘れないでくださいね……? 私が、ユノさんと初めて契約した、か、神様なんです……!」
顔を徐々に紅潮させながらそう言って、もじもじとする僕の女神。
尻すぼみに小さくなっていくその声を僕は逃すことなく聞き取った。
…………可愛い。
しかしやはり、手放しで喜べる話でもないのだろう。
神との契約は一度きりというのが通説だ。
自分と契約した人間が他の神と契約することを神たちは快く思わないという。
でも、それでも神様は認めてくれた。
「……ありがとうございます。神様。僕、頑張ります」
心配いりませんよ。神様。
僕の第一優先は女神アテナ。これが揺らぐことは絶対にない。
それは初めて契約したのがゼウスと名乗るおっさんだったとしてもだ。
僕は最後に小さく頷くと、神様に背を向ける。
あとは――。
僕はフェンリルの元へといくと、視線を合わせるように膝を折り、フェンリルをまっすぐに見つめた。
その瞬間、いくつもの視線が僕に向くのを感じる。
「フェンリルさん。お願いがあります。僕と契約してください」
僕が小さくそう言うと、フェンリルは驚いたように僕を見る。
『……何のつもりじゃ?』
頭の中に直接フェンリルの声が響いてきた。
少し驚きながらも、僕は再び言葉を紡ぐ。
「……僕に良い考えがある。そしてそれはこの状況を打破出来る最善だと考えています」
半分が本音。そしてもう半分は僕の今後の計画の為。
『……余計なお世話じゃ。同情などいらぬ。……まさか儂があの女に負けるとでも言いたいのか?』
フェンリルが低い唸り声をあげながら黒い体毛を逆立てる。
いいや。違う。僕が言いたいのはそうではない。
それに、戦いが起これば負けるのは恐らく姉上の方だ。
僕は首を横に振りながら。
「……その姿のままでなら、戦わなくても済むかもしれない」
一度だけそう確認をとった。
『本気でそう思っておるのであれば、お主は神というものを理解しておらぬ』
……ですよね。
神の生態なんてもの僕はよく知らないけれど、プライドのようなものがあるのだと理解していた。
「力が欲しいんです」
僕は単刀直入にそう言ってフェンリルの瞳を再びまっすぐ見つめる。
「…………解せんな。お主の力は既に儂を超えておる。契約したところで――」
「姿を変えるスキル。僕が欲しいのはそんな力です。体の大きさを変えられるだけでもいい」
僕の直感が告げている。
そのスキルはフェンリルと契約することによって手に入ると。
僕がそう言うと全てを見透かしたような瞳でフェンリルが僕を鋭く睨んだ。
「……世界を敵に回すつもりか?」
世界を、敵に回す。
確かに、僕がしようとしているのはそういう事だ。
しかし、その問いへの答えは否である。
「いいえ。世界を敵に回すのは僕じゃない」
ユノ・アスタリオにはするべき事が残っている。
「……なるほど。馬鹿な事を考えるもんじゃ。よいのか? 確かにお主の考えはおもしろい。儂もお主の行く先を見てみたいと思う程には。じゃが――」
「――特等席で見せてあげますよ。あなたの力が必要だ」
新たに拓かれたもう一つの道。その隣にはフェンリルがいてほしい。
……これは僕の弱さだろうか。
「……よかろう。付き合ってやる」
そう言ってフェンリルは森の中へと視線を流した。
僕はそれに小さく頷く。
これで下準備は完了だ。
「ソレイユ先生! この子を森に帰してきます」
僕がそう言うと、ソレイユ先生が僕を見て小さく頷く。
「…………あまり心配をかけるなよ。何かあったら俺の責任問題だ」
面倒くさそうなその声色に思わず僕は頬を緩ませる。
――本当に変わらないなこの人は。
そうして森へと向けてフェンリルと並ぶように歩き出した時、僕の行く手を遮る様にルナが優雅さを感じさせる足取りで現れる。
「……その子はうちで飼ってもいいのよ」
「……狼獣がそれを望むのであれば」
僕はそう言ってフェンリルの頭を優しくなでる。
瞬間――ペチリと柔らかな肉球が僕の手を弾いた。
「「「…………」」」
フェンリルと視線が重なる。
……確かに。その話は今でなくてもいいだろう。
「ご覧の通りです。今はまず森に帰してあげるべきかと」
「……そう。それで本当の目的は何かしら?」
僕はその問いに即答した。
「おしっこです」
「ここでしなさい」
それはあんまりです。
「お嬢様、僕は――」
僕がそう切り出すと、ルナは迷うような素振りで僕を見つめた。
「もう……終わったのよ。あなたが無事に帰ってきた。それだけでもう十分なの」
……僕は驚いていた。
ルナの声色が、今まで聞いた中で一番優しい響きをしていたから。
「思いあがるのはおやめなさい。人には人の生き方がある。あなたはただの人間よ。スケベで、生意気な私の騎士。それがあなた」
ルナはそう言って僕の目の前までくると、美しい紫の瞳で僕を見上げる。
「それでも行くというのなら、私に誓いを立てなさい。何も変わらないあなたのままで、再び私の元へ帰ってくると」
不安げに揺れるその瞳を僕はまっすぐに見つめ返した。
「……誓います。必ず帰ってきます。何も変わることなく僕は僕のままこれからもお嬢様のお傍にいます」
「……そう。その言葉、忘れずにいなさい」
ルナが一歩横へとそれる。僕はすれ違う様にしてルナの横を通り過ぎた。
「――馬鹿だわ。あなた」
そんな呟きを背に聞きながら、僕は進んだ。
――最後に、後ろ髪引かれる思いで、一度だけ僕は振り返った。
姉上とアリスが僕を見つめている。
だから、その視線に答えるように、僕は少しだけ微笑んだ。
何も変わる事はない。僕は僕だ。
それからしばらく、草木をかき分けるようにして森の中を進んだ。
「……良い同胞に囲まれておるな。お主は」
そうぽつりと呟いたフェンリルの頭を僕は撫でずにはいられなかった。
「……」
今度ははたき落とされる事無く、僕の手を受け入れた神獣フェンリル。
フワフワの尻尾が僅かに左右に揺れるのを僕は見た。
「ここらでよいじゃろう」
そう言ってフェンリルが僕に正面を向ける。
僕も合わせる様に、その場に傅き、黄金の瞳をまっすぐに見つめた。
「今より儂はお主の庇護下に入る。好きに使ってみせよ」
……ん? まて、それは立場が逆では無いだろうか。
「あの……」
「お主は今日、世界の敵になる。味方は一人でも多い方が良いじゃろう。そういう意味じゃ」
……なるほど……なるほど。
「何を考えているかは知らんが、これより先、お主の庇護を求めて多くの魔族がお主の元を訪れるじゃろう。そうなった場合、儂が傍にいるだけで恰好がつく」
「そいつぁいいですね」
知らんけども。
神獣フェンリルさんがそう言うのだ。間違いない。
それにそれはフェンリルが僕の仲間になってくれるという宣言そのものだ。
「ではゆくぞ」
フェンリルの可愛い前脚が僕へと向けられる。
お手みたいだなぁ、なんて事を考えながら、僕は両手でおみ足をとると、迷わず口づけをした。
――瞬間、森の木々が騒めいた。
僕達を中心に生まれた風が、渦を巻いて広がっていく。
……っ!
そのあまりの風の強さに僕は瞳を閉じた。
草木の揺れる音、木々が喜ぶように騒めく音。森の全ての音が聞こえてくるようだ。
「……ユノ・アスタリオ。……ありがとう」
誰かがそう言って僕を優しく抱きしめる。
「こんな世界で生きる意味を……儂は見つけたっ」
泣くのを堪えるような少女のその声に、僕は動揺を隠せない。
人間……? それにこの声……どこかで……。
確認しようと瞳を開いたその時、強烈な光が僕を襲った。
……この光の中だ。何も見えはしない。だからこれは幻覚だ。
嬉しそうに笑いながら、泣きじゃくる少女の姿なんて、僕は見てなどいないのだ。
森を守って、人間に、世界に裏切られた神獣フェンリル。
それを知っている僕が、そうだったらいいなと、都合よく作った僕の妄想。
――ああ。それでいい。それでもいいんだ。
きっとこれは、神様が僕に見せてくれた勇気の証。
熱くなる心が、僕に答えを教えてくれた。
――僕の選択は、間違ってなどいやしない。
目も開けていられなかった程の光が段々と小さくなっていく。
同時に、僕の中に、力が流れ込んでくるのを感じとった。
「スキル《変態》。いくつかお主に与えた恩恵の内、お主が求めておったのはそれじゃろう」
僕の目の前で、変わらず狼獣の姿をしたフェンリルがそう告げる。
……泣いている様子もないし、人間の姿もしていない。
やはりあれは僕の作った妄想なのだろうか。
いや、それよりも。
「……スキル……《変態》……だと?」
「なんじゃ、その顔は」
僕は一体どんな顔をしているのだろう。
少しだけ単語の響きが気になったのは事実だが、本来はそういう意味だろう。
うん。うん。何もおかしな事は無い。
「お主の望んだ姿になる事ができるスキルじゃ」
…僕の……望んだ通りの姿に……。
僕は自分の体の奥底に宿った力に意識を向ける。
確かに……ある。流れ込んできた力の中から僕はそのスキルを見つけ出した。
好きな姿になれるというのなら――。
僕はスキル《変態》を使用して、自らの体を作り変えていく。
髪の色は――白銀がいい。神様やルナと同じ、綺麗な月の様な髪色に。
瞳の色は――深い青色にしよう。アリスのような青空の様な瞳に。
顔は……そうだな。どうせならクライムに負けない程のとびっきり美形にしてやろう。
体の大きさは大人のサイズに。身に纏うのは、フェンリルのような黒く美しいものがいい。
自分の体が変化していくのが分かった。
視界が高くなり、銀色の髪がその端で揺れている。
ベースは男にした。変える必要があるならば、そうするが、今のところ不自由は無い筈だ。
――こうして僕は、望んだ仮面を手に入れた。
「…………どうかな?」
少し不安になり、フェンリルに聞いてみた。
「……まぁ、悪くはないじゃろう」
よし。いける……!
興奮しているのが分かる。
心臓の鼓動が僕にそれを教えてくれた。
「じゃあ、早速行ってきます」
僕はそうフェンリルへと告げると、地面を蹴り上げ、空へと高く舞い上がる。
……翼が欲しいな。
満月を背にふとそんな事を考えてしまう。
思い浮かべたのは、ルシファーの黒い三対六枚の翼。
自由に変化が可能なのであれば。できない事は無い筈だ。
僕は早速自分の背中に翼を生やそうとスキル《変態》を使用する。
色は……白がいい。邪神なのだから正反対にしてやろう。
「……っ! できた!」
見事な白い翼が、僕の背中に現れた。
背中に意識を集中させて、少しだけ動かしてみる。するとしっかりと風を掴み、体が浮き上がるのを確認した。
……さて、時はきた。
人間の身でありながら、僕は偽物の神として顕現をする。
そう思わせるだけの力なら、僕は既に持っている。
「ふぅ……」
一つ深呼吸をした。
緊張が無いと言えば嘘になる。
何故なら僕がこれから演じるのは邪神、悪神のその類。
魔軍暴走を引き起こした黒幕として、姉上や王立騎士団の前に立つ事になる。
けれど、不思議と恐怖はしなかった。
僕を見上げる、フェンリルを流し見る。
そう。覚悟はとっくにできている。あとは、僕がうまくやるだけだ。
神様、ルナ、姉上。それにアリスにクライムも。
「……行ってきます」
僕は一人、そう呟いて、夜空を切り裂く風になる――。
少し長くなってしまいました。ここまで読んでくださった読者の皆様。本当にありがとうございます。
次話が「魔軍暴走編」の締めくくりになります。ユノの演じる邪神っぷりにご期待ください。
追記 今回ユノはフェンリルと契約をしましたが、名づけを行っておりません。『フェンリル』というのは種族では無く名称として捉えていただければ幸いです。




