106話 「集結」
闇夜を裂く、青白い閃光。遅れて突風がその金色の髪をなびかせた。
視界にちらつくそれを少しだけ鬱陶しく思いながら。
「決まりだな」
まるで夜空に浮かぶ月のように。
宙に浮かんだままその一方的な戦いを見届けたベルフェゴールは小さな声でそう呟くと、隣で目を見開いたまま固まっている少女――カミラ・ルージュに視線をおくった。
「異論はないな? カミラ」
「…………」
カミラはその問いに、しばし無言を貫いた。
いいや、正確にはただただ唖然とする他になかったのだ。
あまりにも一方的な戦いだった。
いいや、果たして先ほどのそれは、果たして『戦い』と呼べるものだったのだろうか。と、そう頭の中で思考を重ねながら、カミラは静かに瞳を閉じる。
「……異論はない。だが、答えよベルフェゴール」
カミラは閉じていた瞳を開けると、目を細めて、遠くにいる白銀の男神をまっすぐに捉えた。
そして口にする。今度は己の眼で見届けて湧きあがった、本物の疑問。
「…………やつは……何者だ」
二度目になるそのカミラの問いに、ベルフェゴールは呆れたように肩をすくめると小さく鼻を鳴らした。
「知るかよ」
その言葉にカミラは白い額に青筋を浮かべると苛立った表情をして、ベルフェゴールを横目で睨みつける。
「……まさかあれ程とは俺も思っていなかったからな。だが、まぁ、想像できない訳じゃない。オマエだってそうだろ? 夜空を白く染め上げる程の雷。仮にも名のある神を一撃で屠る力。そんな芸当ができるやつはそう多くはいない」
ベルフェゴールは血のように赤い目を細めると、月を仰ぐようにして立ちすくむ白銀の男神へと視線を送った。
動揺したのはカミラだ。
ごくりと小さく喉を鳴らすと、目を見開いてベルフェゴールの横顔をじっと見つめて口にする。
「……バカな。では、あやつがゼウスだとでも言うのか?」
「……と、俺も考えた。だが、前にも言ったようにアイツは自らをノアと名乗っているらしいぜ?」
それが心底面白いとでも言いたげにニヤリと笑うと、ベルフェゴールは続けて口にする。
「そもそも、だ。あれが本当にゼウスなのだとしたら……あまりにも可愛げがあるってもんだぜ?」
「……可愛い、だと? アレがか?」
「ああ」
そのベルフェゴールの言葉に眉をひそめるカミラとは対照的に、黄金の頭髪をした悪魔は柔らかくほほ笑んだ。
「……オマエの言っていた通りだカミラ。ただの子供にしか見えん。必死に背伸びをしてはしゃいでいるだけの、ただの子供に、な。……それが悪いって言いたいわけじゃない。むしろアリだ。…………俺は人間が嫌いだが、子供は別だ。純粋だからな。そういった意味では…………やはり都合がいい」
言ってベルフェゴールは肩をすくめると、再び向き直るようにしてカミラへと視線を送った。
「ま、なんにせよ決まりだ。良い退屈しのぎになるぜ? 俺とオマエで導いてやろうじゃねーか」
「……あやつがそれを望むとは思えんがな。忘れたか。我らは悪魔と吸血鬼だ。それに……」
カミラはちらりと背後へと視線を送る。
その先にはまるでこちらの動向を監視しているかのように、鋭い光を宿した黄金の瞳が闇夜の中で怪しく光を放っていた。
ふっ、とベルフェゴールは笑う。
「ポチだけじゃだめだ。お前も言ってただろ? あいつはご主人様に甘すぎる」
「……」
カミラ・ルージュは視線をノアへと移すと、小さく息を吐き出した。
全身が緊張で固まっているのが分かる。
ベルフェゴールの言う異論。
それは暗に、邪神ノアという存在。その実力を認めるか否か、というものだ。
異論などあろうはずがない。
マルファス。
それが今しがた消滅した神の名だ。
カミラと直接の面識はないが、あれがただの雑魚では無かったことは確かなのだ。
これはカミラの推測ではあったが、英雄神マルファス。
その実力は、吸血鬼の真祖たる己に伍するものだったはず、と。
「たしかに……退屈はしなさそうだ」
神殺しは成った。
幕は開いたのだ。
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時を同じくして、闇夜に高らかに響くその笑い声は、興奮を通り越し、もはや狂気の域へと達しようとしていた。
「フっハハハハハハハハハハッ――!」
堪え切れない。もはや抑えることなど不可能な感動。
この興奮を止められるものなど――。
黒い衣服ごしに自らの胸元を強く掴み、男――ロイド・メルツは高笑う。
この場にたどり着いたその時に、既に事は終わっていた。
しかし、何が起きたのかは分かるのだ。
神殺し。
今しがた確かに歴史が動いた。
叶うならば、時よ戻れと切望しながらも、それでも取りこぼさなかった奇跡が一つ。
視界の先にある、隠し切れない輝きの主。
白銀の神。邪神ノア。
ロイド・メルツはすとん、と両膝を地面につけて、自らの救世主を真似るようにして満月を仰いだ。
「Oh My God」
吐息交じりにそう静かに口にして、ロイド・メルツは恍惚とした表情をして喜びを強く噛みしめていた。
「…………」
そんな尋常ではないロイドの様子を後ろから眺めながら、暗部影の月・序列7位、ジースは口の端を吊り上げる。
「なるほど……あれがそうかよ」
邪神ノア。
確かに、とジースは納得に至る。
あれほどの存在であれば、自らの上に立つことを唯一認めたロイド・メルツがここまで心酔するのもうなずけるというものだった。
しかし、今はそれよりも――。
「…………」
ジースはその黄金の瞳を鋭く細めると、頭上後方へと背中越しに視線をやった。
闇夜に浮かぶ二つの人影。
一目でジースは、それらが只人ではないことを看破する。
隠し切れないプレッシャー。
それにあてられるようにして、ジースは興奮を高めていたのだ。
同時に。
「……気に入らねぇ」
見下ろされている――。
半ば理不尽な苛立ちそのままに、ジースは正体を探ろうと背後へ振り返る。
そうして足を一歩前へと進めたとき。
「――やめておけ」
硬い声色で放たれたその言葉が、ジースの動きをぴたりと止めた。
「……」
ロイドはおもむろに立ち上がると、目を細めて夜空を見上げる。
「…………あれらは触れてはいけないモノだ」
「……はっ」
ジースは背中越しにロイドへと視線を送ると眉をひそめて鼻を鳴らした。
「ロイド・メルツともあろう男が、随分弱気なこと言うじゃねーか。あのノアとかいう神ならいざ知らず、あんな奴らに俺が後れをとると?」
「お前だけの話じゃない。俺とお前でかかってようやく五分……といったところか」
神妙な面持ちでそう言い放ったロイドの横顔を眺めながら、ジースは堪えきれずに吹き出すようにして笑った。
「なんだ、それだけあれば十分じゃねーか。目的は消し飛んじまったみたいだしよ。ちと遊んでいこうじゃねーか」
――「勘違いするな」
静かに、されど確かな力を宿したその言霊は、ジースの笑みを消し飛ばす。
「二つの内一つだけ。あの女を敵とするならば、の話だ。今の俺たちではあの女の横にいる男にはどうあがいても届きはしない」
「……へぇ? 只者じゃねーってのは分かるが……そこまでかよ」
小さな動揺。
しかし、それ以上の興味がジースの体温を上げていく。
ロイドは、視線を再びノアへと向けると、その美しさに身を震わせた。
「……なにより今は命が惜しい。俺の勘は正しかった。ようやっと俺たちが契約するに相応しい神をこの目で……」
興奮を隠し切れず上擦った声でそう言うロイドに、ジースは率直な疑問をなげかける。
「……だが邪神だぜ? 実際どうすんだよ、そこんところ。俺たちが思っている以上に狂っていやがったらまず間違いなく破綻するぜ。俺も、あんたも。そして暗部もだ」
ロイド・メルツはフッと笑って、ジースの眼をじっと見つめた。
「いいんだ」
重ねてロイドは口にする。
「それでも、いい」
己の世界がより鮮明に、色鮮やかになるならば――。