112話 「集うモノ」
――「ユノ・アスタリオ」
そんなロイド先輩の声が、空中から絶え間なく鳴る爆音に混じって確かに聞こえた。
「…………」
僕は吹き出してくる汗をそのままに、隣でお座りしているポチに縋るような思いで視線を送る。
「……」
ピクピクと耳を動かしながら前を見つめるその様子に僕は。
「もしかして、会話きこえてたりしない……?」
なんて、遠回しに状況の説明を求めてみた。
「……無論、聞こえておる。……しかし……あの人間……肝心な所だけ抜けておるな。さて、これがどう判断されるかで……状況が変わる」
神妙な面持ちでギラリと鋭い視線を前へと送る神獣ポチ。
その凛々しい姿は間違いなくこの異常な状況の中であっても神獣たる威厳を周囲へと感じさせることだろう。
しかし、だ。
そんな悠長な感想を抱いている状況ではない。
「ポチ……さん」
僕は上にピンと立っている耳に、顔を近づけて。
「……今、僕の名前言ってたよね?」
「うむ」
「……」
……やはり、か。
僕は祈るような気持ちで、その問いをポチの耳元で囁いた。
「もしかして、バレてる? 僕の正体」
瞬間、ポチは少しだけ意外そうな目で僕を見た。
「ぬ? 安心せい。おぬしがノアであることをあの人間は知ってはおらぬようじゃ。しかし……よくぞあれ程まで心酔させたものじゃな。これもおぬしの言う計画のうちか?」
言って、再び視線を前へと向けると、今度は神妙そうに目を細めた。
「賢い選択じゃ。まさかあれほどできる人間がおるとはな。儂から言わせれば、同胞にするのであればあの人間の方がよっぽど信用できる」
「……ん? どういう――」
――意味だろう?
なんて僕がそのまま疑問を口にしようとした時だ。
――その高笑いは闇夜に木霊した。
‐――――――――――――――――――――――――――――――
「ふは……ふはははははははははっ」
突如としてベルフェゴールは肩を震わせて大きな笑い声をあげた。
殺気渦巻く戦場にまるで似合わぬその声は、ロイド・メルツに強い不信感を抱かせる。
「……なにが可笑しい?」
ロイドの眼光が更に鋭いものとなって悪魔へと向けられてすぐ、その視線に応えるようにしてベルフェゴールは静かに口の端を吊り上げた。
「いいや? 納得したのさ。お前の言う通りだぜロイド・メルツ。確かに俺は、アイツを見くびっていたようだ」
愉快そうな声色で言って、赤い瞳、その視線がノアへと向かう。
推測でしかない。そう前置きながらもベルフェゴールの頭の中で、組みあがっていったものがある。
邪神ノア。
対象がまだ幼い心を有していることは事前に把握していた。
この世界において莫大な力を持ちながら釣り合いのとれない甘さがあることも。
しかし、ベルフェゴールはこの場においてもっとも見極めなければならない資質を、たったいま確認するまでもなく見出したのだ。
「……どうやら大局は見えてるようだな。感心したぜ。なぜ人間の姿に拘るのかと疑問だったが……既に手駒を集めつつあったとはな。となると……この状況そのものがお前の手のひらの上って可能性もあるわけか」
囁くように放たれたその声を聴いた者は、この場においては神獣のみである。
「しかし……うれしい誤算とは言え……少々厄介でもある。俺の出方次第で本気の怒りも買いかねない、か」
ベルフェゴールの視線が再びロイドへと向かう。
「……聞くが、そのユノ・アスタリオってやつがこの場に現れなかった場合はどうするつもりだ?」
「知れたことを」
それが答えであると示すかのように再びロイドの身を覆っていく魔力。
生まれた風がベルフェゴールの頭髪を強くなであげた。
「……そうかよ」
ベルフェゴールは肩をすくめると、静かに瞳を閉じた。
「……いいぜ。認めてやるよ。たしかに俺自身が口にしたことだ。駒は多ければ多いほどいい」
自問自答に近い心境でそう独りごちると、ベルフェゴールはロイドから視線を外して、夜空を仰いだ。
月はおろか星もない。
そんな漆黒の空の中で流星のように線を描き明滅する二つの光。
視線の先では人外の速度で以てぶつかり合う強者の姿があった。
その中で黄金に輝く二つの瞳。獣のような笑みを浮かべたその横顔。
「しかし……本当に大したもんだな。なんか混ざってやがるとはいえあの力……それこそ吸血鬼…………いや、どちらかといえば俺に近いか?」
そうひとり呟いて、ベルフェゴールは薄く笑み携える。
何が真実であるかなど、この際どうだっていい、というのがこの時のベルフェゴールの偽りのない本心だ。重要なことは一つだけ。止まっていた時計の針は、今、確かに音を立てて進み始めた。
これがロイドの言う御前試合であるというならば、なるほど確かに相応しい。
神殺しの夜に、今、異端の円卓。その礎が築かれたのだ。