132話 「内緒話」
ギィ、と座っていた椅子が湿った音を鳴ならす。
瞬間、僕は気まずさから咄嗟に息を止めていた。
「……」
変わらず薄暗い生徒会室で、僕はロイド先輩と円卓を挟んで向かい合っていた。
室内にいるのは、僕とロイド先輩の二人だけ。
ごちゃごちゃとした懇親会がようやく終わったと思ったら、ロイド先輩に声をかけられて僕だけ居残りという状況である。
「……」
まぁ、僕としても今後のことで聞いておきたい話なんかもあったから、好都合ではあるのだが……この雰囲気。
「「…………」」
二人きりになった生徒会室には、息を吐くのもためらいそうになるくらいの静けさが広がっていて、そのことに僕ははっきりとした居心地の悪さを感じていた。
……そりゃ、あの立ち回りの後だ。
僕自身、まだ全身が強張っているのが分かる。
こうしてひとまずの終結を迎えることができたのは、間違いなくあの先輩……イノリアさんのおかげだろう。
僕自身も引く気は無かったわけだし、あの人がいなければ、もしかすると今年も生徒会室が消し飛ぶ……くらいの騒動になっていてもおかしくはなかった。
そんなことを考えながら、ふとロイド先輩を見ると丁度ロイド先輩も僕を見ていたようで、視線がぶつかる。
ロイド先輩ははじめにフっと薄く笑うと、頬杖をついて目を細めた。
「イベント続きだな。ユノ・アスタリオ」
心底、愉快そうなその声色に僕は感じていた緊張が消えていくのが分かった。
同時に、そのイベントやらにはいつもロイド・メルツが関わっていることを改めて認識する。
だから。
「ええ……まぁ」
なんて口にして、僕はじとーっとした視線をロイド先輩へと送った。
ロイド先輩は更に口の端を吊り上げる。
「来たる祭事の予行演習としてはまずまずだ……消化不良ではあるがな」
「……消化不良?」
僕の独り言のようなその問いに応えることなく、ロイド先輩は両肘を卓上にあげると、重ねた両手の上に顎をのせて僕を見た。
「今回の懇親会……お前はどこまで見通していた?」
「…………」
僕はあれこれ考えずに率直に答えた。
「……なにかあるだろうな、とは思っていました。アリス達からも昨年のことは聞いていましたし」
「それだけか?」
「ええ」
僕は首を縦にふる。
ロイド先輩は少しの間なにかを考えるように瞳を閉じると、再び僕をまっすぐに見た。
「では、お前の行動はアドリブだった訳だ」
「……」
アドリブ……即興。
実際、事前に練ってきた喧嘩を買わない作戦は失敗したわけだし。
「……そうなりますかね?」
僕は苦笑いをしながら肩をすくめてみせる。
いや、本当、無事終わってよかった。
「……」
……『無事』なのだろうか?
「だがユノ・アスタリオ。お前はあれでよかったのか?」
「……」
そのロイド先輩の問いに僕は困惑した。
この人は……ロイド先輩はたまにこうしてはっきり言葉にしないことがある。そのせいか、僕は嫌でも言葉の裏を探ってしまう。
『あれ、とは?』
『……探り合いは好きではない』
正直に言葉を返せば、たぶん、こんな会話になるのだろうか?
決して長い付き合いというわけではないが、ロイド・メルツという男のことを僕は理解しつつあるのかもしれない。
これは僕の勝手な想像だけど。
つまり、この人は求めているわけだ。
曖昧な言葉を、正しく想像できるだけの能力を。
ロイド先輩の言う『あれ』
それは、恐らく僕の行動とその結末のことを指している。たぶん。
「……」
僕は小さく息を吐き出した後、口にした。
「他に方法が無かった……というのは言い訳ですね。たぶん僕にもっと想像力があったらより良い選択肢もあったのかもしれません。実際、僕の行動は決してほめられたものじゃない。更なる悪評によって神様に迷惑をかけてしまう可能性だって十分にあった。ただ――」
僕はロイド先輩をまっすぐ見つめて告げた。
「後悔はしていません。もちろん……結果で変わる答えですけどね。それに結末に関してはむしろあれで良かったと思っています」
そう肩をすくめて言った僕を見て、ロイド先輩は愉快そうに鼻を鳴らす。
「なるほど。では不満なのは俺だけということだな」
その言葉に僕は首をかしげる。
「……不満ですか?」
「ああ。少なくとも今回、俺の予想は外れている。予想と言うよりは、願望、と言い換えてもいいだろう」
言ってロイド先輩は薄く笑みを浮かべると静かに瞳を閉じて語った。
「今回俺にとっても最も理想的な筋書きは、二年生徒会であるレオ・ウィリアムをユノ・アスタリオが完膚なきまでに降す。その一点にあった」
「……」
……言いたいことは色々あるが、とりあえず続きを聞こう。
「俺の言う不満とはそれだ。お前の実力の一端を他の生徒会員に示せたのは良いが……やはりそれは俺にとっては最低限の筋書きだったと言わざるを得ない」
僕は疑問をそのまま口にした。
「レオ先輩になにか思うところが?」
少し濁したが、つまりロイド先輩はレオ先輩のことが嫌いなんですか? という問いになる。
ロイド先輩は小さく首をふった。
「いいや? 俺はレオ・ウィリアムを高く評価している。少々偏った思想をしている点については思うところが無い訳でもないが……言い換えれば貴族らしいともいえる。決して不要とは言い切れない素質だ。それらを誇りと言い換えてもいいだろう」
「ではなぜ?」
「レオ・ウィリアムこそが生徒会という箱庭の中で、ユノ・アスタリオという存在を最も輝かせ得る存在だからだ」
「………………つまり、レオ先輩は僕に決定的に敗北するべきだったと?」
「奴の高いプライドは厄介である一方、騎士道精神にも似た潔さも備わっている。一度の敗北で折れるような玉ではないだろう。そう思っての言葉だ。奴を認めさせるだけの者がいるならば、手っ取り早い」
「……」
僕が黙っていると、ロイド先輩は肩をすくめて苦笑した。
「すべて今更な話ではあるがな。実際は丸く収まった。恐らくあの状況を鑑みれば最も平和的に」
「……」
そう言えば、と僕は再び疑問を口にする。
「最後にロイド先輩がイノリア先輩としていた会話の内容が僕にはさっぱり分かりませんでした」
ロイド先輩は肩をすくめて笑う。
「俺もはっきり理解しているわけではない。だが、不思議と的外れではない自信があるのも事実だ」
ロイド先輩は怪しげな笑みを浮かべると、僕をまっすぐに見た。
「ユノ。俺は初めの段階でレオ・ウィリアムとお前が対立することを見通していた。無論その勝敗までもな。なぜなら俺はお前の実力を知っているからだ」
「……なるほど」
僕は理解した。
「そう。つまりイノリア・リートの言う『知っていた』とはその一連のことを指しているはずだ。実際、お前が魔力を放出した時、俺とセレナを除いて誰もが驚き固まっていた。それはイノリアも例外ではない」
「……貸しひとつ、とは?」
「……」
僕のその問いにロイド先輩は腕を組んで答えた。
「実のところそっちの方は未だ確信は得ていない」
「……」
「俺がそうなることを知っていて黙っていたことを衆目の前で責めない、という意味として俺は受け取っている。たしかに生徒会副会長という立場で考えれば、俺の行動は相応しくは無いだろうからな。――もしくは、今は俺を排除しないでおく、なんて可能性もあるだろう」
「……」
「どちらにせよ、あの時、イノリア・リートは二人の人間を救ったことになる。レオ・ウィリアムの決定的な敗北を回避し、そのプライドを守りぬいた。そしてユノ・アスタリオの真の実力の秘匿。実に鮮やかだ」
そう言ってロイド先輩は静かに瞳を閉じたかと思うと、ぽそりと言った。
「……まさか、あれほどとはな」
「……どういう意味です?」
「イノリア・リートは、爪を隠していた、ということだ。事実、あのレオの打撃を受け止められる者は実力者揃いの生徒会と言えど限られていた」
「……」
なるほど。
僕はこの時、イノリア先輩の介入に皆が仰天していた理由を正しく知った。
「前々から疑ってはいたのだがな。理由までは不明だが、これまでイノリアは自分を低く見せていた、ということになる。誰かさんと同じでな」
僕は目を逸らした。
「恐らくイノリアの行動はレオのことを鑑みてのことだろうが……」
そこでロイド先輩は言葉を止めると、ちらりと僕に視線を向けると瞳を閉じる。
「……まぁ、いい。すべては済んだ話だ」
言って小さく鼻を鳴らすと、今度は鋭い視線を僕へと向けた。
ロイド先輩の雰囲気そのものが、冷たいものへと変化する。
「……さてユノ。俺がお前をこの場所に残した真の理由は分かっているな?」
「そのつもりです」
僕は言って首を縦に振った。
「よろしい。――では本題に入ろう」
そう言ってロイド先輩は、口の端を怪しく吊り上げた。