24話 「運命」
考えた事が無いと言えば嘘になる。
――僕はどこまでできるのだろう。
模擬戦で初めて勝利を飾った時の高揚感を、僕はまだ覚えている。
やればできるのだ。無能なんかじゃない……筈だ。
「そうさ……僕は」
ずっとずっと、燻っていた思いが確かにあった筈だろう。
『一度でいいから……全てを――』
――試してみたい。
「…………」
眼前には、愛と美を司る女神アスタロト。
いいや、違う。
白い肌。真紅の瞳。美しすぎるその容姿。そして数々の神話が目の前の存在を神だと言ってはばからない。
けれど僕は、僕だけはそれを認めてはならない。
そんな強迫観念にも似た何かに突き動かされる。
「さぁ、僕と踊ろう……ユノ。これもまた運命さ。考えてみれば君と直接やり合うのも悪くない」
紅い瞳が残像を残してゆらりと消える。
けれど僕には……見えている!
「……っ!」
目の前に突然飛んでくる白い指先。身を後ろに反らしギリギリで回避する。
その刹那、鼻先に感じる激痛。錆びた鉄の匂いが鼻腔を埋め尽くす。
だらりと零れだす血をそのままに、僕は槍を下から突き上げた。
「おっと危ないっ」
――当然、それはひらりと躱される。
分かっていた事だ。
『まだ足りない』
器に水を注ぐように、力を全身に巡らせた。
そして槍先を標的へと構え、地を蹴り前へと奔りだす。
一瞬にして僕は辿り着いた。そのまま槍を……当たるまで。
初撃。突き出した槍は空を突く。もう一度。更にもう一度。叶うまで……何度でも!
「ふふっ」
アスタロトの笑い声が聞こえたと同時に、確かな手応えをつかみ取る。
修正、修正、修正。
まだだ。まだ僕は動かせる。
幾度にも及んだ僕の突き。それがとうとう敵の左腕を……貫いた。
飛び散る赤い鮮血。それがあまりにも美しくて見えて、僕は思わず怖くなる。
「…………」
つかの間の静寂。
軽い手応えに違和感を抱く。
そう僕が思った瞬間、アスタロトの顔に笑みが灯った。
「いいねぇ……けど、こんなもんじゃない筈、だろっ!」
槍を逆に掴まれ、そのまま僕は吹き飛ばされる。
「く……そっ……!」
勢いを殺そうととっさに身をよじらせるが、その甲斐は無く、僕は地へと落とされた。
そのあまりの衝撃に僕は口から空気を全て吹き出すと、眼前へと迫る赤い閃光を避けようと、地を這う様に身を転がした。
瞬間、大地が爆ぜる。その衝撃が風となり、僕を再び吹き飛ばした。
砂ぼこりで視界が霞む中、紅い二つの光が灯る。
「おっかしいなぁ……これじゃあ全然だめじゃあないか。ちゃ~んと僕をリードしてくれないと困っちゃうよ」
そう軽い口調で困ったように笑うアスタロトを視界に捉えた。
『まだ足りない』
……分かっているさ。それくらい。
僕はその場に立ち上がると、再び槍を構え、息を整える。
相手の強さを理解した。
ならばそれを上回るまで。
「……いい顔だ。どうやらまだ楽しめそうだね」
そう言って無邪気に笑うアスタロト。
その表情を変えたくて、僕は大地を強く踏みしめる。
槍を高速で突き出しながら、同じように飛んでくる貫手を回避する。
紙一重で交錯するその衝撃で、木々が音を立てて吹き飛んだ。
少しずつ……少しずつ僕は近づいた。
眼前の強者を上回る、その瞬間を夢に見て――。
「……もう少しだね」
……え?
突然ぽつりと零れだしたアスタロトの呟きに僕は身を凍らせる。
「気づいているかい? 僕と対等になったその意味を」
アスタロトの動きが止まる。
――今なら殺れる。
それなのに、僕の体は震えだした。
選択を誤ってはいけない。僕がなりたいのは……神様の……。
「とんだ邪魔が入ったけれど。今ならそれすらも筋書きだったと理解できたよ」
アスタロトの笑みが深くなる。より嬉しそうに……凶悪に歪む。
「おめでとうユノ・アスタリオ――」
その言葉は僕の心を揺さぶった。
「――君は僕に、僕らに届き得る」
……ああ。塞がなければいけない。あの口を。
「君は選ばれたんだ。退屈に身を焦がす僕らの好敵手に」
……うるさい。
「……ああ……! 初めて神に感謝したよ……! こんなに素晴らしい玩具を僕に与えてくれたのだから」
血が沸騰した。そう思える程の激情に襲われる。
……なんで?
「……さぁ、踊ろうよユノ。まずは僕からだ。世界に示してごらん。僕はここにいるよ……ってね」
「黙れええぇぇぇ!」
僕は槍をかなぐり捨てて、力いっぱいに拳を突き出す。
拳じゃなきゃ駄目だ。コイツには僕の全てを見せてやろう。
吸い込まれるように僕の拳がアスタロトの顔面へと――。
――――瞬間、僕の体が宙を舞う。
「ばか者! 呑まれるでないっ!」
突然フェンリルが僕を咥えるようにして走り出したのだ。
それと同時に僕の視界はそれを捉えた。
僕が元いた場所に光が深々と突き刺さる。
『契約違反だぞアスタロト』
深淵から発せられたような低い声。
僕は次々と変化する視界の中から、それを見ようと天を仰いだ。
満月を背に、赤い髪をしたその男は、黒い三対六枚の羽をはためかせ、フェンリルにも似た黄金の瞳で冷たくアスタロトを睨んでいる。
「……なんだよあれ」
僕のそんな呟きにフェンリルが答える。
「間違っても手を出すでないぞ……! 今のお主では手に余るっ!」
焦っているようなその声に耳を傾けながら、僕は確かに理解していた。
ああ、あれは駄目だ。遠すぎる。
けれどそんな思いと同時に、こうも思った。
――僕に、似ている。
あいつと話をしてみたい。
「……あの、フェンリルさん。止まってくれませんか」
「ならぬ!」
即答である。
「いや、あの、べたべたするんです! よだれが。ヌルヌルします!」
僕がそう言うと、視界の端に映るふさふさの黒い尻尾が逆立った。
「ば、ば、ば、ばかもの! なんて事言うんじゃ! 無礼者めっ!」
そう言って尻尾を激しく震わせる神獣フェンリル。
その様子がなんだかとてもおかしくて、体中の熱がスッと冷めていくのを感じていた。
「君こそ話が違うじゃないか。僕に言わなきゃいけない事があるんじゃあないかい?」
そんな僕とは逆にアスタロトが怒り出す。初めて聞く低い声色。
その尋常じゃない様子に僕は思わず身震いをした。
「いきなり動くでない! くすぐったいわぁ!」
「………」
フェンリルの鋭く光る白い歯に手をかけて、喉の奥へと視線をやる。
そこで僕はぶらぶらと揺れるソレを発見。腕を伸ばした。
「な、なにをしておる! や、やめよ!」
こしょこしょこしょ。
「こ、こら! やめろぉ。グヘッ」
ポンとフェンリルが僕を吐き出す。その口調の変化に若干驚きつつも、衝撃を緩和するように身を転がして着地をすると、自らの足で大地へと立つ。
『まだその時ではない。身の程をわきまえろ』
ただその一言をアスタロトへと告げたその男は、次いで僕をつまらなさそうに見つめて、口を開く。
「……貴様もだ。道化。己が力の制御もできぬ身で俺の手を煩わせるな」
「……道化?」
僕がそう聞くと、その男は苛立たし気に眉をひそめた。
「運命に弄ばれるその姿。道化であろうよ。お前は何も決めてはいない。ただ用意された道を歩いているに過ぎぬ盤上の駒。それがお前だ」
……なるほど。
「つまり?」
「ぶしゅ」
僕がそう聞くとアスタロトが噴き出した。
「あははっこれは傑作だ。ルシファー、そんなかっこつけて言ったって分かんないって」
…………ルシファーだと? まさかこの男が、最高にして全知全能の神だというのか。
「……つまらん奴だ。お前は何の為にここにいる」
……この神は一体何を言っている。
「目標も理念も貴様にはありはしない。全て創らされているのだ。それが理解できない内は存在すらも今は無価値だ。……俺を失望させてくれるなよ」
そうつまらなそうに言い放った神ルシファーが腕を真横へと突き出した。
突如空間を穿ち出現する黒い塊に僕は既視感を覚えていた。
「行くぞ。アスタロト」
「………………はいはい。分かりましたよ最高神サマ」
先にルシファーがその深淵へと身を躍らせ消えていく。それに続くように黒い翼をはためかせ、アスタロトが夜空へと舞い上がった。
「じゃあね。ユノ。僕が恋しくなったらいつでも呼んでね」
そう言いながら片目を閉じて僕を見つめるアスタロト。
僕はそれになにも答えず、ただじっとその姿を目に焼き付けた。
アスタロトが黒い塊へと溶けていく。
全ての体が闇に消えていくその時まで、僕は緊張を解かなかった。
脅威が去る。
「……ふぅ」
僕はため息をついてから、背後からジト目で僕を睨む神獣へと視線をやった。
「「…………」」
静寂が訪れる。それを切り裂くように。
「ありがとうございました」
僕は頭を下げる。
アスタロトへと拳を突き出したあの一瞬。
天から落ちてきた光の柱に僕は気づいていなかった。
つまり、僕は助けるどころか、逆に助けられたのだ。
僕は頭を上げると、悲しく光る槍を拾い上げ、次へと向かう。
「……行くのか」
「ええ。神様が。僕のお嬢様が待っていますから」
僕がそう言うと、フェンリルは小さくため息をつきながらその身を低く下げ、巨大すぎる背中を向ける。
瞬間、気持のよい風が頬を撫でた。
「……乗るがよい」
フェンリルはそう言うと、その美しい黄金の瞳を背中越しに僕へと向ける。
僕は笑顔で答えた。
「結構です」




