133話 「内緒話2」
「魔女の集い」
一言。
ロイド先輩は囁くように言うと、言葉を噛みしめるように瞳を閉じた。
「お前をこの場に残した真の理由はただ一つ。近々おこなわれるその集会について補足説明が必要だと感じたからだ」
「……」
「…………魔女の集い。その命名についての説明は必要か?」
「結構です」
「そうか。ならば認識のすり合わせから行うとしよう」
ロイド先輩は少しだけ残念そうに笑みを浮かべると、重ねた両手の上に顎をのせた。
「先に一つ問おう。ユノ・アスタリオ。魔女の集いでの俺たち……つまり『影の月』の目的は把握しているな?」
「……目的」
「……」
……曖昧ではあるけれど、先日のロイド先輩との会話の中で僕が衝撃を受けたことが答えなのだとするならば。
「……邪神ノアに配下として、認めてもらうこと……ですかね?」
ロイド先輩は満足そうに頷いた。
「そうだ。謁見が叶ったとはいえ、現状としてはまだ配下として認めてもらったわけではない。そのことを俺たち全員が強く認識する必要がある」
「……配下になる、という考えを改める可能性はないのでしょうか? 何度も言うようですが……ノアは邪神ですよ」
僕のそんな悪あがきに、意外にもロイド先輩は冷静だった。
「……無い、とは言えないな。仮にノア様の思惑がただ邪悪なものであるならば、その先に俺たちの目指す未来は無いだろう。だが――」
言ってロイド先輩は目を細めて僕を見た。
「ノア様が真に邪神ならば、あの場での狼藉は許すまい」
「……あの場」
僕のその独り言にロイド先輩は小さく目を見開いた。
「……そうか。そうだったな」
しみじみとそう言うと、ロイド先輩は補足するように語った。
「マルファスが消滅に至ったあの夜、俺は幸運にもノア様の前で力を示す場を得た。その時、ノア様は一言も口を挟むことなく、ただただ冷静に俺を吟味していた。言葉で形にすることは難しいが……あの青空のような瞳。まるですべてを見通しているかのような澄んだ瞳だった」
「…………」
……たぶん、なにも分かってない瞳だと思います。
「そんな御方が、ただ邪悪なだけであるはずが無い。それもまた、お前の疑問への答えとなる」
「……そう、ですか」
どのみち魔女の集いとやらを回避することは難しいと思っていた。なんせ既に神獣ポチにまで話が通っているというのだから。
だから僕が今すべきことは、事前にロイド先輩の考えをできるだけ引き出すことだ。
前もって知っていれば、対処可能なこともあるだろう。
「そしてここから先、俺が口にすることこそが補足説明に当たる。ノア様の配下として認めてもらう……そう。その認識は間違っていない」
「……?」
ロイド先輩の口ぶりに違和感を覚えた――瞬間だった。
鋭い視線が僕を射抜く。
「だが、ユノ・アスタリオ。認めてもらう、とはなんだ?」
「……」
「言葉は間違っていない。だが、それではあまりにも曖昧が過ぎる」
「……」
嫌な予感が頭をよぎる。
実のところ、僕はロイド先輩がなにを口にしようとしているのかを予想できていた。
いいや、それこそ『予想』なんて曖昧なものじゃなくて。
ロイド先輩は口の端を吊り上げて言った。
「我ら影の月の幹部は、配下になると同時にノア様との契りを結ぶ」
「……」
「正確には、契りを結ぶべく動く、と言い換えるべきだな」
半ば確信していたその言葉を聞いて、僕が思ったことは一つ。
「……正気ですか?」
「無論だ」
「……」
さて、僕はいったいなにから口にするべきなのだろうか。
神との契約は生涯に一度きりと言われている。
その相手に、神殺しをした邪神を選ぶというという選択が客観的にもおかしなことぐらいロイド先輩だって理解しているはずだ。
いいや、この場合、もっとも考えなければいけないのは、僕自身……つまりノアとしての問題だ。
邪神ノアは……本当の神じゃない。
契約なんてできるはずがないのだ。
「……ロイド先輩」
「なんだ?」
「これは確認なんですけど、影の月の幹部は納得しているんですか? 邪神と契約することを」
「当然だ。自由奔放な兄上が唯一だした指令により一部の幹部を除いて未契約の状態だからな。喜ぶ者も多いだろう。そして重要なのは未契約でありながらあれだけの戦闘力を有している点だ。真の意味で、暗部は最強の組織へと進化を遂げることになる」
「……」
ロイド先輩の兄上、か。
何を思ってそんな指令をだしていたのかは気になるが、今はそれどころじゃない。
配下云々はさておき、すくなくとも『契約』という一点についてはなんとかする必要があるだろう。
だから結局は、以前の話し合いの時と同じような言葉を口にすることになる。
「……配下の話もそうですが、結局のところノア次第……ということですよね?」
ロイド先輩は静かに首を縦に振った。
「否定はしない」
「……」
……聞いておいて良かった。
結局は僕次第でなんとでもなる。
……儀式めいたことをしたのに契約ができない、ということはつまり、邪神ノアは真の神ではないということになってしまう可能があるのだ。
いや、あるのだ、というよりそうなってしまう。
ユノ・アスタリオとの関連性を薄めるためにも『ノアは人間では無い』という建前は必要だ。
邪神ノア。
その存在は、正体不明の神でなければいけない。
万が一、僕であることが露呈すれば、神様やルナ。そして当然姉上たちだってタダでは済まないだろう。
「……」
だから本当は、契約というイベントそのものを事前に回避することが望ましい。
しかし、恐らく僕が……暗部構成員であり立場上ロイド先輩の配下である僕が口で否定したところでロイド先輩の考えが変わる可能性は低いだろう。
ならば、僕がするべきことは、可能性を提示しておくことだけだ。
ロイド先輩にとって……望ましくないであろう可能性を。
「……その時になってみないと分かりませんが……契約するのは難しいでしょうね」
そう俯きながら言った僕の言葉を聞いてロイド先輩は声色を少しだけ低くした。
「……なぜそう思う?」
僕ははっきりと口にした。
「メリットが無い」
「……」
僕は言葉を続けた。
「たしかに。暗部としては邪神ノアとの契約によって得られる恩恵はあるでしょう。しかし、それはあくまで僕たち側に限っての話です」
「……」
「暗部と契約することによって邪神ノアが得られるものは何でしょうか? 配下ですか? マルファスを単騎で消し飛ばすほどの力を持つ神が、人間の力を必要とするでしょうか? それとも知名度の向上ですか? ……いいや、それこそありえない」
僕は首を横に振ってみせた。
「暗部としても邪神ノアとの契約は伏せるはずでしょう。だから本来神との契約で生まれるであろう相互利益が成り立たない」
そう。ウィンウィンじゃないのだ。その事実は大きい。
そしてやはりこれが本音だが、僕としても単独の方が動きやすい場合が多いのだ。
僕はロイド先輩の目をまっすぐ見て告げた。
「そんな一方的な契約を、仮にも邪神と呼ばれている神が承諾するとは思えません」
「…………」
ロイド先輩は僕の言葉を聞いて――自信ありげに笑った。
「そうだな。その通りだユノ・アスタリオ」
「……」
僕は次に口にするべき言葉を見失っていた。
僕が唖然としている中、ロイド先輩は笑みを浮かべたまま口を開く。
「だが、気づいているはずだ。お前の言うソレは、ある一定の条件さえ満たせば覆る話でもある」
「……」
「メリットが無いのであれば、メリットを作るまでの話だ。違うか?」
「……」
僕は黙って言葉の続きを待った。
「魔女の集いは確かに謁見の場ではあるが、同時に交渉の席でもある……と俺は考えている。つまりノア様が契約を承諾するだけの価値を俺たちが示す場であるということだ」
「……一体、なにがあると?」
「少なくとも二つ。俺は提示できると考えている」
ロイド先輩はおもむろに席から立ち上がると、僕に背中を向けた。
「一つは、ノア様の目的を手伝うことが、俺たちにはできる可能性がある、ということ」
「……邪神ノアの……目的?」
心臓の音がやけにうるさい。
ロイド先輩は背中越しに僕を見ると、フッと笑った。
「野良神の護衛」
「――――」
……この人は……どこまで見通している?
もちろん先日の話し合いの中でノアと野良神のを疑っていることは知っていたけど……もう、そこまで予測しているというのか?
「または、その逆の可能性だってあるだろう」
冷や汗が全身から吹き出すのを自覚した。
「……逆の……可能性?」
ロイド先輩は小さく頷いて言った。
「神獣の森での一件を鑑みるに女神アテナとなんらかの因縁があることは確かだ。それを軸として考えた場合、保護ではなく敵対という可能性も捨てきれない」
「……」
「まぁ、どちらであっても問題はない」
ロイド先輩は、ゾッとする程冷たい笑みを顔に浮かべた。
「重要なのは、暗部が今、野良神を保護しているという事実だ」
――ネム。
「………………まさか、神を脅す気ですか?」
自分でも驚くぐらい低い声がでた。
ロイド先輩は鼻で笑うように言った。
「まさか。穿ちすぎだな。ノア様に対しての忠誠は本物だ」
「…………」
「もちろん、すべて俺の憶測にすぎないがな」
僕はおそるおそる問いかけた。
「……もう一つは?」
ロイド先輩は笑って言う。
「ユノ・アスタリオ。お前だ」