94話 「物語」
初撃。
振りぬいた一撃は、難なく敵の一部を切り裂いた。
「…………」
――しかし。
飛び散る血も。
苦悶の声もない。
「…………」
僕は手にしていた得物に目をやった。
月の光を映して鈍く光を放つ銀色の刃。
なんとなく感じていた手ごたえの無さは、恐らく勘違いではないことを僕はさとった。
『…………貴様……』
不快に響いてきたその声に応えるようにして、ソイツへと視線を戻す。
「……」
改めて、思う。
……影。
ゆらゆらと炎のように揺れる、黒い影。
それ以外に奴を表す言葉が見当たらない。
かろうじて人型であることは分かっても、表情はおろか、その全体すらも正確には判別不能だった。
……これが本来の姿なのだとしたら、魔獣の類なのだろうか。
「……」
自分で生み出した疑問だけど。それは違うって、すぐに思った。
『当たり前だとでも……言いたいのか?」
酷くしわがれた声に宿る……隠し切れない知性。
少なくとも、目的もなく暴れるだけの魔獣とは思えない。
……そうなのだとしたら。
………………そうだとしたら?
『……人間如きが』
勝手に耳に入ってくるその声を聞きながら。
『すぐにくたばってくれるなよ』
少なくとも、人間じゃないんだなって――僕は思った。
瞬間。
光った――そう思ったのと同時に、ソレは僕の目の前にあった。
眩い光を放つ、魔力の塊。
正体不明の真っ黒な奴が繰り出す攻撃にしては、綺麗だな、なんて場違いなことを思いながら。
首を横にして回避する。
同時に背後から轟く爆発音。風が背中を強く叩いた。
揺れる前髪を鬱陶しく思いながらも、僕の思考は回り続ける。
「……」
想像通り、強い。
攻撃の予備動作はほとんどなかったし、加えて今の一瞬で僕から距離をとってみせた。
先の一撃の威力にしても、直撃を許せばどうなるか分からない。
「……」
褒めるべきは僕が到着するまで子供たちを守りながらアイツと戦っていたクロエだろう。
正直、生きて再会できたのは奇跡と言える。
そう思えるほどには、アイツはたしかに強いのだ。
だから――。
「……消さなきゃ」
素直にそう思った。
僕にとっては脅威ではない――なんてことはこの際どうだっていい。
重要なのは、神様の為に、僕はなにをすればいいのかってことだ。
………………………………。
…………。
「…………?」
あれ。
そういえば。
なんで僕は、アイツが野良神失踪の黒幕だって、思ったんだっけ?
連続して飛んでくる光の塊を避けながら、ふと湧いてきたそんな疑問に一瞬、思考が固まってしまう。
――『黒い影が現れてすぐ、野良神をさらっていったとのことだ』
記憶からすくいあげるようにしてロイド先輩の言葉が頭の中で再生された。
……ああ。そうだった。
黒い影……そのまんまだな。
なんだか心底ほっとした気持ちになりながらも、僕は攻勢に出る。
やることは単純だ。
アイツの元まで走って行って。
「――叩き斬る」
僕は向かってくる光を斬りはらいながら奴の元までたどり着くと、短刀を横から振りぬいた。
『――ッ!』
斬りつけた影。そこから血のように飛び散る黒い炎。
手ごたえは……ある。
少なくとも、目の前のコイツが動揺しているのが分かった。
微かに聞こえた苦悶の声がその証拠だ。
僕から逃げるようにして夜空へと飛び上がり、浮かんだままのその姿を眺めながら思わずひとり呟く。
「……飛べるのか」
今の僕は、ノアではない。
翼を生やしておいかける訳にもいかないのだ。
それに――。
「……」
気づかれないように、周囲に視線をはしらせる。
案の定、口を開いたまま固まっているランスとクロエの姿が目に入った。
「……」
彼らの目も節穴じゃない。
少なくとも、どれだけのレベルであるかを判断する力はあるはずで。
「…………」
桃色の女神が脳裏で囁く。
――『気づいているかい? 僕と対等になったその意味を』
「…………」
理解しているさ。自分の力が異常だってことくらい。
確信がある。
英雄神の一柱とされるアスタロトにさえ、押し負けなかったこの力。
きっと本気でやれば、アイツを消し去れる。
けれど。
その代わりに、何かを失ってしまう。そんな気がした。
少なくとも、変わらず笑顔でランスとクロエが僕を迎え入れてくれる光景が少しも想像できないでいる。
感謝はされるかもしれない。
喜ばれもするかもしれない。
けれど、どうしても。ランスとクロエの隣で笑う自分の姿が想像できないのだ。
「……いやだな。それは」
とてもいやだ。
「――それでも」
夜空。
月を背に、炎のように揺れる黒い影を仰ぎ見る。
――僕はアイツの存在を、許容できない。
使命感のようなものを強く感じていた。
野良神が何者かに連れ去られているって知った時から。
女神アテナに危害が及ぶかもしれないって思った時から。
ランス達の拠点の惨状を見たときから。
傷ついたクロエを見たときから。
ランスの覚悟を見たときから。
……とある少女を、見たときから。
アイツを倒すのは僕で、みんなを守るのも僕なのだと。
自惚れているなんて思わない。
僕にはその力がある。そのはずだ。
でなきゃ、僕は自分自身すら許容できない。
「――だから」
僕は地面を強く蹴り上げて、走りだす。
瞬間――呼応するかのように光の雨が夜空から降り注いだ。
「――――」
数多の星が、そのまま落ちてきたみたいなその光景の美しさに、一瞬我を忘れそうなる。
まるで、おとぎ話の登場人物になったみたいだ。
「……っ!」
上から飛んでくるその攻撃を避けながら、一歩足を前に進める度に冷静になっていく自分がいた。
そうだ。なにも悩む必要なんてない。
全部だ。全部取りに行く。
アイツを許容できないって意思と、化け物だと思われたくない自分の弱さ。
全部、認めて、僕はアイツをぶったおす。
僕ならできるはずだ。
だって、どうやら僕は精鋭ぞろいの暗部の序列1位らしいから。
勝手に口角が吊り上がっていくのが分かった。
楽しいからじゃない。
嬉しいからでもない。
ただ、分かっただけだ。
簡単だろう? 僕。
いつも通りでいいのだ。
――ちょっとだけ、本気出す。