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104話 「開幕」

 



 それは、きっと祈りだった。


「――ユノ」


 後ろから抱き留められた格好の少女が振り返ろうと、身をよじらせる。

 なぜ、その名を咄嗟に口にだしたのかを考える余裕は、ティナ・バレットにはありはしない。


 しかし、反射的に期待が形となって心音を高鳴らせていた。

 背中に感じる温もり。

 その正体が、よく知った少年のものである、という期待。同時に場違いな気恥ずかしさが少女の体温を上げていく。


 思えばこんな時、救ってくれる者などティナにとっては限られていた。

 その中でも、彼ならば――ユノ・アスタリオならば、と。

 過去、窮地から救ってもらったその光景を脳裏に浮かばせながら、期待が祈りのようにして口から零れ落ちただけのこと。



 今なお、細かな瓦礫を散らしながら崩れゆく天井。

 中天に覗く月から差す銀色の光が、舞い上がる砂煙をどこか幻想的に照らしだす。


 最中(さなか)、振り返る。


 混乱、混沌。

 それらが満ち満ちるこの場所で少女が願ったのは一つだけ。


 助けてほしい――という平凡で少女然とした祈り。

 自分では届かぬと知って、あの(くらい)に届く誰かを求めた。


 たった、それだけのこと。




「――――」



 瞬間、ティナの視界すべてが淡い青色の光で染まった。


 眩しい、と感じたのは一瞬だ。


 ティナ・バレットは血の気が引いていくのを自覚したまま、総身を固まらせた。



 ユノ・アスタリオが来てくれたと――歓喜して。

 もしかしたらロイド・メルツかもしれないと――予想して。

 セレナ・バレットだと――期待した。



 だから、分からない。


 ティナ・バレットは呆然と口を開けたまま、下からのぞき込むようにして、じっとその横顔を見つめていた。



「……」



 誰かに似ている、と思ったのは一瞬だけだ。


 自分を、女神アテナを救ってくれるかもしれない存在。


 その姿は、ティナが思い浮かべていた誰よりもずっと大きな体をしていた。

 白銀の髪、(ティナ)を包みこむようにして広げられた白い翼、そして青空のような瞳。


 フード付きの白い衣服に身を包んだ、銀色の青年。

 人間では無いと、ティナは瞬時に悟る。


 なぜなら、視界にあるその姿は、あまりにも――





「――――――綺麗(きれい)


 思わず一人呟く。


 ティナにも分かるのだ。

 夜空。天上から差す美しい月の光でさえも、今は脇役でしかない。



「………………ッ」



 しばらくの間、その青年に見惚れるようにして固まっていたティナだったが、自分の状態――見ず知らずの者に抱えられている現状を思い出すようにして把握すると、その腕から逃れようと身をよじらせる。


「……はな……し……」


 しかし、それに気づくと、ティナは再び押し黙るようにして動きを止めた。


「……」


 思えば一度たりとも、男はティナに視線をやることは無かったのだ。

 白銀の青年が、見据えているもの。


 青い瞳は、ただじっと前を――うずくまるマルファスの方を向いていた。


「…………」


 何を考えているのだろう、とティナは男の無表情を眺めながら思う。

 突然の乱入者。


 未だ、敵か味方かもはっきりとはしておらず、しかし、たしかに事態は好転していて。


「……ッ」


 不意に、男の腕の中で固まっていた少女の肩が、小さく震える。


「ッ、アテナ、様!」


 息を詰まらせるようにそう口にして、ティナは焦った様子で周囲に視線を走らせた。


 先ほどまで女神アテナがつながれていたであろう鎖のような拘束具。その一部が月の光を映して鈍く輝きを放ちながら、灰色の地面に散乱している。


 その脇では、自らの消えた右腕を抑えてうずくまるマルファスの姿。


 女神の姿がない。


「――ッ」


 声に鳴らない悲鳴をあげたと同時、ティナは突如として浮遊感に包まれる。

 男はティナを横から抱き上げると、背後を振り返るようにマルファスに背中を向けた。



「ちょ、ちょっと……! はな……、ッ!」



 同じく振り返る形になったティナの視界がそれを捉える。

 床にぺたりと両膝をついたまま、目をまんまるにしてティナを見つめる赤い瞳。


 それがぶわりと涙を溢れさせた瞬間、ティナの瞳からも大粒の涙がこぼれ頬を伝っていく。


 今すぐに駆け寄りたい衝動で身をよじらせたティナだったが。


「――動くな」


「ッ……」


 ただの一言。それだけでバタバタと暴れていた少女の体は静止した。


 見ず知らずの男の声。

 どこか怒りに満ちたその声色は、少女を委縮させるには十分だった。


 静寂。

 コツコツと足音だけが木霊する。


「…………」


 男は女神アテナの元へとたどり着くと。


「…………」


 じっと見下ろすようにしてまっすぐ女神アテナを見つめていた。


「……? あなたは、あの時の」


 赤い瞳に涙を貯めて、女神アテナもまた、男を見上げるようにして顔をあげると、どろりと流れ出す血を戻すようにして鼻をすすった。


 重なる視線。赤と青の瞳が対になる。


「……」


 最初に目を逸らしたのは男だった。


 瞬間、男の表情に、悲しみの色が宿ったように見えたのは果たしてティナの気のせいか。


 男は抱えていたティナを静かにその場へと下ろすと、再び振り返るようにして女神アテナに背中を向けてマルファスの方へと向かい歩き始める。


 ティナは少しの間、その背中を眺めながら呆然としていたが、すぐに女神アテナの前へとにじり寄ると。


「アテナ様」


 制服のポケットからハンカチを取り出して優しく女神アテナの鼻元にあてた。

 白い布にその赤色がしみ込む様を眺めながら。


「……良かった…………本当に」



 そう涙声で言って、ティナは安堵のため息をつく。


 ()()は、逃れた。


 少なくとも、彼は敵ではないかもしれない――という不確かな憶測。

 しかし、それでも今はその願望にすがるほかない。


 それに、気のせいでなければ、あの人は――。



「……? アテナ様?」



 ふと、女神アテナが、じっと何かを見つめていることにティナは気が付いた。


 その視線を辿るようにして、ティナは振り返る。


 遠くなっていく、男の背中。



 女神アテナは自らの背中に手のひら程の白い翼を出現させて、呟いた。



「……白い……翼……」



「……」


 ティナは、再び女神アテナへと視線を戻すと、背中でパタパタとはためく翼を眺めてほほ笑んだ。



「……おそろいですね」




 ――――同時。



 マルファスは混乱の極みにいた。


「…………ッ」



 予定外、などという生易しい事態ではない。

 マルファスにとって飛ばされた右腕のことなど、この際どうだってよかった。


 どのようにしてこの場を突き止めてみせたのか――という果てしない疑問。


 既にこの空間は、結界としての役割を果たしていないのは明白で。

 それは崩れ落ちた天井から覗く満月、その全貌が何よりの証拠だった。



 いいや、今はそれよりも――強く。



「――()()……貴様は」



 歯ぎしりと共に、マルファスは片膝を地面についたまま唸り声をあげて、その男を鋭く睨みつけた。


 百歩譲って、現れたのがユノ・アスタリオであれば驚きこそすれ、ここまでの衝撃は受けなかっただろう。


 白銀の頭髪、青い瞳。そして――白い翼。


 一目見て、ただの人間ではないと分かる。

 いいや、人間であるはずが無い、という方がマルファスにとっては適当だった。

 この場に満ちていく、青い輝きを放つ魔力の欠片。


 ここまではっきり視認できるほどの魔力量を持つ者が、只の人間であるはずが無い。


 ならば――そうだとして、と。マルファスは考える。


 しかし。


「……ッ」


 正解がない。()()()()に該当が、ない。


 少なくとも同族ではないことは分かるのだ。

 しかしその考えに至ってすぐに、では一体どのようにしてこの場を突き止めてみせたのか、という疑問が再び沸きあがる。


「……」


 脳裏に桃色の女神を思い浮かべてすぐに、マルファスは自らの考えを否定するようにして小さく首を振るとその場へと立ち上がった。


 答えなど、問えばいい。

 そう思いなおすと、マルファスはその顔に不敵な笑みを浮かべながら、こちらへと近づいてくる男を視界に入れて。



「――は?」



 世界が加速する。

 腹部に感じた衝撃。

 気づけばマルファスは土の地面に背中を預けたまま、広い夜空に浮かぶ月を眺めていた。



「………………ぐッ」



 咳き込むようにして息を吐き出してすぐ、口からあふれだす血をそのままにマルファスは確かめるように自らの腹部へと手をやった。



「……」


 体の中心。

 そこにぽっかりと空いた穴。


 遅れてマルファスは、自らの身に何が起こったのかを理解した。



「………………バカな」



 何が起こったのかは、理解できた。

 だからこそ、より一層理解できないこともある。


 マルファスは見ていないのだ。

 男がどのようにして、攻撃を繰り出し自分を吹き飛ばしたのかを。


 掌打なのか、蹴りなのか。それとも何らかの魔法なのか。

 それすらも、分からない。


 それはつまり、見ていないのではなく――



「…………見えなかったというのか? 私が」



 マルファスは仰向けのまま、視線だけを前へと向ける。


 恐らく自分が突き破ってきたであろう灰色の外壁。その向こうから男は、這い出るようにして姿を見せると、小さくその体を揺らしながらマルファスの元へと近づいてきていた。



「……」



 その姿は、まるで地獄(ゲヘナ)の魔物を彷彿とさせて――。



「……フッ……はは」



 マルファスは、たまらず笑い声をあげた。


 笑わずにはいられなかったのだ。


 なんだ、コレは――?

 短い間に、こうも()()して自らの死を予感し恐怖するとは。



「ふふふふ、はははははッ」



 敵などいない世界を手に入れたはずだった。



「はっはははははッははははは」



 決して少なくない代償を払い永遠の安寧を、この手に掴んだはずだった。


 それなのに、どうして今、私は血を流して地に伏している――?



「はッはッははははははははははははははッ」



 マルファスの瞳に狂気が宿る。




「ははッ豁サ縺ュ豁サはッ豁サ縺ュ豁サ縺ュ豁サ縺ュ豁サ縺ュ豁サ縺ュ」




 月夜の元、狂気の笑い声が木霊した。










次話よりノア視点。

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