127話 「揺れる」
生徒会室に入ってすぐ、だれかが発した口笛の音と同時に室内の空気が凍りついたのがわかった。
暗がりの中、変わらず僕らに突き刺さる視線。
その中には予想通り敵意に近いものもあったけれど、不思議なことにそれよりも大きな割合で驚きや戸惑いのようなものを僕は感じ取っていた。
「……」
ただ、それでも感想は変わらない。
……とてつもない緊張感だ。
これではアリスが気後れするのも当然だろう。
誰一人として言葉を発しない静寂。
円卓の上でゆれる蝋燭の火と、まるで生徒会室を飾り立てるようにして宙を漂う魔力の光。その青い光を視界の端にいれながら、僕はあらためて室内を見渡した。
卓上に肘を立てるようにして両手を組むロイド先輩の姿。
その隣でただじっと僕らを見つめるセレナさん。
表情から二人の感情を読み取ることは叶わなかったが、それとは対照的に分かりやすい人もいた。
「……」
椅子の背にもたれかかるようにして僕たちを見るひとりの男。
その顔には分かりやすく愉快そうな笑みが浮かんでいて。
「……へへっ」
目があってすぐ、まるで僕をからかうように笑ったその人は首の後ろに両手を組んで明後日の方向に視線を向けた。
そのニヤついた表情からして、少なからずからかうような意図があるのは確かだ。
けれど、不快感はない。
理由は明白で、敵意のようなものを一切感じないからだ。
敵意……害意。
この際、言い方はなんだっていい。
今、僕が気にしなければいけないのはそれらを一切隠そうとせずこちらへ向ける彼らだ。
「……」
……三人。
並ぶように座る男女の姿。
彼らが僕らへと向けるその視線には……敵意と……それから驚きがあった。
……驚き?
僕が一人不思議がっていると、とても、とても小さな声でアリスが言った。
「……もぅ……だから」
「え?」
聞き返すように言って視線を向けると、アリスは僕から顔をそむけるように真反対の方を向きながらさっきより少しだけ大きな声で言った。
「……て……もう、大丈夫だから」
「……ああ。ごめん」
そういえば、と納得して手を離す。
それと同時に、僕はもうひとつ納得した。
たしかに。新入生が手をつないで入室してきたのだから驚くのも無理はない……か。
などと、分析しつつアリスの真っ赤になった耳を眺めながら僕は思った。
アリスには悪いことをしただろうか?
僕は腕を組んだ。
多感な時期である。
生まれながらにして精神的に成熟していた僕と違ってアリスは正真正銘の12歳……それも女の子だ。
どんな目的があったにせよ人の目が多くある場所で、手をつなぐというのは少し配慮に欠けた行いだったと言わざるをえない。
まいったなぁ……と思いながら、頭をかいていると静寂を切り裂くようにして男の声が室内に木霊した。
「なにが可笑しい?」
瞬間、肩が小さく震えたのが分かった。僕のではない。隣にいるアリスとクライムの肩だ。
決して恐怖を感じるような低い声ではなかった。けれどその声にはたしかな迫力と、隠し切れない苛立ちが入り混じっていた。
当然、その質問の意味を理解できない僕たちは口を閉じて黙りこむ。
それすらも気に入らないといった風にその人はかけていた眼鏡の両端に手をかけると、重ねるように口にした。
「……ユノ・アスタリオ。きみに聞いている」
「……」
僕は思った。
時は来たな、と。
僕は静かに瞳を閉じて思い返す。
昨年、生徒会室を消し飛ばすに至った懇親会。
今年はそんなことはないだろう……などという甘い考えを僕たちは抱いていなかった。
それどころか対策会議を開き、対処法を事前に考えくる入念ぶりである。
『挑発にのっちゃだめよ』
アリスの声が頭の中で再生された。
僕はうつむいたままのアリスの横顔をちらりと見たあと、うやうやしく胸に手を置いて。
「……何か至らぬ点でもございましたか?」
そう口にしながら、僕はこれでもかというくらい申し訳なさそうな表情をつくった。
『何言ってんの? おまえ』というのが僕の正直な言葉だ。
……ぼく、笑ってたかな? 少なくとも生意気そうにへらへらと笑った自覚は僕には無い。
などと考えていると、男は鼻で笑うように言った。
「……なるほど。たいした強がりだ」
「……」
僕の頭の中を『?』が支配する。
この人はいったいなにを言っているのだろう。
「だが……」
言って、男は硬い表情を浮かべると、僕ら……いいや。アリスとクライムに視線を向けた。
「まず、きみたち二人は失格だな」
その言葉に強く反応したのは当然、当人たちだ。
まるで示し合わせたかのように同じタイミングで肩をビクリと震わせると、二人そろってうつむくように下を向いた。
男の言葉は止まらない。
「この程度の魔力で震えあがるとはね。正直言って……がっかりだ。主席と次席と聞いてぼくも期待しすぎていたようだ」
男はそう口にして眼鏡のズレを左手で直すと、鋭い視線を二人に向けてトドメとばかりに言い放った。
「はっきり言おう。君たちに生徒会の責務は重すぎる。即刻自ら退会することをおすすめしよう。幸いなことに……場は整っている」
「……」
男のその言葉を最後に、生徒会室は冷たい静寂に包まれた。
僕は両手をぎゅっと握りしめる。
頭の中は、今すぐにでも口にだしたい言葉でいっぱいだった。
それはなにもこの男に対してだけではない。アリスとクライムに対してもだ。
たしかに挑発に乗らないことは大事なことだ。
大前提として喧嘩にならないように僕たちは事前に対策を練っていたのだから。
けれど……それでもだ。
まさかここまで一方的にコケにされて黙っているとは思わなかった。
「君もだ。ユノ・アスタリオ」
「……」
「自惚れるなよ。闘技大会を制したのだとしても、君の過去は消えない。届いてくる数々の悪評がそれを物語っている。アスタリオ家の無能がいる場所は……間違ってもここじゃないはずだ。恥ずかしいとは思わないのか? 生徒会とは、つまり学園の顔であり誇りそのものだ」
「……」
正論だなー、と僕は思った。
「誰が君を認める? 誰が目指したいと焦がれる? 血がにじむような努力をしてこの生徒会に属している僕たちに失礼だと思わないのか? いいや、思う、思わざるの話ではない。そうでなければいけない。故に君にも同じ言葉を贈ろう……失格だ。潔く辞退しろ……今、ここで」
「…………………………」
……恐らく二年生の先輩であろう男の鋭い視線にさらされながら、僕の中にあった苛立ちが嘘のように消えていくのが分かった。
だって、正しいなと思ってしまったから。
そしてなにより……僕自身が思っていたことでもある。
僕の手に入れた力は本物じゃない。
ゼウスというおっさんと契約して得た、不気味ともいえる力だ。
決して努力をして手に入れたわけじゃない。
「……はは」
気づけば僕は笑っていた。
それは決して何かをバカにするとか、そういう笑いじゃない。
気づけばせりあがってきた乾いた声だ。
完敗だった。
さすがは生徒会、とでも言うべきだろう。
それが狙ってのものじゃなかったのだとしても見事に弱点を突いてきた。
結局はそうなのだ。昔からそうだ。
闘技大会の折、ティナとの一騎打ちの時にも考えたことだ。勝手に割り切ったつもりになっていた。
どれだけ理由をつけても僕のやっていることはズルだから。
「……」
静寂の中、僕は再び拳を握りしめる。
……けど、そう。すべてを諦めたってわけじゃない。
そのことを僕は自分に言い聞かせるように強く念じた。
目標そのものに変わりはない。
女神アテナを笑顔にする。最高神に、押し上げて見せる。
そこさえブレなければ僕は歩き続けられる。
……その手段の一つが消えただけだ。
強張っていた体から力が抜けていくのが分かった。
いっそすがすがしい気分だ。
「……」
そもそも生徒会ってなにするんだろ?
「――――」
自分自身に呆れていた時、その声は確かに僕の鼓膜を震わせた。