119話 「反逆の狼煙・下」
「ユノ…………アスタリオ」
ロイド先輩は囁くように僕の名を呼んで――。
「――約束の日は近い」
「はい?」
視線を向けることはしなかった。意識してただじっと前を向く。
これから先なにがロイド先輩の口から放たれるのか、正直予想がつかないし、動揺しない自信も無いからだ。
事実、いきなりよくわからないことをこの人は言い放ってみせた。
……約束の日?
記憶の旅にでながら黙り込んでいると、背後にいるロイド先輩が愉快そうに鼻をならした。
「分からないのも無理はない。だが……お前は既に選ばれている。そうだな……特異点の運命……とでも言っておこうか」
どうやら僕も選ばれているらしい。
「……さて」
そう前置いてロイド先輩は指を鳴らした。
パチン、と乾いた音が室内に木霊する。
瞬間、僕がとりあえず目を向けていた卓上の蝋燭の火が揺らめいた――と同時にその色が青く変化する。
「……」
どうやってやるんだろうなーと思っていると、ロイド先輩は饒舌に語り始めた。
「まずは事実を話そう。具体的にはセレナが知りたがっていた結末についてだ」
「……おねがいします」
「今回の野良神誘拐事件の犯人はマルファス様の可能性が高い、と俺は言ったな」
僕は小さくうなずいてみせる。
「そのマルファス様だが……」
ロイド先輩はそこで一度言葉を止めた。
緊張感が高まっていく。
それはロイド先輩の沈黙によるものであると同時に、僕自身の行動の結果でもあるからだ。
ボロは出せない。すべてをロイド先輩から知った、という対応が必要だろう。
「――消滅した」
表情を見なくてもわかる。
ロイド先輩は声を弾ませると、興奮気味にそう口にした。
「……消滅……ですか?」
「ああ。そうだ」
……何を口にして、何を秘めるのか。
そこらへんは問題ない。事前に固めてある。
「……正直……信じられません。なにがどうなったら英雄神が消滅するなん――」
「――変革の時だ」
「――――」
覚えてきた台詞を言い終わる前に、変革の時がきた。
「思えば……すべてがつながっている」
……ひとまず僕は聞き役に徹することにしよう。
「……つながっている?」
「ああ。俺と最初に出会ったときのことを覚えているか?」
もちろん覚えている。
「学園の医務室だったと記憶しています」
「その通りだ。その時にも似た話はしたが……こんどは、はっきりと口にしよう」
そう言ってロイド先輩は再び背後から僕の横を通り過ぎると、背中越しに僕を見て――笑った。
「俺は英雄神という存在をはなから崇めてはいない。いいやそれどころか敬ってすら……」
「……ロイド先輩」
同意ではあるが、万が一この発言を誰かが耳にすれば大変なことになる。
涼しい顔のロイド先輩とは違って、僕は動揺しながら一度周囲に視線をめぐらせる。
その最中でさえ、ロイド先輩はキリっとした表情で口にした。
「祈る神は……自分で決める」
言ってロイド先輩は体ごと向き直るようにして僕を見ると、口の端を吊り上げた。
「気にはならないか? ユノ・アスタリオ。超越存在である英雄神の一柱……マルファスが、一体どうして消滅に至ったのかを」
「……」
尋ねようとした気はする。
そんな僕の困惑を沈黙の肯定と受け取ったのかロイド先輩は愉快そうに鼻をならすと、おもむろに左目に手をやった。
「俺は見た」
手で覆われ隠れたロイド先輩の左目。
右目はまっすぐ僕を向いている。
「真の神……その降臨を」
「……真の……神」
「……その顔……さすがだな」
フッと笑うロイド先輩。
色々とつっこみたいことはあるけど……話の流れとしてはいったんこれでいい……のかもしれない。
「お察しの通りだユノ・アスタリオ。マルファスを消し去ったのは」
「……」
「……」
「……」
「……」
「「…………」」
……ん?
ロイド先輩が押し黙る。
しかし、僕を見るその右目、表情には、なにかを期待しているかのような熱さがあった。
…………ごほん。
たしかに、考えようによっては衝撃の事実ではあるか。
話の流れで察するに、僕でなくたって気づく人は気づくはずだ。
……となると。
「……やはり」
努めて低い声で僕がそう言った――瞬間だった。
ロイド先輩はニヤリと笑って。
「――ノア様だ」
言ってロイド先輩は再び僕の方へと歩いてくると、並ぶようにして横に立って……沈黙した。
……僕がなにかを言うべきか。
「……なぜ、ノアはマルファス様と敵対したのでしょうか?」
無難な疑問を口にしてみる。
当然、そんなことロイド先輩であっても分からないはずだ。
重要なのは僕の抱える疑問の答えへ導く――。
「……野良神」
「――え」
僕の口をついて出たのは、そんな間の抜けた声だった。
「ノア様の立ち位置を野良神に寄せれば一応の辻褄は合う。今回に限って言えばその可能性が最も高いと絞り込める…………しかし、それでは神獣の森での一件が釈然としないか。いや……これは仮定の話にはなるが……ノア様という存在がこの世界の浄化を担っているとしたら……」
僕には聞こえないほどの小声でぼそぼそと独り言を続けるロイド先輩。
その様子に僕は猛烈に喉の渇きを覚えていた。
気を抜けば変な笑いがでそうになる。
衝撃と驚嘆……それから恐怖。
それらの入り混じった感情で僕は言った。
「……待ってください。なんですか浄化って……だってアイツは邪神なんですよね? なんでそんなやつが野良神を助けるって言うんですか?」
「……」
僕の質問に沈黙するロイド先輩。
しかし、その静寂は長続きしなかった。
「最初に言ったはずだぞユノ・アスタリオ。ノア様を邪神と定めた英雄神に……俺は一度だって救われていない。それだけじゃない……今回に限って言えば俺の敵は英雄神だ」
「……」
「簡単に手を出せない最高の頂に座する神を……滅し滅ぼすことのできる存在。事実、犯人がマルファスだと分かっても暗部は手をだせなかったはずだ」
「……」
「だが、あの御方……ノア様は別だ。神でありながら英雄神たちとは違う理で動いているのは明白。政治も、圧力も。あの御方の前では等しく無意味だ」
「……」
僕が黙り込んでいることにようやく気が付いた、といった風に、ロイド先輩は小さく息を吐いた。
「…………すまない。取り乱した。ひとまずの結末は理解したな? そして、話の流れを含めてこれを伝えることが、今日お前を呼び出した最たる理由になる」
言って、ロイド先輩は真面目な表情をして僕を横目で見た。
「これより暗部――影の月は……ノア様の配下として動く」