130話 「聖域」
――レオ・ウィリアムは優秀だった。
魔力量、そして身体能力共に同世代の中では頭一つ抜けている。
その高い戦闘能力もさることながら座学の成績も学年トップだというのだから、次期生徒会長との呼び名が高いことにも頷ける。
事実、エリートの集うフェリス魔法騎士学園。中でも二年生の代表は誰かと問われたならば、まず真っ先にレオの名前があがることだろう。
誰もが認めるエリートの中のエリート。それがレオ・ウィリアムという男だった。
当然、レオ自身もそんな自分を誇らしく思っていたし、そう在り続けようと努力もした。
だが、その高潔さの一方で陰険な感情を抱いていたのも確かだ。
レオに言わせれば、己が優秀なのは当然のことであり、わざわざ他人に評してもらう必要などない、というのが本音だった。
幼少期より伯爵家次期当主としての期待を一身に背負い厳しい鍛錬にも耐えてきた。
そんな自分が優秀でないはずがないのだから――と。
凡俗から向けられる称賛にいったいどれほどの価値があるというのだろう? というのはレオが言葉にしないまでも、常日頃から胸に抱いている疑問だ。
――オマエラに、なにが分かると言うのか。
下から埃のように舞う称賛も悪意も、偏に無価値であるとレオは断ずる。
類は友を呼ぶという言葉があるように、優秀な者の周りには優秀な者が集まるというのは紛れもない事実であり道理であるとレオは考えていた。
そこに偶然などありはしない。
家柄、能力、志。
いずれにせよ同じ高みに在る者同士が出会うのは必然だ。
そして、その逆も同じだと言えよう。
同じ高みにある者としか分かちあえない感情がある。
同じ高みでなければ見えない景色がある。
故に、優秀である己の周りには優秀な者が集まってほしい、というのはレオの願いであり理想だった。
――理想。
そう。それがただの願望であることはレオとて理解している。
ピラミッド型に形成される実力社会において、数が多いのは下に位置する者達だ。
一人ではなにもできぬからこそ群れたがる有象無象。歩けばすれ違うその数の多さに辟易すると同時に、レオは心に誓ったことがある。
もし、自らの願望が叶うのならば――その時は大切にしてみせる――と。
――故に生徒会はレオにとって楽園であり聖域だった。
所属する誰もが優秀であることをその肩書が保証している。
生徒会の誰もが学年を代表し選出された逸材である。
自らを優秀だと自負するレオであっても、その頂に立つのは容易なことでは無い。
セレナ・バレット。
ロイド・メルツ。
そしてトーマス・ハロルド。
決して年齢を言い訳にするわけではないが事実として、己よりも優秀な者達がこの生徒会には存在している。
悔しさはあった。
戸惑いもした。
だが、言葉に形容しがたい幸福感をレオはたしかに感じていたのだ。
求めていた環境だった。
席に座ればその隣には自らが認めた友がいる。
上を向けば、未だ届かぬ光がある。
だが、その光も手の届く場所に在るのだという事実に、レオはたまらなく幸せを感じていたのだった。
――その聖域が侵されようとしている。
ユノ・アスタリオ。
高名な騎士家に生まれながら無能と蔑まれることを良しとした怠惰なる者の名だ。
その生き方をレオ・ウィリアムは認めない。
たとえ闘技大会で力を示したのだとしても――だ。
ユノ・アスタリオが優勝する瞬間をレオは直接目にしていた。
最低限の実力があることはレオとて認めている。
特に決勝戦で放出してみせた魔力はレオからして中々のものだった。
だが、それだけだ。
積み上げた悪評はその程度の功績で覆るものではない。
重ねて言えば、ユノ・アスタリオの優勝したそれは明らかにレベルの低い大会だったと言わざるをえないものだった。
事実、もしも自分がその世代で大会に臨んだのならば間違いなく優勝できるという自信がレオにはあった。
――それがユノ・アスタリオの真の実力なのであれば――の話だが。
「…………」
沈黙する生徒会室の中で、不意に感じた温もりの正体を探ろうとレオは視線をぎこちなく自らの腕にやった。
見れば隣にいたルイズがうつむくように下を向いたまま、レオの右腕を掴みとめている。
それが所謂、好意からくる行動ではないことなど明白だった。
「……」
この震えは、ルイズの手から伝ってくるものなのか――それとも。
レオは小さく息を吐くと、自らを落ち着かせようと眼鏡のレンズの両端に手をかけた。
――レオ・ウィリアムは優秀だった。
故に――痛い程に分かってしまう。
ユノ・アスタリオの立ち位置を。その実力を。
(…………化物め)
不敵に笑うユノ・アスタリオが放出してみせた魔力は既にレオ達三人がかりで放出した魔力の濃さに届こうとしていた。
恐ろしい現実だった。
三人がかりでようやっと到達した域に、たった一人で伍するというのだから。
だが、ここに至りようやくレオの中に、一つの納得が生まれていた。
ロイド・メルツが認めた新入生。
それが凡人であるはずが無い。
「……」
足もとから昇るように向かってくる強大な魔力の波。
この空間において笑みを浮かべることのできる者など限られている。
(…………だから、嫌いなんだ)
ロイドの笑みの理由を今、ようやくレオは理解した。
それは今、ロイドが口許に薄く浮かべている笑みのことではない。
まるで最初から結末など分かりきっているとでも言いたげな、あの笑みだ。
自らの提案を了承した時に見せたすべてを悟ったような笑みの理由をたったいま理解したのだ。
「…………」
レオは再び全身に魔力を巡らせた。
それは、濁流ともいうべき魔力の流れに抗うには決して相応しいものでは無かったが、それでも間違いなく、生徒会二年生レオ・ウィリアムのありったけが込められている。
「……ユノ・アスタリオ。お前は確かにこの生徒会に相応しい魔力を有している」
「……では、僕たちを認めていただけるということで、よろしいですか?」
その自信ありげなユノの表情を見て、レオの中に湧きあがってきたのは純粋な対抗心だ。
既にそこに悪意などない。ただ、純粋に、自らの力を試す場を得たのだと、レオは自らを奮い立たせた。
確かに魔力の総量で自分は劣っている。
――では体術ならば?
戦闘技能そのものであればどうだろう。
決して勝ち目のない差ではないとレオは感じていた。
魔力量で勝敗が決するというのであれば、騎士などこの世には必要ないのだから。
互いに交差する視線。
不敵に笑うユノ・アスタリオに対抗するように、レオは口の端を吊り上げた。
「……ああ。認めるとも。だが……」
レオの言葉に怪訝そうにユノが眉をひそめる――と同時だった。
自画自賛。
我ながらほれぼれする程、素晴らしい――そんな踏み込みで、レオはユノに肉薄した。
瞬き一つの間だ。
レオでなくとも、その初動の速さはこの場にいる誰もが認めるところだった。
衝突が風を生む。
レオの突き出した拳は、白い手のひらに吸い込まれていた。