22話 「黄昏」
川沿いをただひたすらに駆ける。
こんなに走ったのはいつぶりだろうか? そもそも僕はこれだけ必死に足を動かした事があっただろうか。
「……っ!」
僕を押さえる風が冷たい。けれど足だけは止める訳には行かなかった。
「グギ――」
突然目の前に現れたゴブリンを右薙ぎに槍を振るい吹き飛ばす。
邪魔だ。どいてくれ。
バシャりという水の弾ける音が聞こえた。
ゴブリンがその後どうなったのかを僕は知らない――。
それからもしばらく目の前を塞ぐ魔獣達をひたすらに狩り続けながら、僕はようやっと目的地を目視する。
それと同時に肌が緻密に練り上げられた魔法を感知した。
――結界魔法。
どうやら最悪の展開は免れたようだ。
既に生徒たちが一つの所にまとめられ、みんな不安気な表情で空を見上げている。
「神様! お嬢様!」
僕はすぐに二人を見つけ出すと、力いっぱいにそう叫んだ。
ルナの紫の瞳が僕へと向けられる。だが、それも一瞬の事だった。
「……お嬢様?」
ルナの瞳は僕の遥か上空に向けられている。
いや、ルナだけじゃない。神様もだ。
そこで僕はようやっと気づく。二人だけじゃない。この場にいる全員が――。
僕は同じように、空に浮かぶ月を眺めようとして――息を飲んだ。
「……なに……あれ」
おとぎ話の世界が、そこにはあった。
月の光が悲しく陰る。
二色の美しい閃光が、目にも止まらぬ速度で衝突を繰り返していた。
空気はその衝突ごとに震え、周囲の木々はその勢いを現すかのように体を揺らし泣き叫ぶ。
「怒りの日―ディエス・イレ」
鈴の音を鳴らしたような透き通った声色で、ルナがそうぽつりと呟く。
ああ。まさに僕もそれを頭に浮かべていた。
おとぎ話の中で最も熾烈で最も凄惨な神々の争いを題材に語り継つがれている『怒りの日』
その物語では世界の半分が一夜にして消し飛んだ。
「い、いや……あ、あれは、ら、神々の黄昏だね」
息を切らしながら僕の右横に来たクライムがそう言って、瞳を夜空へと向ける。
とりあえず休んで欲しい。
でも確かに神々の黄昏か……神様同士の戦いをそう呼んでいたような気がする。
そんな事を考えていると僕の左隣りにも影が躍り出た。
――マロ・バーンである。神妙な面持ちで僕らと同じようにその争いへと視線を向ける。
「いや……あれは――」
緊張をはらんだ声色でマロがそうポツリと呟いた。思わず僕はその後に続く言葉に耳を傾ける。
「――やべーな」
帰れ。
……少し期待をしてしまった。
いやでも、確かにあれはやばい。
スタンピード発生の原因も恐らくはあれが関係しているのでは無かろうか。
僕は再び観察しようと夜空へと視線を移す。
赤い閃光と金の閃光。
詳細は定かでは無いが、人外の者同士である事は明白だ。それに――。
「……」
結界魔法の外側では魔獣達が狂気に目を光らせながら徘徊している。
その数多の視線がなんだか僕に向けられているような錯覚をする。
「まだこれは、ほんの一部よ」
アリスは僕と同じように結界魔法の外側で蠢く魔獣隊に視線を向けながらそう言うと金色のポニーテールを不安気に揺らした。
そうなのか。いや、そうなのだろう。
「……でも、この結界魔法があれば何とかなるんじゃないかな?」
僕は素直にそうアリスへと問いかける。
誰の魔法なのかは定かでは無いが、かなりの魔法だと僕は感じていた。
事実、魔獣達は結界魔法へと勢いよく押し寄せては何もできずに地だたらを踏んでいる。
「そうね……けれど、長くは持たない。これだけの数の魔獣相手に魔法を行使し続ける事など不可能だわ」
アリスはそう言うと、僕を誘う様に視線を流す。
それにつられて僕もまたアリスと同じ方向へと視線をやった。
「ソレイユ先生……」
思わず僕はそう呟いた。
いつもは気だるそうにあくびをしている印象の強い先生が両手を前へと突き出し、苦しそうな表情をして歯を食いしばっている。
「ソレイユ先生!」
僕はソレイユ先生の元へと駆け寄ると何かできないかと思考を巡らせる。
僕がこの魔法を使えばどうだろうか? いや、それよりもアリスから教えてもらった魔法で――。
「心配するな。たった今、王立騎士団がこちらへと向けて進軍を開始したとの連絡が入った。そこには君のお姉さんも含まれている」
そう先生が言った瞬間、周囲が歓声に包まれる。
が、僕の感想は違っていた。
……姉上が動いている?
それはつまりこの国の切り札を投入しなければならない程の――。
瞬間、これまでとは比べ物にならない程の轟音が鳴り響く。
その理由はすぐに判明した。
満月を背に浮かぶ赤い光がゆらりと蠢く。そこに金の光の姿は無く、森からは黒い煙が空へと上がっていた。
赤い光が、金の光を森へと叩き落としたのだ。
「先生、あれは一体なんなんですか!」
栗色の髪をした少女が興奮した様子でそう大きな声で質問をする。
先生はその質問に、どう答えようか迷っているのか、しばらくの間、眉間にシワをよせ考え込んでいた。
その様子をこの場にいる誰もが固唾を飲んで見守っている。
皆知りたいのだ。あれが何なのか。何が起きているのかを。
「……女神アスタロトと、森の主フェンリルの争い……だそうだ」
僕はそれを聞いて鳥肌がたった。
女神アスタロト……だと?
頭の中に浮かんでは消えるその神の姿に背筋が凍る。
じゃあ、この災厄の原因は――。
「いけぇぇアスタロト様ぁぁ!」
「フェンリルなんてぶっ潰せ!」
………………は?
男女問わず、熱を帯びた瞳で空を仰ぐ生徒たち。
その口々に叫ばれる内容に僕は驚きを通り越して呆れ果てる。
「なに……言ってるんだよ」
僕は我慢できずにそう呟く。
それに反応したのはソレイユ先生だけだった。
僕を諭すように先生が口を開く。
「……当然だろ? 女神アスタロトは世界を救った英雄神の一柱だからな」
そうつまらなさそうに呟く先生の言葉に反論しようとして――止まる。
そうだ。その通りだ。
僕の目の前――それが答えだ。
「「「いけえええええアスタロト様ぁぁ!」」」
――――ああ。こんな感覚を、僕は味わった事がある。
僕の考えがおかしいのだろう。
スタンピードの原因は、森の主、神狼獣。そしてそれを止める為に、女神アスタロトが現れた。それが正解だ。
――ああ。すごいな。
こんなに綺麗な物語を僕は否定しようとしていたのか。
こんなに、理想的な……素晴らしいシナリオ、を…………。
――『名も無き……野良神です』
……そういえばあの時も、僕はこんな気持ちだったっけ。
『……あなたの名を教えてはくれませんか?』
もしかしたら、あの時僕がした選択も――まちが――。
「そんな訳……あるもんか……っ!」
頭の中に流れ込んで来た何かを否定するように、僕は強く歯を食いしばった。
――――――――――あり得ない。
あり得ない。あり得ない、あり得ない……!
絶対に間違ってなんかいない!
僕がした選択は、僕が抱えるこの気持ちは絶対に間違っていない!
「神様っ!」
僕は震える体を必死に堪えて、神様の元へと駆け寄ると、その小さな肩を――。
「――神様?」
そこには僕の知っている神様はいなかった。
とても深く、悲しい瞳をして、その人は僕を見つめている。
「ユノさん……お願いがあります」
そう言ってその人は僕の目の前まで来ると、僕を優しく抱きしめる。
あまりに突然の事に僕は当然狼狽えた。
自分でも顔が熱くなる感覚をはっきりと自覚する。
それに加えて目の前では氷のような表情をしたルナが、死んだような瞳で僕を見つめていた。
「あの、え? か、神様、ぼ、ぼく」
僕を抱く腕の力が強くなる。
それから神様は僕の耳元へと口を近づけると――
――こう囁いた。
「あの子を……助けてあげてください」
「……あの子?」
「この地を古の約定により、ずっと、ずっと守り続けてきた、神獣です」
そう囁いて、僕から離れる女神アテナ。
僕は動けなかった。突然の神様の変化と、抱擁である。無理もない。無理もない。
――女神アテナの赤い瞳が僕を変わらず見つめ続ける。
先に目を逸らしたのは僕だった。
……恥ずかしい。いてもたってもいられない気持ちだ。
少し勇気を出して再び神様の方を向く。
すると既に、女神アテナの視線は再び始まった衝突へと向けられていた。
「……あの子が……泣いている」
そう言った神様の瞳から、一筋の涙が零れて落ちる。
「……っ!」
今ここに至って僕がするべき事など一つしかない。
だが……。
「――行きなさい」
ルナの澄んだ声が僕へと届く。
「しかし……この場が」
僕がそう言うと、ルナは呆れたようにため息をつくと、再び僕をまっすぐと見つめた。
「あなたなら、どうにかできるのでしょう?」
僕はその言葉に――。
「はい。お嬢様」
迷わずそう頷いた。
「……え……いや、まってください! ごめんなさい、私、突然なんて事を……!」
そう言って、焦ったように顔を赤らめて手をパタパタと振る僕の神様。
……可愛い。どうやら元に戻ったようだ。
「神様、ご安心ください。僕が行って止めてきます」
僕がそう言うと、神様は顔を真っ青にして。
「だ、駄目です! あれは人間がどうこうできる――」
「いいえ。できます。何故なら――」
僕は傅き槍を両手で持つと、神様に差し出すように掲げ宣言する。
「――僕には神様から頂いたこの力がありますから」
僕は笑う。
そうだ。僕は神様の為ならなんだってできる。
それが例え――
――神を殺す事になろうとも。




